やさしさに触れた時

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「会いにって……お前、何時だと思ってんだよ」  どうしてと問う前に心配が駆けた。夕方五時。日入りの時間はもうすぐだ。小学二年生の怜がひとりで出歩くには抵抗がある時間帯だ。 「大丈夫だって。家、近いし」  怜は口を尖らせた。都営住宅はここから徒歩十分圏内だが、理由にはならない。おそらく怜は一度も帰宅していない。下校してから局にやって来たのだろう。そして一司が出てくるのを待っていたのだ。センターに用事があったからよかったものの、通常の業務であれば夜まで庁舎に缶詰だ。この偶然に安心しながらも、一司は首を左右に振った。 「ダメだ……早く帰れ。送ってやるから」  怜の柔らかな髪をくしゃくしゃと掻き撫でた。 「平気だよ。オッサンって心配性なんだな」 「だから、オッサン言うな。俺には大槻一司って名前がある」 「知ってるよ。じゃあ、一司さんって呼んでいい?」 「……好きにしろ。それでどうしたんだ。何か用があってきたんだろ?」  爛々と輝く瞳に負けたのか、一司は嘆息を漏らしつつも呼び方を許可した。 「うん……実はさ」  頷いた怜がハーフパンツのポケットを漁り、何かを取り出した。 「ほら、これ……探してたやつ」  小さな掌が目の前で開かれた。そこには、あのシルバーのネクタイピンがあった。 「っ……お前、なんでこれ……」  声が震える。思わず目を疑った。 「なんでって、一司さんの大切な物なんだろ? それだったら探すしかないじゃん。泥だらけだったから洗っておいたよ」  ほらと、怜は腕を伸ばした。一司はそっと、ネクタイピンを手に取った。輝きは失われていなかった。傷もついていない。見つかるなんて夢にも思わなかった。無理だろうと諦めていた。
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