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エピローグ
冷えすぎた部屋に熱が欲しくなり、陽向はエアコンを止めると窓を開けた。八月も終わりに差し掛かった日の夜のことだ。窓からは湿った熱い空気が部屋の中へと流れ込んできたが、夏の盛りの頃のような尋常ならざる熱はない。一時期よりも幾分ぬるくなった夜風は、夏ももう終わりに近付いているのだと教えてくれた。もう何日かしたら、夜の闇に虫の声が混ざり始めるだろう。
振り返れば、あっという間の夏休みだった。
純の件が片付いてから、陽向はしばらく地元でのんびりとした日々を送っていた。珍しく陽向の方から両親を連れて『よしふじ』へと行ってみたり、昔、純とよくケーキを食べに行った店へと足を運んだりと、気の向くままにして過ごしていたら七月はあっという間に過ぎて行った。ぼんやりと住み慣れた街を歩いたり、昔の友達と会ったりするのは実に久しぶりで、こんなにゆっくりした休みはしばらく過ごしていなかったのではないかと思うほどだった。
名残り惜しいものの、東京へと戻ってからはまた慌ただし日々の始まりだった。課題にアルバイト、その間にもちろん遊びにも行く。これが大学生の夏休みの醍醐味というやつか、と考えるとつい色々なことを詰め込んでしまう。来年の夏は就職活動の準備もある。自由にできるのは今のうちだった。
東京へと戻ってきてすぐに、陽向はあの奇妙な店へと行ってみた。だがあの店のあった場所には既に別の店が入っていて、喫茶店のような奇妙な店があった痕跡は何もない。どうやら『必要なときに必要な人がこられるようになっている』といった純の言葉は本当だったらしい。予想はしていたが、実際に見るとやはり寂しい。改めて、純が遠くに行ってしまったことを目の前に突きつけられたような気がした。
久しぶりにバイト先へと顔を出すと、坂崎は『うむ。大野の時給は全て俺の懐に入った。ありがとう。また何かあったら存分に頼ってくれたまえ。はははははは』と笑っていた。バイトを休んで感謝をされるとはわけがわからないが、どうやら坂崎は時間を持て余しかつ金欠だったらしい。頼りにはなるが、やはり坂崎は不思議な人だ。
まどかとは夏の間に何度か遊びに出掛けた。映画を見て、かき氷を食べて――まどかが助っ人で出るというテニスの試合も見に行った。まどかは『遊びでしかやったことない』というがテニスの腕はなかなかのもので、出た試合には圧勝だった。つくづく、まどかのような人が陽向と親しくしてくれるのかよくわからない。一度素直にそう言ったら、『まあ、そういうところなんだけど』と笑われた。まどかに言わせると、『そういうのも含めてご縁てやつよ』というらしい。まどかにとっては学生時代最後の夏休みだ。『ご縁なら、就職しても遊んでね』といったら、「ちゃんと奢ってあげるから』と笑われた。
吉藤と綾とは、稀に連絡をとっている。また帰ったら『よしふじ』で会おうと約束をした。次に陽向が帰省するのは年末年始になるだろうか。それまであっという間だろう。
一日一日が飛ぶように過ぎていく。日々、目の前のことを片付けるのに忙しく、立ち止まってゆっくりと物事を考えている余裕などあまりない。
それでも、時折ふと思い出すのだ。大好きな友達のことを。
気の強い友達のことだから、きっと、あの得体のしれない何かのことも尻に敷きながら元気にやっていることだろう。
『また会いにきたときつまらないじゃない』
「また、会いにきてくれるかな」
会いにきてくれるだろう、それが何年先なのかは予想はできないけれども。なんせ、純が陽向との約束を破ったことは一度もないのだから。
陽向は窓から夜空を見上げる。いつかきっとまた会える、あの笑顔を思い浮かべながら。
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