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「はあ、つ、疲れた……」
ようやく大浴場から出た俺の横で行きより数段機嫌が良さげな陣先輩は「温泉っていいな、また来るか」と背中をぽんぽんと叩いてくる。
バレー部3人の勢いに負けた俺を脱衣室まで引っ張ってくれたので助かったが、手がまだ陣先輩のサイズを覚えてるので忘れたくてごしごしとしてると先輩のポケットから音が聞こえた。
「……」
「電話すか?」
「電話っすねー……出たくねえな、出たくねえ」
「陣先輩、委員会? ってそんな大変なんすね。もう夜なのに委員会の仕事あるなんて」
「だよな? おかしいよな? 出なくていいよな?」
「出てください、委員長!」
一気にまた不機嫌になってスマホを触ろうとしない陣先輩の元に、見知らぬ真面目そうな未だにこんな時間でも制服姿の生徒が駆け足でやって来て、「大浴場に居るって噂、本当だったんですね」と息を切らしてから姿勢を正した。
「こんな時間に小林委員長、すみません。お願い致します」
「……風呂入ったばっかなのにな、くそ、今度は何だ? あ、雅也。1人で戻れるか?」
「大丈夫っすけど、先輩これから何か仕事あるんすか? 大変っすね」
もう夜の9時にも近いし、さっきもへとへとで帰ってきたのを思い出してそう言えば、陣先輩は「こう言うのだよ」と真面目そうな生徒の背中を叩く。
「いいか、橘。俺に必要なのは、こう言う労りの心だ。つうことで休」
「まないでください。他の委員も動いてるんで、小林委員長が居ないと困ります」
「……雅也、あとで帰ったらまた愛嬌振り撒いてくれ……」
はあ、とため息を溢して連れてかれる陣先輩が、さっきの俺の愛嬌振り撒いたのがまさかお気に召されてたことに驚いた。
気をつけてーと送り出し、何の委員会であんなに忙しいんだろうな、と今更ながら思う。
他の生徒にも委員長って呼ばれてるし、結構大変な委員会なんだなあ。
さっさと部屋に帰ってゲームの続きやろと階段の方へ向かってると、前からイケメンと美形に挟まれて「おれ、昨日行けてなかったから大浴場楽しみ!」と言う大声で喋る小柄の奴がこっちに向かってくるのに気付いて、そっと壁に寄り道を開けた。
人間メガホンくんだ、と思い顔に出さないように俯く。
「ふふ、そうですね。真琴とお風呂に入れるなんて楽しみです」
「おい、真琴に色目使ってんじゃねえよ」
「ふん、お前こそさっきから真琴に引っ付いてなんなんですか?」
「喧嘩するなよー、風呂入ってまでしてたらおれ帰るからな!?」
「すみません」
どういう会話してるんだ、とツッコミそうになるのを我慢して真横を通り過ぎる時に「そう言えば」と人間メガホンくんは少し残念そうに声を落とした。
「凌、あんなに誘ったのに全然来ねえなんて悲しい……おれ、凌と仲良くしてえのに……」
「真琴……大丈夫ですよ、今日は仕事が溜まってるだけなんです」
「えー、その割りには夕飯の時から全然見つからねえじゃん! 部屋に行っても留守だし!」
何やら仲良くしたい人物に構って貰えなくて悲しいらしい、大声を上げながら大浴場の方へ向かう背中を一瞥してふうと息を吐く。
近付くと一段と声量ヤバいな、隣の2人は相当鼓膜が強いのかも知れない。
「……ん? 凌って、誰だっけ? どっかで聞いたような?」
この学校で会った人の名前が凌だったはずだな、誰だっけ、同じ人か?
まあいいか、と食堂を越えて、コンビニの前を通りかかると、コンビニの自動ドアが開いてちょうど誰かが出てくる。
思わず開いた音に顔を向けると、そこにはまたしてもこんな時間でも制服姿の人が。
同じように真面目そうな印象の。
「あ、才賀先輩」
「凩……1人か?」
辺りを見渡す才賀先輩に「うす」と頷けば、「そうか」と安堵したように笑って「良ければ」と続ける。
「少し……話さないか? 時間があれば、だが」
「ん、ありますけど……あ、でも俺、クラスの奴に生徒会と接触禁止って言われてるんすよね。特に才賀先輩は親衛隊がヤバいって」
「……」
「すんません、守れ的なこと」
「なら、人が来ない所で、2人きりなら、いいんだな?」
「え? え、ちょ、才賀先輩、あの」
ガシッと手首を掴まれ、才賀先輩は無表情で俺を引っ張り歩くと、コンビニを過ぎた狭めの通路に入ってすぐ、近くのドアの前まで来た。
ドアにはボイラー室、と書かれて、え、ボイラー室?
