自己始末 ~ 或る男の独白

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あなたは几帳面、几帳面すぎるほど几帳面、と誰もが言う。  神経質なほど綺麗好き。  これは、もう、性分だね、狂おしいほどの。 くるおしいほどの性分、だが、泣いて妻は去った。  息苦しいのです、と訴えて。 たしかにそうかもしれないが、俺は別に、掃除しろなんて言っていない。  部屋が汚れていると責めてもいない。  俺が気になったところを掃除するだけ。  だが、彼女にはそれが嫌味に映ったらしい。  お前の掃除はなっていないと言われているも同然だ、と。  …女というものは、本当に難しい。 かくも几帳面なのは、母親譲りと思う。  一緒に暮らしたのは3歳まで。  その僅かな記憶の中で、彼女はいつも掃除をしていた。  俺が喘息持ちだったせいもあるんだろうけれど。  とにかく、ちょっとの埃も許せなくて。  夫、つまり俺の親父に、いい加減にしろと怒鳴られて。  それでも、決してやめなかった。 わたくしには我慢できません、あそこも、ここも、汚い、不潔―。  母はだんだんとヒステリックになり、やがて神経を病んで行った。  ある日、ぷつんと糸が切れたように、一切の掃除をしなくなった。  家の中は荒れ放題になり、だけどそれをそうと認識することなく。  ただぼんやりとした目で日々を送っている。 「りゅうさん、あなたは、母親似ね」  幼いころから、そう言われ続けてきた。  大好きな母に似ていると言われ、子どものころは素直に嬉しかった。  だが、母が神経を病んでからは、その言葉は呪縛となった。  俺は恐れた、遺伝子の力を。  いつか俺も、同様に神経を病んでしまうのか?  世の一切を放り出し、焦点の合わない目で日を送ることになるのか?  考えまいとしても、一度その思いが頭に浮かぶと止まらない。  何度も何度も反芻し、苦しくて胸が塞ぐ。 うららかな午後の診療室で、医者は、言った。  考えすぎですよ、お母様のご病気は心の問題だ。  あまり考えすぎるのが、よくないのですよ、と。  わかっている、だが、考えずにはいられないんだ。 のろのろと、身を起こす。 「あれ? 今…?」  俺は何をしていた?  うららかな春の午後、自室で、畳に付していた自分に気が付いた。  寝てはいなかったはず、だが、その前の数分の記憶が、無い。  いや、やはり寝ぼけたか、そう思い込もうとしたが。  嫌な予感が頭の中を支配していく。  ああ、もしや俺もついに…? すぐにその恐怖は俺を支配し、長い間、ただ布団をかぶって過ごした。  じっと、掛け布団の洞穴で、自分の呼吸音だけを頼りに。  そうして数日経ったある日、突然、目の前の靄が晴れた。  そうだ、考えてもしょうがない。  俺は決意した。  いつ病魔に襲われるかとびくびくするのは、もうやめだ。  俺は、自分でこの問題に決着をつける。 けつだんすれば、行動は早い。  部屋の中をこれでもかと掃除し、整頓する。完璧だ。準備は整った。  次は、俺を始末する番。  机に唯一残った、白い紙袋。  中には、不安で眠れない俺に、医者が処方してくれた薬。  コップに水を汲んで、さあ、自己始末をはじめようー。 FiN
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