複雑な素直

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「怒らないで下さいよ。結局、大槻さんは神谷さんのことばかり考えているんですから……」  委縮するほどの迫力だったが、マスターは怯まない。腕を組み、応戦するように目線を合わせてきた。 「……そうだろうな。そうなるようにこの半年間、愛情たっぷりに尽くしてきたんだ。あんたに入る余地はねぇよ」  言い切って眼力を強くした。 「余地はない、ですか。それは今のところは……という解釈でよろしいでしょうか?」  表情を変えずにマスターは言った。どうやら引くつもりはないようだ。 「……取りあえず、かずちゃん連れて帰るんで」  いつまでも張り合っていられない。一司の身体が最優先だ。宣戦布告をあえて無視した。 「タクシー呼びましょうか?」 「大丈夫よ。マンションも近いから、背負って帰るわ」  申し出を断って一司の肩を優しく揺さ振った。 「うぅ……ぅ」  唸りながらも一司は瞼をゆっくりと開いた。 「……かずちゃん、起きれる?」 「ん……かみ、や……?」  顔を覗き込むと、虚ろな瞳はしっかりと神谷を捉えていた。 「そうよ、あたしよ。迎えにきたの、おぶってあげるから、乗って……」  一司の身体を支えて起こしたあと、背を向けてしゃがんだ。直後、重みを感じた。どうやら素直に従ったようだ。足腰に力を入れて神谷は立ち上がった。軽くはないが、負担にはならない。彼を背負うのもこれで二度目だ。本当に世話がかかると頬を緩めたところで、一司は甘えるような仕草で肩に額を預けてきた。そして、掠れた声で囁いた。 「……かみ、や……ごめ……ん」  聞き間違えでなければ、謝罪を口にしている。迷惑をかけたと思っているのだろう。 「いいのよ……気にしないで」  寧ろ頼ってくれて嬉しい。一司の心を少しでも軽くさせてあげようと神谷は小さく笑った。 「……ご、めん……」  もう一度謝ったあと、静かな寝息が聞こえた。また眠ってしまったようだ。
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