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翌朝、六時。一司は隣で眠る神谷をそのままにマンションを出た。
街路樹が続く大通り沿いの歩道をゆっくりとした足取りで歩く。土曜ということもあり、人通りは少ない。
「ふぁ~眠っ……」
隠しもせずに大きな欠伸をした。
結局、神谷の話が影響してか熟睡出来なかった。眠気が酷い。帰ったら二度寝だと一司は気怠げに首を回した。
「……あんな話、どうしろっていうんだよ」
聞いたのは自分だ。わかっている。それでも一司は呟かずにはいられなかった。複雑だった。いくら過去を明るく打ち明けても、神谷の苦労が手に取るようにわかったからだ。
母子家庭の厳しい経済状況を局に異動してから嫌というほど目にしてきた。おそらく神谷も同じ境遇だったのだろう。
母親が生活のやりくりのため、小さなスナックを経営していたと言っていたからだ。
神谷のことだ。そんな状況でも、底抜けに明るく振舞い生きてきたに違いない。自らの性を押し殺して、辛いことも悲しいことも乗り越えてきた。神谷が年齢の割に落ち着いているのは、そういった経験があってのことだろう。
(……俺とはえらい違いだな)
比べて落ち込みはしないが、心は晴れない。
神谷は自分の生き様を恥ずかしくないと堂々と言っていた。見栄とかプライド、地位や権力。そんな物をいっさい欲せず、必要ともせず、ありのままに生きる彼の姿は、一司にとって眩しくて仕方がなかった。
「……鬱陶しい」
吐き捨てて歩みを止めた。ふと顔を上げると、目の前には朝焼けが広がっていた。光はやがて東の空を美しい朱鷺色へと染めていく。都会を照らす旭日に一司は目を細めた。
(……神谷みてぇだ)
全てを包み込む陽光は、まるで彼の心のようだ。
「バカか俺は……」
自分らしくない思考だ。自らを揶揄った一司は、眩い光を振り払うようにして家へと急いだ。
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