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取材は重なっていた。多くの出版社を訪れては似たような質問に同じ答えを返す連続である。そろそろ新作を考えようと思ってから既に1ヶ月が経過していた。 夜23時、自宅に戻った俺はリビングを抜けてベッドに倒れ込んだ。灯りのない暗いままの天井をぼんやりと眺める。 ため息をついた俺は日中の霊を思い出していた。 銀座に住み着く霊なのだろうか。何かを自分に伝えようとしているのだろうか。それだけでなく、自分に霊感があることに驚いていた。今までホラー漫画を描いてはいたものの、そういった心霊現象に遭遇したことはない。 あるとするならば以前三浦と寝た時にあった、扉から伸びる髪の毛である。 疲れているのだろうか。俺はゆっくりと体を起こしてリビングに行こうとした。 何か物音が聞こえて、動きを止める。天井を眺めながら音の出所を探った。 ごおーっと、何かが遠くからやってくるような音。気配にも近かった。誰かが自分の元へ走ってくるような音がどこからともなく聞こえている。外でスポーツカーが走っているのだろう。そう自己解決して再び体を起こそうとした時だった。 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 低く唸るような声が寝室に響き渡る。俺は思わず情けない声をあげて飛び起きた。鑢で研いだような唸り声の出所はすぐに分かった。 だからこそ動けなかった。 俺はポケットから携帯を抜き、カメラアプリを立ち上げた。ライトを選択して小さな閃光を起動させる。ばくばくと鼓動が速くなり、一瞬で全身に冷たい汗が発生する。背筋を伝って臀部に流れていく。 ダブルベッドの下に誰かがいる。 唸り声の出所はそこ以外に考えられなかった。 恐る恐るベッドの上を移動する。端まで辿り着き、携帯を掲げる。 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 車の走行音で掻き消されてしまいそうな唸り声は微かに、それでいて長く、ベッドの下から響いている。いつの間にか顔はびっしょりと濡れており、額の汗を空いた手で拭う。鼓動は依然として速い。シーツを握り締める掌も濡れていた。 体をベッドの上に残し、顔だけをゆっくりとベッドと床の間にやる。カメラのライトで勢い良く隙間を照らした。 いつか買ったライター、いつかポストに入っていたチラシ、いつか読んだ漫画雑誌、どこか懐かしいものばかりがベッドの下に散乱している。いつの間にか低い唸り声は止んでいた。 ほっと胸を撫で下ろしてライトを切る。ベッドの下は闇を取り戻した。ゆっくりと体を戻そうとした時だった。 黒い隙間から青白い手が伸び、俺の髪の毛を勢い良く掴んだ。 「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああはあああああああああああああああああああああああああああああざあああああああああああああああああああああああまあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああはあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああざああああああああああああああああああああまああああああああああああああああああああああああああああああああああはあああああああああああああああああああざあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああまあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああはああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああまああざあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああまああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 「な、なんだ!」 みっともなく声をあげて青白い手から逃れようとするが、思った以上に力は強かった。謎の手は俺の髪の毛を掴んで、まるで引き千切るかのように左右に揺らす。ぶれる視界の中で青白い腕以外は見えなかった。 張り詰めたような黒い隙間から生える腕は冷たい色をしていた。 「や、やめろ…」 そう呟くと、髪を掴んでいた手が少しばかり緩くなった。