ガチャとドアノブを捻ると有無を言わせぬ力で引っ張られ、中に踏み込むと先輩はすぐにドアを閉めてガチャと施錠音を立てる。
薄暗い、何やらゴオオと言う鈍い機械の音がする室内で、目の前のイケメンを見上げれば「すまない」と申し訳無さそうに手を離してくれた。
「いや、まあ……ここって勝手に入っていいやつ?」
「いいやつなら誰か来るだろ、駄目なやつだ」
「駄目なやつなら入っちゃ駄目じゃないすか、出ましょうよ」
「駄目なやつだから、誰にも邪魔されない、そうだな?」
「な、なるほど……?」
どういうことかわからないが、確かに立入禁止のとこは普通なら誰も来ないな、しかも今鍵かけたから入れないし。
ふう、と息を吐く才賀先輩は俺を間近に見てくるので、立入禁止の場所だし機械に触れる訳にもいかず、思わず後ずされば背中がドアに当たる。
「……こうでもしないと、凩と話すことが出来ないとはな」
「はあ、そっすね……あの、先輩。朝見た時、すげー疲れた顔してましたけど、今もっと疲れてません?」
薄暗い室内でも才賀先輩の顔が間近にあるせいか、迫力のあるイケメンはやつれてた。
「そう、だな……その、何だ……会話が出来ない奴と話してたからだろうか。会話出来ないことはこんなにもストレスに感じるんだな」
「会話出来ない? あー、でも何かわかるな、俺もさっき会話してくれない人と話してたら疲れたし」
金井とか言う人と言葉のキャッチボール出来なかったのが記憶に新しい俺が頷けば、才賀先輩は「そうか……」と疲れたようにため息を吐く。
陣先輩もだけど、学園生活で何をしたらこんなに疲れるんだろうなと才賀先輩を見て、「えっとじゃあ」と首を捻った。
「俺で良ければ、愚痴とか聞きましょうか? よくわかんないからアドバイスは出来ないかもだけど、聞くのは出来るし、話せばスッキリするんじゃない?」
「凩」
「鍵かかって誰も入って来れないし、機械の音もしてこうして近くないとよく聞こえ……」
よく考えたらめちゃくちゃ近いな、顔の距離もだけど身体的距離も近い。
ドアに背中預けてる俺の横に手を置いて話してる、と言う才賀先輩の状況に気付いて、これ少女漫画なら壁ドンとか女子がキャーキャーするシチュエーションだろ。
近くないすか、と言おうと顔を向けどもイケメンの顔が眼前に来るので俯いてしまう。
「別に愚痴じゃなくても、凩と話せるだけで落ち着けそうだ」
「そ、そっすか……」
音がうるさいからなのか耳元に顔を近付けそう言われてしまい、落ち着かない。
もごもごとしてしまう俺に「凩は」と才賀先輩が続けた。
「何か、困ったことはないか?」
強いて言えば才賀先輩が密着しそうな距離に困ってる、と言いたい。
「いや、特には……みんな、優しいんで……」
「そうか……それは、困ったな」
「え?」
「お前に悩みでもあれば、またこうして話すことが出来るのに」
「……」
イケメンってすごいな、こう言うこと言うからモテるのか、なるほど勉強になる。
予期せぬ言葉に固まってれば「凩?」と才賀先輩が顔を更に寄せてくるので顔を背けながら「俺に悩みなくても」とあまりの近さに目を瞑り答えた。
「別に話ぐらい……あー、そっか、接触禁止令あるんだった」
だからボイラー室でこんな密着してるんだ、合点。
何となく距離の近さに落ち着けずどうしたものか、と悩んでればドアについてない方の手が伸びてきて顎を持ち上げられる。
「凩、そんな顔をするのはやめた方がいい」
「え、や、先輩……えっと、ど、どんな顔してたんすか?」
「知りたいか?」
「ど、わ……ちょっ、」
顎を撫でられてしまい、首の後ろの方がぞわっとして思わず先輩の胸板に手を置いて押してしまうが、くすぐったいのは駄目だ。
知りたくないすね、と小声で答えながらやっぱりこんなに密着するのは駄目だなと先輩の胸板を遠慮なく押す。
「才賀先輩、あの、近すぎると思うんで、ちょ、1回離れません?」
「離れたら声が聞こえにくくなるが?」
「声、張ればいいんすよ、ね、1回、マジで」
ぐいぐい押すが微動だにしないときた、体幹がいいんだろうなあ羨ましい、じゃなくて。
顎をもう1度撫でられて「ひっ、マジ……」とまたぞわっとして仰け反ったせいで背中をドアに打ち付けた。めちゃくちゃ痛い。
「大丈夫か?」
とドアについてた方の手で俺の背中を撫でてきた才賀先輩はそのままグッと俺を抱き寄せる形になってるので早く気付いて欲しい、体が密着してるんだよ。
「先輩マジでちょ、近」
そこで突然ガチャガチャ、と急にドアノブが音を立て、ドアの向こう側で「あっれー、ここ鍵かかってんじゃーん」と言う軽めの声がくぐもって聞こえる。
「いつも開いてんのになー、別のとこ、行こっかあ」
「は、はい」
ドアの向こう側に人が2人居るらしいが、施錠されてるとわかると何処か行ったみたい……ん?
