複雑な素直

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「まさか、落とした……?」  呟いて辺りを見渡した。その間も、雨は容赦なく身体へと降り注ぐ。  サッカーで遊ぶ前までは、ちゃんと留めてあったはずだ。邪魔になるからと上着を脱いだ時、光るタイピンへと視線を落としていたからだ。 「冗談だろ……」  ドクンと嫌な鼓動が鳴った。  雨が激しさを増す。土の地面はすでに泥濘(ぬかるみ)はじめていた。ここから探すのは至難の業だ。けれど雨が止んでからでは遅い。水溜り浸かり、その上から土でも被ったら、もう見つからないだろう。 「……っ!」  気付いた時には泥の中へと足を突っ込み、雨打つ地面へと視線を這わせた。見透しが悪い。 「くそっ……!」  一司は地面に両手と両膝をつき、泥を掃くようにしてタイピンを探した。 (どこだ……どの辺で落とした!?)  焦りが出た。雨に濡れた髪が額や頬にへばり付く。視界の邪魔になると、泥塗れの手でそれを拭った。  もう顔も髪も全部が泥だらけだ。革靴もスラックスも茶色く染まっていく。白のワイシャツにも泥が飛び散っていた。これだけ汚れていても一司は探すことをやめない。必死にタイピンを求めた。 『――かずちゃんに似合うと思うの』  脳裏に神谷の声が過った。 「……なにしてんだよ、俺はっ……!」  どうして落とした。思わず泥を掴んだ時だ。 「オッサン、何してんだよ!」  戻らない一司を心配したのか、怜が引き返してきた。 「お前はいいから、入ってろ!」  それだけ言って立ち上がった。ここには落ちていないようだ。次はゴール前へと移動した。すると足音が背後から聞こえた。振り返ると怜がいた。 「だから、戻れって言っただろ! 牧野さんに叱られるぞ!」  怒鳴った。それでも怜は動かずに、雨の中、真っ直ぐな眼差しを送ると……。 「何か探してるんだろ? だったら俺も一緒に探すよ……」  そう言って、地面へとしゃがみ込んだ。
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