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「まあ、過去の恋愛を振り返っても何も始まらないので、次を見つけますよ」
視線はすぐに逸らされた。マスターはいつものように柔らかく笑って見せた。
(なに、動揺してんだよ……)
彼はここにいない失恋相手を想ったのだ。それなのに自分に向けられたと勘違いしてしまうほどの情熱を感じた。則ち、彼の中ではまだ消化出来ておらず、未練が残っているということだ。
(やっちまった……)
失恋の傷を抉るようなことをしてしまった。申し訳ない気持ちが強く込み上げたところで着信を知らせる音が鳴った。画面には『神谷』の名前が表示されていた。既読無視を咎められそうだ。一司は端末を手に、電話に出るか出ないかを迷った。
「……出ないんですか?」
不思議がったマスターが尋ねた。
「いや、出るよ……」
着信まで無視をしたら、また煩く言われそうだ。一司は通話をタップした。
『ちょっと、かずちゃん! 今どこにいるのよ!』
出るとすぐに神谷の大声が耳を突いた。
「まだバーだよ。新年会は終わったのか?」
『終わって、今そっちに向かってるわ! もうすぐ着くから、かずちゃんはお店の外に出て待っててちょうだい!』
走っているのだろう。彼の声は息切れていた。
「別に迎えなんていらねーけどな。とりえあず寒いから店の中で待ってる」
そう言って一方的に通話を切るとマスターの笑い声が微かに聞こえた。
「何だよ?」
おかしなことでもあったかと、瞳で問いかけた。
「いえ、相変わらず仲がよろしいなと思いまして。今の電話、神谷さんでしょう?」
「ち、違うって……仲いいとかじゃねぇし!」
マスターには神谷との関係は伏せている。男同士の恋愛だ。そう簡単に話せるものでもない。
「そうですか。それで、交際はいつからスタートしたのですか?」
「えーと、秋の終わりごろからだから、二カ月経ったくらいだなって……何だって⁉」
あまりに自然な聞き方だった。流れに沿って答えた直後、一司は前のめりになってカウンターへと身を乗り出した。
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