ここって立入禁止なんだよな?
何でしかもボイラー室に入る予定があるんだ、もしかしてここって密談専用に使われてるのかな。
「……今のは」
才賀先輩の低い声を上げながら、はあ、とため息を溢すので、そう言えば密着したままだと言うのに気付き先輩の胸板をまた遠慮なく押す。
「背中、平気なんで。大丈夫だからマジで離れて」
「……わかった」
今度はすんなり離れ、1歩分空いた距離にほっと胸を撫で下ろし、そうだよこんくらい最低限保たれたい。
「にしても、ドアを挟んだら声が聞こえるんだ。また誰か来たら困るしもう遅いし、今日は帰りますか?」
「そうだな。ああそうだ凩」
「ん、なんす、」
離れたはずの距離は1歩の踏み込みでまたなくなり、一瞬で顎を持ち上げられたかと思うと才賀先輩の顔が眼前にあった。
「ん……?」
「……そう言う顔をしていると、こう言うことをされるから、気を付けろ」
「……はあ……は?」
ちゅ、と音を立てて離れてく顔、特に口を見て首を傾げながら自分のそれに触れる。
ちょっと待て?
「え、やっ、マジで? ……そう言うのは、口で言うだけで、いいんすけど……?」
何されたのか理解した瞬間、手の甲で口を押さえ、何でこんなことされたのかわからない、いや、え?
気を付けろって注意する為に、わざわざ実践する必要なくね?
「言うより体感した方が危機感を覚えるかと」
「俺に危機感を覚えさせる為に、才賀先輩、は? 男にキス、したんすか? めっちゃナチュラルに奪ってきたけど俺、ファーストキスなんだけど」
「そうか……そう言えば俺も、したことなかったな。すまない」
「いや、すまないのレベル」
しかも才賀先輩もファーストキスなのか、互いに男が初めてって事実エグ過ぎるだろ。
イケメンなのにキスもまだだったのかと親近感覚えそうだけど、それを同時に済まされたんだ、くそ混乱する。
「な、何か、怒るに怒れないじゃん……い、いい、じゃあノーカンで行こう」
「ノーカン」
「注意の一環で善意でされたから、そう、そう思うことにする、から……才賀先輩もノーカンで」
「……いや、俺はカウントする。初めてはお前だ、凩」
「やめてーカウントしないで、才賀先輩が俺でカウントしたら俺のノーカンが消えるじゃん!」
「わかった、ならこうしよう」
「は、何……ん、ちょ、先ぱ、んんっ」
両肩を掴まれたかと思うと即座に唇を塞がれ、離れようとする俺をドアに押し付けて角度を変えながら食むようにしてくる先輩の唇の感触をダイレクトで感じてしまう。
「は……」と浅い息を吐いて離れ、才賀先輩は俺の顎を撫でながら唇に親指を当てするっと動かした。
「これも、ノーカンか?」
「……か、」
「か?」
「カウント、します……」
「そうか」
何故か満足げに頷くと才賀先輩は離れながらポケットからスマホを取り出すと「もう遅い、送ろうか」と言い出してくるので、俺は口を手の甲で拭いながら「ひ、1人で帰る……」と混乱しながらドアノブに手を回し、焦って鍵を開けると同時にドアを開けてボイラー室を飛び出す。
廊下には誰も居なかったが、駆け足で階段を登って部屋に一目散に向かうとカードキーを滑らせ勢いよく自室に入室して閉じると共に玄関に倒れ込んだ。
ファーストキスを男に奪われた、と言う事実に、嫌悪感を覚えればいいのに。
「い、や、じゃないのか、俺……!」
ちょっと気持ち良かったなんて思ってしまった、絶対駄目だ。
きっと初めてのキスに興味津々なだけだ、じゃなきゃ男にされて気持ちいいなんておかしいだろ、きっと未知の感触に脳がおかしくなってるだけなんだ。
「……ゲームしよ」
大浴場からきっと疲れてるだけだ、落ち着く為に中断したゲームして寝るかと、もう1度口を拭ってから立ち上がる。
結局消灯時間で寝るまで唇の感触は消えなかったし、陣先輩は帰ってこなかった。
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