9.祭り

1/2
前へ
/57ページ
次へ

9.祭り

「あ、(よし)くん、あれあれ、綿飴売ってる!」 森岡先生のことがあってから10日あまり、この町で夏祭りが行われた。 一週間続く、短い夏を楽しむ唯一のイベント。 (ゆみ)に無理矢理連れ出されて歩いた屋台の並びは、母親にもらった千円札を一枚だけ握りしめて、家を飛び出した子供の頃を思い出させた。 ラソンブレの前にグリーンのテントを見つけると、弓は嬉しそうに駆けだした。 「綿飴ふたつくださーい」 テントから顔を出したのは、葉山(はやま)だった。 「あれ?あ、(なり)くんだ」 也くん? いきなり馴れ馴れしいな。 「え・・・あ・・・」 「也くんが綿飴巻いてる!あ、あたしそのピンクがいいな。何味?」 「い・・・いちご、です」 ほら、葉山が戸惑ってる。 「じゃあいちごひとつと、由くんは?どれにする?」 「俺はいいよ」 俺の妻は、夫の食べ物の好みを覚えない。 「なんでぇ、一緒に食べようよ」 「甘いの、苦手なんだよ」 「そうだっけ」 「・・・覚えろよ、いい加減」 頬をぱんぱんに膨らませる弓は、とても30には見えない。そもそも幼いのだ。 葉山は複雑な表情で弓から300円を受け取っている。 俺の方をちらりと見たが、すぐに次の客の応対に追われている。 ピンクの綿飴の袋を持って、走って戻ってきた弓は俺の腕に絡みついた。最近やっと痛まなくなってきた腕。それをぎゅっと掴むあたり、無神経なのか、あざといのか。きっと、痛い、と言えば周りに見せびらかすように上目遣いで「ごめんね」と言ってウエストに腕を絡めてくるのだ。 それよりは腕の方がマシだ。 葉山に軽く手を挙げて、俺と弓はテントから離れた。 商店街を歩行者天国にして、出店を出しているあたりをふたりで歩いていると、向こうから女性の3人組が歩いてくるのが見えた。 「あ!弓!」 中の一人が声を上げた。 3人のうち、1人は浴衣姿、あと2人はそれぞれ、ジーパンにTシャツと、麻のふんわりしたワンピース姿だった。 ワンピースを着た子が、小走りに寄ってきて弓とハイタッチした。 「弓、久しぶり!あ・・・ご主人ですか?」 「あ、はい、ども」 俺が作り笑いで会釈をすると、後から追いついた2人も合流した。 「え~、旦那さん、めちゃめちゃカッコいい!」 「高校の同級生なんですよね?初めまして、岡田です」 「木谷で~す」 「杉原です!弓からいつもお話聞いてます!」 次々自己紹介されるが、名前は覚えられない。弓の小学校の時の仲良しグループだという。 通行の邪魔になるのもかまわずに、彼女たちはわいわい話し始めた。俺はその様子を少し離れてぼんやり見ていた。 「ねえ、これから「ブラン」に行くんだけど、弓たちも行かない?」 「ブラン」というのは、翌3時まで営業しているカフェバー。若い頃からよく利用している、なじみの店だ。 しかしそこに、女4人と俺というのはどうにも気が進まない。根ほり葉ほりいらんことを聞き出され、弓がべたべたに惚気るのが目に見える。 「だって。由くん、行こう?」 「俺はいいよ。行ってきたら?」 「行かないの?一緒に行こうよ」 「俺は明日も早いから。楽しんでこいよ」 「え~・・・でもぉ・・・」 ちらちら友人たちを見ながら、悩む振りをする。行きたいと顔に書いてあるというのに。 昔からこうだった。自分の思い通りに進むように、相手を促す。 仕方なく、俺は「弓のお友達」に向かってにこやかに言った。 「すみませんが、俺は明日早いので失礼します。こいつをよろしくお願いしますね」 「こいつ」と言いながら弓の頭を撫でたのが効いた。彼女たちは俺の仕草がカッコいいだのなんだのと言いながら、弓を連れて露店の並ぶ商店街に消えていった。 ひとりになって、急に身体の力が抜けた。 帰ろう。 帰って、風呂に入ってビールでも飲んで、寝よう。 そう思って歩き出した。 途中、お面を頭に乗せて歩く小さな男の子と、母親らしき女性とすれ違った。 男の子は大きな綿飴の袋を持っていた。テレビアニメのヒーローが描かれた青い袋。それをぶんぶん振り回すものだから、母親にたしなめられている。 綿飴。 俺は携帯を取り出した。
/57ページ

最初のコメントを投稿しよう!

354人が本棚に入れています
本棚に追加