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「岡野さんは――」
教えたばかりの名前を呼ばれて、心臓がごくわずかに飛び跳ねる。
「文学部ですよね。何学科ですか?」
「英文です。あ、タメ口でいいですよ」
「いや、でもさすがに年齢差が」
「じゃあ、真幌ちゃん」
かあっと顔に血が集まるのがわかった。余韻が耳の中で甘くはじけ、鼓動が速くなる。
この感情に覚えがないほど子どもではなかった。でも、いったいいつ以来だろう。
──淡い高揚は次の瞬間に打ち砕かれた。
「あの、いつも一緒にいるお友達とは、付き合い長いのかな?」
束の間熱を持った心は、引き潮に乗せられたようにするすると冷めた。
なんだ。結局この人も、夏月狙いか。
10歳も年上なのに、聴講を始めて一週間しか経っていないのに、もう夏月に惹かれてしまったのか。
こんなことは初めてじゃない。わたしを呼び出して、夏月への恋情を伝言させる男子は何人もいた。そのたびに不条理を味わいつつも、どこか安心している自分もいた。
自分に大きな変化など、起こらないほうがいい。嵐の海より凪いだ海のほうが、やっぱり好きだ。
「……夏月のことですよね」
「えっと、うん、そう」
古臭いデザインの鞄を持っていないほうの手で、タカハシさんはこめかみのあたりをぽりぽり掻いた。漫画みたいな仕草、と思った。
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