345人が本棚に入れています
本棚に追加
/57ページ
2. 鮨
駐車場に車を止めて外に出ると、気持ちのいい風が吹いている。すぐ側を流れる川は今日も穏やかで、その上をのんびりとカモメが飛んでいる。
そう暑くならないこの地方の夏は、過ごしやすい季節と言えた。
今日は妻に、でかい握り飯二つと卵焼き、唐揚げが入った弁当を持たされた。
普段は米。
男と会うときはサンドイッチ。
本人はその法則に気づいていないのか、それが定番になりつつある。
好き嫌いのない俺はどっちでも平気なのだが、サンドイッチの日は必ず冷蔵庫に入れて家を出る。そして代わりにどこかで飯を食う。
昼飯になるはずだったサンドイッチは、夜、帰ってきてからコンビニのおかずなんかと一緒に食うことにしていた。
それは、仕事の合間に、サンドイッチを持たされた理由を思い出したくないからだった。
昼飯を終えて向かった先は、いつものホテルラソンブレ。
厨房の換気扇から変な音がするんだとか。
先日、高校の後輩である葉山也仁に会った。東京で就職した、俺ら周辺では珍しい出世頭だったはず。確かに彼は洗練された身のこなしで、ひと味違う空気感をまとってラソンブレのフロントに立っていた。
しかし、どうして今帰ってきたのだろう。
やっぱり長男として、家業を継ぐために戻ってきたのか。
田舎のホテルとはいえ、長い間営業し続けることは簡単ではない。俺の家だって中小企業だが、つい最近親父から受け継いだばかりだ。気持ちは解る。
東京で修行を積み、満を持して戻ってきたということか。
納得できる理由だ。
だが、久しぶりに会った葉山は、どこか物悲しげというか、いよいよ自分の時代がやってきた、という雰囲気ではなかった。
ラソンブレのロビーに着くと、外国人観光客の家族連れがチェックインしているところだった。
金髪で青い目の可愛らしい姉妹が、きゃっきゃ言いながらロビー中追いかけっこをしている。
父親らしき大柄の男と流暢な英語でやりとりする葉山の姿が見えた。カードキーを渡してにっこり微笑み、にぎやかにエレベーターに乗り込む家族に会釈をした葉山は、ホテルマンの鑑のような表情をしていた。
「すげえなあ」
「えっ」
葉山が俺の声に振り向いた。
「英語喋れんだ」
「必要最低限ですよ」
「ホテルマンって何でも出来るんだなあ」
「なんでもじゃないです・・・先輩は今日は何でいるんですか」
照れ隠しなのか、わざとぶっきらぼうに答える葉山。
「厨房の換気扇。変な音するって」
はっとした顔になり、葉山は申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「・・・よろしくお願いします」
わかりやすくてわかりにくい。こいつはこういう奴だったと思い出す。
「おう。あ、葉山、今日終わるの何時?」
俺の口が勝手に喋り始めた。気づいたときにはもう遅い。
「え?」
「今やな顔したろ」
「してませんよ。・・・8時ですけど」
「飯食いに行かねえか。鮨。俺のおごり」
「行きます」
「即答か」
勢いに任せて言ったものの、結果オーライ。どうして誘ってしまったのかはあまり考えず俺は葉山に手を振り、厨房へ向かった。
背後でフロントの電話が鳴り、「よそゆき」の声で葉山が「ホテルラソンブレでございます」と言うのが聞こえた。
腕時計を見ると、ちょうど5時だった。
あと3時間。
最初のコメントを投稿しよう!