複雑な素直

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「……今夜も美味いよ。さすがマスターだ。好みの味をわかってくれてるし、気分によって分量も変えてくれる……俺の専属みたいなもんだぜ」  最大限に褒めるとマスターは静かに微笑んだ。 「大槻さんに、そこまで言ってもらえるとは意外です。作り甲斐があります」 「俺だって褒める時ぐらい、あるんだよ。まあ、滅多にないけどな」  光栄に思えと言わんばかりに一司は鼻で笑った。 「確かに……貴重なお言葉、ありがとうございます」  純粋に嬉しいのだろう。マスターは少し照れながら、小さく頭を下げた。 (いい男だよな、マスターって……)  とにかく落ち着いている。感情の乱れなど知らないのだろう。ここで一司は、彼の恋愛事情がふと気になった。  マスター目当ての女の客はたくさんいるとは知っている。色目に流されない彼も知っている。もしかしたら特定の相手が既にいるのかもしれない。 「……そういえばさ、マスターって恋人いるのか?」  気が付けば問いかけていた。 「いきなり何かと思ったら……お客様には自分の事はあまり語らない主義なんですけど」  困ったようにはにかんだ彼はダスターでカウンターを拭きはじめた。はぐらかされたのだ。 「いいじゃねぇか。たまにはマスターの話を聞かせろよ、いつも俺の事ばっかり聞きやがって」  こうなったら何が何でも聞き出してやる。一司は頬杖をつきながら口角を上げた。 「それは……大槻さんが勝手にベラベラ話し出すからでしょう?」 「でも聞いてるじゃねーか。ほら、話せよ」  尤もな返しを蹴って強引に攻めた。押し問答になるのが嫌だったのだろう。マスターは早々に観念し、口を開いた。 「恋人はいませんよ。でも好きな人はいます……」  真剣な面持ちだった。彼の瞳は一司を真っ直ぐ見つめていた。
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