その隙をついて俺は勢いをつけてベッドから転がり落ちた。 体勢も整えぬまま這うように寝室から抜け出す。リビングに辿り着いてから振り返り、俺は勢い良く扉を閉めた。 荒い息遣いの中、覚束ない足取りでソファーに倒れ込む。フルマラソンを走り終えた後のような呼吸は、時折窓の隙間から吹く突風のようにひゅーひゅーと、滑稽な音を立てていた。 「何なんだよ…。」 なんとか呼吸を落ち着かせて、思わず呟く。手の甲を濡れた額に乗せて俺はカーテンが締め切られた窓を見ていた。 不思議な視線を感じたのはその時だった。 思わず体を起こして辺りを見渡す。普段から良くある感覚だった。街中を歩けば宙翔だと見るなりちらちらと目をやる一般人。世間に顔と名前が晒されているという、街中で遭遇する奇妙な感覚が今、リビングの中にある。 どこから、誰が、俺を見ているのか。ソファーから降りてぐるぐると家の中を見る。数回その場で回って、俺はふと動きを止めた。視線の居場所が分かったからだ。 窓の前で、カーテンは締め切られていなかった。微かに空いたカーテンの隙間。薄暗く細い間の中で2つの白い目がぼうっと浮かび上がっている。一度目を合わせると簡単に離すことはできなかった。 (ど、どうすればいい…) 混乱する頭の中に手を突っ込んで、解決策を探すように俺は冷静になった。このまま後退りしてしまえば何も起こらないのか。それとも勢いよく駆け出せば振り払えるのか。様々な案が巡り巡ってどれも不正解になっていく。 しかし冷静になったからこそ、俺は気が付いた。 思わず息を飲んで全身の硬直が少しばかり和らぐ。それでも俺は足を踏み出せずに、白い目を見ていた。 勝手な判断でその目は窓の向こう、バルコニーにいるものだとばかり思っていた。しかしそれは違った。 窓とカーテンの間、つまりこの目はリビングの中にある。 そう思った時には体が勝手に動いていた。 鍵を閉めてマンションを飛び出し、前の通りを流れるタクシーを1台止める。言葉に詰まりながらも行き先を伝え、シートに体を預ける。いつの間にか冷えていた汗は蒸すような熱気に変わっている。ごくりと唾を飲み込む。喉の表面が裂けているように痛む。 タクシーは六本木の眩い景色を抜けて、中層マンションが敷き詰められた住宅街に入った。グレーの外壁がぼんやりと浮かぶ10階建のマンションの前でタクシーを止めさせる。料金は携帯で支払った。 三浦咲耶の家は10階にあった。 エレベーターを待ち切れずに階段を駆け上がる。4階辺りで呼吸が乱れていたのは、恐怖による焦りなのか、年齢のせいなのかは分からなかった。 外廊下を突き進んで奥の扉に辿り着き、何度もインターホンを押す。潰れそうなほど押す。鼓動よりも速く押すと、ガチャリと鍵の開く音がした。 「昇太、どうしたの。」 覗き穴から見たのだろう、三浦は扉を開けながらそう言う。俺は滑り込むように扉の隙間から体を押して中に入った。 玄関の自動ライトは橙色のベールを落としている。その中で三浦は、体にバスタオルを巻いていた。仄かに香る甘いシャンプーの匂いと、すっきりとしたボディーソープの匂いが混じる。濡れた髪は人中にへばりついている。純白の一枚布を突き破るように胸は隆起しており、くびれのところで凹んで、尻のところで横に膨らんでいる。洗ったばかりの肌は艶かしい。 俺は勃起した。 思い返せば生存本能に近かったのかもしれない。得体の知れない恐怖に襲われて、帰巣が出来ない死ぬ間際の獣は、必ずしも子を残そうとするだろう。人間にも進化するずっと前に刷り込まれたセンサーがあるのかもしれない。 俺は荒い呼吸を繰り返しながら、彼女の体を抱き寄せた。乱暴に、きつく締め、唇と唇を重ねる。三浦は何か言おうとしていたが、その言葉さえ奪った。 舌先を捩じ込みながらバスタオルを剥ぐ。むわっとした熱気と甘い香りが下腹部を刺激する。俺は愛撫もそこそこに下の方へ手を伸ばした。大きな桃の割れ目から指先を滑らせて陰部に触れる。程良く湿っているのを確認して、彼女の肩を掴み、こちらに背を向けさせた。 「ねえ、ダメだよ。こんなところで。」 そう言いながらも三浦は尻を高く突き出していた。それどころか両手で肉を割るようにして、今か今かと待っている。俺は唇を震わせながらその場でジーンズとボクサーパンツを下ろすと、駆け込み乗車するサラリーマンのような勢いで挿入した。 「あっ、硬い…。」 腰を打ち付け、三浦のくびれを掴み、魂を送る。少しばかり抑えた彼女の喘ぎ声も、濡れた蜜の音も、何故か聞こえなかった。 頭の中であの低い唸り声が絶え間なく鳴り響いていたからだ。
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