6.火災

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「仁科さん、それ終わったら、まかない食っていきませんか?」 「まじっすか!やった!」 ラソンブレの厨房で働く中華のシェフ、真中(まなか)さんが声をかけてくれる。ここの中華は絶品だ。量も多いので、肉体労働者には嬉しい。 午前中はとりあえず修理の方向でやっていたが、やっぱり総取り替えの方が良さそうだった。 今日のランチはもう一つの換気扇がある反対側のコンロを使ってもらった。 ディナータイムまでにはどうにかしなければならない。 八嶋を呼ぼうかと考えたが、彼は今日隣町に行っているのを思い出した。 腹も減ったが、まかないのことを考えて手を動かした。 少し離れたところから、炒め物の香ばしい匂いが漂ってくる。 髪の生え際に溜まった汗が額に流れ落ちて、目にまで降りてきた。作業服の袖でそれを拭っていると、後ろから、あの、と女性の声がした。 「仁科さん、これ使ってください」 ウエイトレスの制服を着た女性が、白いタオルを差し出して立っていた。 ありがとう、と受け取ると、彼女はわかりやすく頬を染めた。 「おいおい、仁科さん既婚者だぞ」 「わ、解ってますよ、私はただ、暑そうだなって・・・」 「マミちゃん、いい男には優しいなあ」 まわりの男性達が彼女をからかう。先日一緒に飲んだ女性よりはかなり控えめなようだ。真っ赤な顔をして彼らに反論している。 俺が覚えているのはそこまでだった。 閃光が走り、気づいたときにはちょうど俺の後ろにいた「マミちゃん」を庇うかたちで吹っ飛ばされていた。 「先輩!」 幸か不幸か、俺と「マミちゃん」は吹っ飛ばされたおかげで火傷もしなかった。 中華鍋を振っていたシェフと、すぐそばにいたウエイターがひどい怪我をしたらしい。 ショックで泣きじゃくる「マミちゃん」を支えながら何とか厨房を出ると、救急隊員が待ちかまえていた。彼女を引き渡して、やっと腕から血が出ていることに気づいた。 葉山が真っ青な顔で駆け寄ってくる。 「葉山!」 「先輩、腕が・・・」 不思議なもので、血が出ていると気づくまで痛くも何ともなかった傷が、認識すると同時にずきずきと痛み始めた。が、葉山の表情を見て、俺は出来るだけ冷静に答えた。 「ああ、大丈夫だ、軽く切っただけだ」 「軽くないでしょう!手当してください!」 うろたえる葉山の後ろで、右往左往する宿泊客の姿が見えた。避難するように言われたが、どこへ行ったらいいのかわからない、といった風だ。 「お前、俺のことよりちゃんと仕事しろ」 「え?」 宿泊客の一人は、小さな子供をつれていた。 「ホテルマンだろ。客のことを最優先に考えろ」 「先輩っ・・・」 「早く行け」 俺の視線に気圧されて、葉山は後ろに一歩下がった。そして頭を下げながら、背後の客の方へと走っていった。 俺は救急隊員に支えられて救急車に乗り込みながら、一度だけ葉山の方を振り返った。 彼は必死に、避難した宿泊客に事情を説明しているところだった。
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