番外編・ねがいごと

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 怜は今でもセンターから戻った日の事を夢に見る。  出て行ったはずの男が戻ってきたのだ。嫌だった。出て行け、お前なんか大嫌いだと言った。男の逆鱗に触れたのだろう。次の瞬間には頭を強く蹴飛ばされた。脳に物凄い衝撃が走り、怜の身体は壁へ打ち付けられた。ぶつかった拍子で食器棚が倒れた。そこから先は何も覚えていない。  目覚めた時には、白くて明るい空間にいた。病院の先生と看護師の顔があった。それから少しして、センターの牧野と、涙を流す大槻一司が姿を見せた。 『俺は怜のおかげで、たくさんの事に気付けたよ。お前に出会えてよかった……ありがとう』  まだ朦朧とする意識のなか、一司は怜の手を取って真心を伝えてくれた。  嬉しかった。怜はどこかで、自分はいらない子だと思い生きてきたからだ。それなのに一司は出会えたことを『ありがとう』と言ってくれた。  怜の心は温もりに包まれた。言葉に出来ない代わりに、一司の手をそっと握り返して、同じ『ありがとう』を伝えた。すると一司は更に泣き出した。  大人も声を上げて泣くのか。初めて見た。驚きを感じながらも涙を流す一司の顔を見つめた。 (キラキラ、してる……)  窓から照らす太陽の光が涙の雫を反射する。綺麗だった。一司の涙はまるで宝石のようだった。 (よかった、動く……)  一司の存在に安心したのだろう。怖い記憶で硬直した身体が解れていく。怜は鉛筆を再び動かした。 「あら怜くん、何を書いてるの?」  背後から優しい声が聞こえた。怜は椅子に座ったまま振り返った。  声をかけたのは、施設の職員で児童たちを我が子のように可愛がる女性がいた。名前を田島道子(たじまみちこ)という。牧野とも親交が深いと聞いている。 「道子……先生、手紙を、書いてるん、だ。大切な、人」  たどたどしい言葉で語る怜へと田島は笑顔で耳を傾ける。  怪我の後遺症はあるものの、以前よりも声は出やすくなった。左手の麻痺も少しずつだが回復に向かっている。日常生活に不便はない。   施設の暮らしにも慣れてきた。今では友達もでき、怜なりに充実した日々を送っている。田島を含める職員先生や施設長も、皆、子供たちに優しい。  母に会いたい気持ちもあるが、怜にとって施設(ここ)は居心地がよかった。ビクビクしなくても済む。理不尽な怒りや暴力もない。寂しくはなかった。なにより怜には、いつでも会いに来てくれる人がいる。  
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