掃除が苦手なある女性の独白

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掃除は苦手だ。 特にまだ使える””何か”をゴミとして切り捨てるという行為がどうしても好きになれなかった。 たとえば使ったティッシュペーパーだとかのもう使えないだろう、燃やすしかないモノに関しては多少の罪悪感を抱くけれど、捨てることにためらいはない。 アルミ缶やダンボールなどリサイクルできるものも、捨てるというよりは再利用するために手放す、質屋に預け入れるような感覚なのでこれもまた抵抗はない。 問題は古いタンスや背の壊れた椅子。 古ぼけてぼろぼろの人形やお土産のお菓子などが入っていたカンカンや瓶。 用無しなってしまった、でも決してもう使用できないわけではない。 そういったものは、どうしても捨てることができなかった。 たまに遊びに来る妹は小学生の頃に祖母から譲り受けた桐箪笥を見て「お姉は物持ちがいいね」なんて呆れ半分にため息をつく。 ものを大切にしているわけではない、 実際はただ捨てられないだけなのだ。 だから、年末の大掃除は憂鬱でたまらない。 家業の関係の実家の掃除に駆り出されるときは特にそう。 両親も妹も弟も、私以外の家族は流行りものが好きだ。 そこそこ裕福な家庭だからというのもあるかもしれないけれど、服も、家電も、化粧品も、自動車もよく買い換えるし、モノがまだ使える状態でも捨てることに躊躇しない。 まだ、動くのに、使えるのに、彼ら彼女たち捨ててしまう。不要と切り捨てる。 その感性が合わないのだ。 血のつながった家族だろうと同じ環境で育ったきょうだいだろうとわかり合えないことはある。 私の場合、モノに対する扱いだった。 だけれども、私は悲しいことに長子だった。 実家はそれなりの伝統と歴史を持つ家業を営んでいて、性別関係なく一番初めに生まれた子供が跡取りとして育てられる。 それが嫌で嫌で家業に反発して、出奔するように都会に出た頃もあった。 けれど、結果は社会の荒波にもむにもまれて心身ともにボロ雑巾のようになったところで実家に強制送還。跡取りコースに出戻り。 せめてもの意地で、実家ではなく近くのアパートで暮らしてるが頻繁に家族がやってくるので一人暮らしの定義が乱れる日々をおくっている。 「お姉、それもう捨てちゃいなよ」 妹の言葉に首を振る。 大掃除の日、やはり私はモノを切り捨てられなかった。うじうじ悩む私の代わりに妹と弟がさくさくと不要と切り捨てる。 だって、まだ使える。 動いてるし。 「おねえ、これは」 「だめ」 細長くて白いそれを抱き上げるように持ち上げた。 この前の仕事でこわしたものの左腕。 骨になってしまったけれどもしかしたらまだなにかに使えるかもしれない。 「いやいや、もうむりっしょ」 弟の言葉に首を振る。 半ば腐り落ちた生首は、かつて美しい顔をした男だった。美貌に傲り、あまたの女性を騙した面影はもうない。観賞用にもならないよと妹は言う。 でも、髑髏は杯としてつかえるでしょう。 織田信長にでもなる気かよ 弟は呆れた気味にいう。 実家の地下室には家業で手にかけてきた"モノ"押し込められている。 主に私が”ゴミとして処分”できなかったモノが。 大晦日前に、ここを掃除するのが一苦労なのだ。 数は多いし何よりも私にはすべて何かしら使えるものに見えて、捨てるという選択肢を選べない。 妹と弟はさくさくと切り捨てる。 まだ、動いているものも不要と判断するのが早い。 迷いなく、モノを切り刻み黒いごみ袋に入れる。 親類の家にある高温焼却炉まで持っていくためだ。 「お姉」 「お姉の収集品もちょっとは整理してよね、管理とかいろいろ大変なんだから」 溜め込んだモノを妹たちはお姉の収集品と呼ぶ。 集めているわけではないのだけれど。 まだ、使えるのものを容赦なく切り捨てて、動いているものも要らないだろうと容赦なく分解して袋に突っ込んだ去年の妹の所業を思い出して、ほんと、掃除は嫌いだ。 向いていない。 「家業が暗殺者っていったいどこのラノベ設定よ…」 生きている人間に不要、必要なんて私には決められない。判断できない。 不要なものを。 いらないもの。おかしなもの。こわれたもの。あぶないもの。みにくいもの。 きりすてられるゴミたちにいつかの私を見てしまうから。
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