複雑な素直

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「これ、持てます?」  マスターが一司の手荷物を手渡してきた。ビジネスバッグの他に大きな紙袋があった。汚れたスーツが見える。泥だと分かった。何があったのだろうか。怪訝がっていると……。 「仕事のトラブルらしいですよ」 「……そう」  答えに頷いた。どうやらマスターと一司は、かなり話し込んでいたらしい。 「よかったです。神谷さんがちゃんと来てくれて」 「そりゃ来るわよ。マスターが、かずちゃんのお尻掘ったら大変だもの」 「下品な言い方ですね……流石にそんな事はしませんって」 「どうかしら? この前、かずちゃんの頭を厭らしく撫でていたこと、忘れたとは言わせないわよ?」  誤魔化せると思ったら大間違いだ。苦笑いを浮かべるマスターに厳しく問い質した。 「やっぱり見ていましたか? つい、手触りが良さそうだったので……」  彼は悪びれもせずに肩をヒョイと竦めた。 (要注意だ……この男)  警戒が強まった。これ以上、一司と親密になられては困る。 「……とにかく、二度とかずちゃんに気安く触れんなよ!」  声高に忠告して、神谷はバーを足早に立ち去った。   ***  身体が熱い。喉が渇いた。誰か、助けて欲しい……。  暗い闇の中、一司はひとり、重い苦しみに藻掻いていた。その時、空間を切り裂くほどの怒号が轟いた。 『――全く、お前は何て事をしてくれたんだ!』  元義父、倉林の声だった。 『お義父さん……!』  怒りを飛ばす彼に一司は縋りついた。    この場面には見覚えがあった。橘結人の一件で逮捕され、釈放された日のことだ。迎えに来た父と一緒に倉林家へと足を運んだのだ。謝罪が目的だった。しかし、家に入ったのは一司ひとりだ。父がそうさせたのだ。自分でけじめをつけてこい、と。
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