6.火災

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6.火災

「社長、ラソンさんからお電話です」 「・・・八嶋(やしま)ぁ?」 「っすんません、仁科(にしな)さん、お電話、っす」 八嶋はぺこぺこしながら受話器を差し出した。 確かに俺がここの2代目だが、社長、と呼ばれるとキレる。どうもしっくりこないのだ。ずっと止めろと言っているのに、八嶋は時々面白がって社長と呼ぶ。 朝一番のラソンブレからの電話は、厨房の換気扇の件だった。 つい先日、修理したはずだった。今度は完全に動かなくなったらしい。前崎支配人はもし治らないようだったら取り替えたい、と言った。 「総取り替えっすか」 電話を切った後、八嶋が聞いてきた。 「ああ、多分その方が無難だろうな」 「仁科さん、俺、行きましょうか」 「いや、この間の修理、俺がやったから俺が行く」 八嶋はこの間の飲み会で知り合った、ラソンブレで働く女性とつきあい始めたらしい。彼女の方が4つ年上だとか。 だからといってこの仕事を八嶋に回すつもりもなかった。 「あ、そうだ、さっき森岡整骨院の先生から電話ありましたよ」 森岡整骨院。 あの日のことがフラッシュバックして、足が固まった。幸運にも八嶋は気づかず、話を続けた。 「ご自宅の方のクーラーも見てほしいんだそうです。またお電話しますって言ってました」 「八嶋、それ、お前が・・・」 お前が行けないか、といいかけて止めた。 森岡先生は「秘密」と言った。 だけどもしも、何かの拍子に、あの日のことを八嶋に知られたら。 冷や汗が背中を伝って、落ちた。 「はい?」 「いや、何でもない。・・・電話しておくよ」 おなしゃーす、と八嶋は言いながら、事務所を出て仕事に向かった。 俺は八嶋の車が出ていくのを確認して、ドアを締めた。深呼吸をして、森岡先生の電話番号を呼び出す。 「森岡整骨院です」 よく通る低い声。無意識に背中がぞくりと泡立つ。 この森岡(もりおか)(すぐる)という男は、 顔も、体型も、すべて人並み以上のものを持っていて、知性もあり、かつ人徳もある。 この町の住民で、森岡先生に一度も世話にならない人間はほぼいないと言われるほど、町医者のひとりとして慕われている。病院いらず、と言われる腕の持ち主だ。 奥さんとは30年連れ添っているが、子供はいないらしい。 森岡先生ほどのいい男かどうかは置いておいても、俺はこの人と境遇が似ていると思っていた。 はっきり言うならば、先生があの時言ったとおり「同類」だと思っていた。 「仁科配管です」 「・・・由悠季(よしゆき)くんだね」 俺の声を聞いて、声のトーンが明るくなる。 「ご自宅のクーラーの調子が悪いと伺いました」 「そうなんだ。・・・また来てくれるかい?」 「・・・今日は伺えませんが」 「来週月曜日の午後は休診だから、その時に頼みたい」 「・・・わかりました」 休診の時間帯に行くのは、まさに食われるために行くようなものだった。 俺は断れなかった。 というより、断らなかった、というのが正しい。 その理由を深く考えずに、俺は電話を切った。
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