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「久しぶり。焼けたね……って言いたいけど、全然焼けてないね」
「うん、ほとんどホテルの中にいたし」
前期授業の最終日、彼女の誕生日でもあったその日にあげたオリーブグリーンのショルダーバッグが細い肩にかけられているのを見て、ことさら嬉しくなった。
彼女が現れると、わたしの視界はようやくクリアになり、色彩を持ち始める。
水槽のアクリル板を通して世界を見つめる魚から、人間に戻ることができる。
文化人類学の教授がプロジェクターを抱えて講堂に入ってくるまで、わたしたちは夏休みの思い出を少しずつ交換した。
ささやかな宝箱の内側を見せ合うように。
午前中の授業が終わる頃には、現実は輪郭を取り戻しつつあった。
荷物をまとめ、夏月に続いて講堂を出ようとしているとき、わたしは小さな違和感に気づいた。雨の最初のひと粒を頬に受けたときのような違和感。
廊下側のいちばん後ろの席から立ち上がろうとしている男性の、砂漠の砂のような色のシャツが目を奪う。
同じ大学生にしてはかなり年上に見えた。独特の落ち着いた雰囲気をまとっていることが遠目にもわかる。ひとりだけ違う時間軸を生きているかのような、不思議な空気を漂わせて。
あんな人、少なくとも前期の授業にはいなかった。
「真幌、行くよ。学食混んじゃう」
数歩先に行っていた夏月に声をかけられ、わたしは視線を前方に戻して彼女の背を追った。
混んじゃう、混んじゃう、混んじゃうよ。節をつけて歌いながら廊下を小走りに歩きつつ、夏月はわたしの腕を軽やかに引いた。
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