転校初日

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* 頭を下げ保健室を出ていった凩に、微妙に名残惜しさを感じながら先程まで座っていた場所に視線を向ければ、飲みかけの水が置いてあり忘れ物を届けようとしたが水くらいで追い掛けても迷惑だろうと諦め、何となくそれを手に取り保健室を後にした。 廊下を歩けば前方から「あれ、会長ー」と緩く声を掛けてきた神崎に「どうした」と返す。 「いや、どってことはねーけど、保健室から出てきたから珍しいと思って。会長、保健室嫌いじゃん、ラブホ扱い受けてるからって」 「ラブホと勘違いしてる輩が嫌いなだけだ、お前みたいな」 「ひっでー言い草。あ、水持ってんの、ちょうど喉渇いてんだよね、ひと口ちょーだい!」 「飲みたかったら取ってきたら良いだろう」 「もう飲まないならいーじゃん」 「……」 寄越せと手を差し出す神崎に、俺は蓋を開け乱暴に口を付け飲み干し空になったそれを投げ渡せば「ごみ箱じゃないんですけどー」と文句を言いながら近くのごみ箱に捨てるのを見て、凩の飲みかけだったのを思い出し額を抑える。 別に水くらいやれば良かっただろうに、俺が飲んでいたものでもなかった上に神崎には凩の飲みかけと言うことも知らないし、男同士の飲み回しに何の感情もない。 これが他の奴なら何かあるんだろうが、俺は興味なんてないのだ、恋愛感情を男に持つ訳でもない。 「会長どったの、顔やべーよ?」 「……何でもない」 「そ? 保健室行ったし体調悪いんじゃねーの? 会長が体調不良と知ったらみーんなうるさそーね」 「そうだな……生徒会室で休んでくるか」 こう言う時に生徒会役員で良かったと思う、生徒会室で仕事をすれば授業を欠席しても免除になるのだ。 しかし神崎が「あ、休むつもりならやめた方がいーかも」と制す。 「何が」 「ほら、副会長が案内した転校生、副会長に生徒会室に連れ込まれてんの。ちょうど今ね、生徒会室の方に連れ歩く姿見えたから」 「……は?」 「めちゃくちゃ副会長気に入ってるから、手出すんじゃねーのかな。あの副会長が誰かに惚れ込むなんて珍しいしオレも行こうかなって思ったんだよね! でも会長は体調悪いんならやめとけば?」 「……生徒会室までラブホ扱いするつもりか、お前たちは」 「えーオレはそんなつもりねーけど副会長がさー? つーか、会長は? 転校生に興味ねーの? 資料見たでしょ、可愛い顔してたじゃん!」 資料……確か朝にやや興奮気味の松宮に押し付けられ、「運命的な出会い」がどうとか言いながら遠回しに近づくなと言われたが、顔は特に覚えていない。理事長の甥らしいから容姿くらいは覚えておくべきだったか。 転校生に興味、と言うのなら。 ……もう1人には、あると言うより、放置していたことへの罪悪感と心配が強い。これを興味と言うなら興味だろうか。 「興味は、あるな。転校生に」 「あるんだ、いっがーい」 「物珍しいだろう。それに」 「確かに、転校生ってだけで興味出る!」 「……」 もう1人転校生が居る、と言おうと思った口を閉じてしまう。 神崎と言う男は誰彼構わずに手を出す奴だ。今も松宮がご執心の転校生に興味があるようだ。 そんな奴に、もう1人転校生が居ると言えば、俄然興味を持ち即座に手を出してしまうだろう。 凩は本人に自覚がないのか顔立ちが良い部類にあるし不潔でもない、あの通り明るく話しやすい性格だ、性経験がないのが不思議なくらいそれなりにモテるはず。 「会長?」 「いや……お前がそんなに興味を示しているのも珍しいなと」 「副会長が気に入ってるってだけでレアじゃん、会長もそー思わない?」 「まあそうだな、珍しい」 「じゃあさじゃあさ、生徒会のみんなで転校生取り合おうよ!」 「……は?」 何故そうなる、理解に苦しむ。 転校生のことを好き以前に顔も覚えられない相手をしかも取り合うなんて意味が不明すぎる、勝手にやってほしい。 「面白そうでしょ!」 などと得意気に笑う神崎に、何を馬鹿なことを言っていると言うべく開いた口を閉じた。 もし他の生徒会が凩雅也と言う転校生を知ったら、凩も取り合う対象になってしまうのか? それはさすがに、良心が痛む。 転校初日に散々放置された挙げ句に男に取り合われるなど、可哀想過ぎる。 「何が面白いと騒いでんだ、おたくらは」 と、そこであまり聞きたくはない声に神崎の楽しそうな顔が嫌そうなものに一変し、その背後から現れた男に先程飲み込んだ息を吐く。 「小林か……別に、騒いでいるのは神崎だけだが」 「ちょ、ちょっと会長お!」 「会計はいつも1人で騒いでっからなあ、おつむが足りてねえんだろ」 「っかー、腹立つ! 気分悪いからオレもう生徒会室行くから会長、じゃあね!」 嫌みに不機嫌に去った神崎の背を見送ったあと、小林は「で?」と面倒臭そうに眉間を寄せた。 「転校生取り合うとか、おたくら生徒会は相変わらず正気じゃねえなあ」 「神崎と松宮が転校生を気に入ったそうだ」 「へえ? 才賀会長殿は、気に入ってないと? ……さっき、1人の生徒のあとをつけ回してたって聞いたんだけどなあ?」 「……」 「転校生、2人居るんだってな。で、1人はさっきまで校門で放置されてたと」 「……知ってて放置してたのか?」 「知らねえよ、知ったの今だ今、職員室の前で秋津と白川ともう1人生徒が話してるの聞いて驚きましたとも」 小林の苛ついた言動に、どうやら俺をつついてやろうかと思ったが出遅れたことに面白くないのだろう。 本当に、先に見付けて良かった。 「別に言い触らしはしねえよ、こう言っちゃなんだが、その転校生には転校生として注目を浴びて欲しくねえわ。さすがにこんな時間まで送迎車に見捨てられ校門で放置なんて話題が強すぎる。あんたも、それで会計に言わなかったんだろ?」 「まあ……」 「……ふーん? とりあえず、こっちでもその転校生のことは目立たないようにするつもりだが、会長殿も気を付けろよ?」 「何をだ」 「あんたが特定の誰かに近付くなんて、それこそ注目しかされねえよ」 言いたいことを済んだのだろう、小林がそのままその場を離れ見えなくなってから、息を吐く。 同情で気にしているだけだ。 話しやすい上に、男に必要以上に近付かれて嫌がる感性と距離感がちょうど良かっただけで。 全てがそういう浅ましい感情に変換されるのは、些か気分が良いものではない。 だが、しかし。 他の奴が凩雅也に浅ましい感情を向けると思うと、それはそれで不快感が募る。 そういう対象にされたくない、そう思うのは悪いことだろうか。 *
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