複雑な素直

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「聞いておいてなんだけど、俺には人を好きになるって気持ちは、今一つわかんねぇけどな」  飲み干して、空になったグラスを置いた。 「人を好きになるのに、わかるも何もないですよ」 「達観してんじゃんか」  少し間を置いたあと、マスターは静かに語った。 「……きっと理屈じゃないんですよ。恋愛はいわば本能で、知れば知るほど、会えば会うほど求めてしまう。その欲求は次第にブレーキが効かなくなって、溢れ出してしまう。自分でも気付かないうちに、相手に溺れていくんですよ」 「……そんなもんなのかねぇ」  口ではそう言いながらも、彼の一語一句が一司の心に響いた。まるで自分が求めていた答えのようだった。 (じゃあ、俺のこの感情は――?) 「……好きな方、いらっしゃるのですね?」  自己に問う前にマスターが言った。 「ち、違うって! ただ単に疑問に思っただけで……」  すぐに否定して、かぶりを振った。 「でも最近の大槻さん、恋煩いのような顔して、ずっと悩まし気な溜息をついてますよ」  嫌なことを口にする。一司は表情を険しくした。 「だから違うって言ってるだろ……もう帰るからな!」  言い放って、勢いをもって席から立った時だ。一司の視界がぐにゃりと歪み、回転をはじめた。 (やべっ、眩暈……)  目元を手で押さえたが、グラつきに耐えられなくなった。一司はそのまま床へと崩れ落ちた。 「っ、大槻さん……!?」  マスターの慌てふためく声が店内に響く。 (熱い……)  身体が酷く熱くて怠い。息を吐くだけで喉が焼けそうだ。体力の限界を迎えたのだ。   意地張らずに、神谷のところに行けばよかった。いつものように彼のあたたかさに甘えておけばよかった。意識が朦朧とする中、一司は素直になりきれない自分を悔いた。 「……かみ……や」  無意識に呼んだ。ただ、会いたかった。
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