やさしさに触れた時

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 翌日。一司はいつも通りに出勤し、業務に就いていた。  いや、語弊がある。神谷の部屋で目覚めてから、彼の作った手作り弁当を携えて出勤したのだ。  服も彼が準備してくれた。泥で汚れたワイシャツとスラックスは丁寧に洗濯され、浴室乾燥とアイロンのダブル使用で見事、よみがえったのだ。その服に一司は今、身を包んでいた。靴も泥が落とされていた。  体調もかなりよくなった。神谷が献身的に看病してくれたのだろう。何から何まで世話になりっぱなしというわけだ。 (何してんだよ、俺……)  デスクの上で項垂れたのは、これで何度目だろうか。  時間が経てば経つほど、昨夜の出来事が鮮明に甦ってくる。熱に浮かされながら、濃厚な口づけを交わしたこと。神谷の存在に安心感を覚えたこと。会いたいと願ったこと。全て覚えているわけではないが、とにかく醜態を晒したことだけは確かだ。  そもそも、どうしてこんな事になったのか。 (タイピンだよな……)  原因はそれだ。煩わしい気持ちをクリアにしようとして『idea』に行ったものの、何も解決しなかった。それどころか、マスターの恋愛話から余計に心は縺れた。例えるのならぐちゃぐちゃに絡まった糸だ。  彼は言っていた。人を好きになるのは理屈ではなく本能だと。自分でも気づかない内に、溺れていく……と。その言葉は一司の胸にストンと落ちた。 (そんなわけあるか……ふざけやがって)  ここにきて否定した。昨夜は熱のせいでおかしくなっていたのだ。神谷に会うのは少し控えよう。このままだと、取り返しがつかなくなる。そう決めた昼休憩。神谷お手製の弁当を鞄から取り出した。
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