ずっと一緒にいたい

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「神谷、早かったな……っ⁉」  椅子から降りようとしたが出来なかった。ネクタイをグイッと引っ張られたからだ。一司の身体はそのままバランスを崩し、カウンターの方へ傾いた。その直後……。 「っんぅ……!」  唇に柔らかい何かが触れた。伝わる感触に一司は瞳を大きく見開いた。 (なに……?)  状況が理解できない。ただひとつわかるのは、マスターの顔がかなり近い距離にある事だ。いや、これは密着だ。一司は彼に口付けられたのだ。唇は数秒間合わさったあと、そっと離れた。茫然とする一司にマスターはニヤリと笑って言った。 「これは、今まで俺の気持ちに気付きもせずに、神谷さんのことで惚気まくっていた大槻さんへのささやかな仕返しです。ご馳走様でした」 「マ、マスター、それって……ええ?」  わかってしまった。彼の好きな相手とは自分のことだったのだ。  ここで怒り声が飛んだ。 「……かずちゃん、帰るぞ!」  酷く狼狽えて、あたふたとする一司の腕を神谷が引っ張ったのだ。 「っ……神谷!」  これは大変なことになってしまった。慌てて隣の席に置いてあった鞄とコートを手にした一司を、神谷は引き摺るように連行した。 「ありがとうございました、またいつでもお越し下さいね」  扉を開ける直前、二人の背に向けてマスターが言った。 「……あんた、ほんと油断ならねぇよ」  神谷がゆっくりと振り返った。地を這うような低い声を放ちながら、マスターを睨みつけていた。瞳は怒りの炎でギラギラと揺れていた。 「そんなに怒る必要はありませんよ。子供騙しのようなキスです。大槻さんにも言いましたけど、俺は過去をあまり振り返らない主義なんで、もう手出しはしませんよ。さっきのは悪戯を交えたちょっとした仕返しです」  マスターは余裕の態度だ。目を細めながら人差し指で自らの唇を指した。 「あんたなっ……!」  煮え滾る怒りのまま神谷が動いた。
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