溺れそうだ

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「怜くんの家庭事情は調査中よ。近々局にも報告があがると思うわ」  牧野はそれ以上、口にしなかった。プライバシーの関係があるからだろう。 (都営住宅か……)  低所得者向けに賃貸する住宅だ。公営住宅とも呼ばれる。  住居するためには幾つか条件がある。先に述べた低所得者。住むところ、そのものに困っている者。身体障がい者。生活保護受給者などが挙げられる。一司が推測したのは、怜の母親はシングルではないかということだ。想像以上に怜の境遇は複雑かもしれない。 (……でも、俺には関係ない)  自分に任された仕事だけをしていればいい。余計な同情や思いやりはいらないと割り切った。 「……大槻さん、今日は本当にありがとう。また子供たちと一緒に遊んでくれたら嬉しいわ」  そんな一司の心を見透かしたかのように、牧野は目尻を下げた。 「……もうガキの相手は勘弁です」  今日限りだ。素っ気無い口調で言った。 「その割には楽しそうだったわよ。いい汗かけたんじゃない?」 「……失礼します」  揶揄いも無視だ。微笑みをこぼす牧野に軽く頭を下げたあと、ベンチに置いてあったジャケットと荷物を手にした。 (……ネグレクト、本当にそれだけか?)  一抹の疑いが過る中、一司は広場をあとにした。怜の笑顔がなぜか頭にこびりついて離れなかった。 *** 「まったく……アポを取ったって言ったのは、一ノ瀬だろうが!」  局に戻る途中、一司はスマートフォンを片手に文句を垂れた。  たった今、一ノ瀬に田辺不在だったことを告げ、今の今まで子供たちの遊びに付き合わされていたと不満たらたらに電話を入れたのだ。    電話の向こうで彼女は言った。田辺も副所長たる以上、緊急を要する仕事が多いと。擁護するような科白は一司の苛立ちを増長させた。最初から田辺に会えないとわかっていれば、センターに行く必要もなかったのにと。
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