23

1/1
前へ
/58ページ
次へ

23

埼玉県の山奥は、関東圏内でも十分に冷えていた。日差しは肌を刺すように鋭利だが、木々から靡く風は優しい肌触りだった。そんな山肌を一部分刳り貫いたような敷地には白を基調とした神社が聳え立っている。広々とした駐車場に白いクラウンを停め、俺と藤井は永島神社に訪れていた。 ここの神主は霊感があるらしい。 そんな噂は著名な芸能人の間に流れており、芸能人がお忍びで結婚式をあげたり、警察関係者がお祓いに来るほどの信憑性があるらしい。現にここの話は『首吊りの家』の映画化に携わるスタッフから聞いたのだった。 「それでは、こちらへどうぞ。」 上下真っ白の神主は永島雄大といった。下駄を鳴らしながら建物の長い廊下を進んでいく。面長の顔に鋭い目つき、ふわりと伸びる黒髪は肩までかかっていた。 本殿の奥にある和室に通される。紫色の座布団に座り、3人は向かい合った。壺のような灰皿を手前に寄せて彼は言う。 「それで、何を聞きたいんでしょうか。」 広い袖からタバコを抜いて、1本口に咥える。ひどく渋い男だった。 「実はこの度、私が描いた首吊りの家というホラー漫画の映画化が決まりまして。心霊現象を取り扱うものですから、その道のプロにお話を聞きたいなと思いまして。」 俺の言葉に、永島は唸った。眉をひそめながら頷く。 「何か霊の特徴だったり、常人には理解できないことだったりとか。そういったことをお聞かせ願いたいんです。」 深く、ゆっくりと吸い込む。濃霧のような煙を吐いてから永島はふと顔を上げた。やがて視線は俺や藤井ではなく、廊下の方へ向いている。 「おい、友哉。帰ったのか。」 慌てて俺たちはその方を向いた。閉め切られた襖には何も映っていない。その向こうに誰がいるのかも分からない。しかし少しして廊下から微かな声が聞こえた。 「はい。帰りました。」 足音すらもなかった。しかし彼は廊下にいる人間を当てた。俺は思わず口を挟む。 「あ、あの。どうして分かったんですか。」 「気配ですよ。」 とんとんとフィルターを叩き、余分な灰を壺の中に落とす。さも当たり前かのように永島は続けた。 「今のは高校生になる息子です。私は霊感があるというよりも、者の気配を察知できる。それが生きているものなのか、はたまた死んでいるのか。生きていれば近くに暖かな気配がある。死んでいるならば近くに冷えた気配がある。そんな感覚に近いです。」 人によれば鼻で笑うだろう。しかし今のこともあってか信憑性はかなり高かった。 「暖かな気配に冷えた気配が重なっていれば、その人は霊に取り憑かれているということになります。」 「じゃあ気配ということは、霊そのものはどうなんでしょうか。」 3人の間にはICレコーダーが置かれ、やりとりが全て吸い込まれている。永島は壺の中に吸い殻を落としてから答えた。 「お二方は、遠くにあるものを見る時にどうしますか。」 「えっと…。目を細めたり。」 「それです。」 新たな1本を咥えて、黒い100円ライターの上を擦る。橙色の火がぼうっと浮かんだ。 「睨むように遠いものを見る、私はこれをすることで、冷たい気配に輪郭が浮かび上がるんです。」 なるほど、と言って俺は黙り込んでしまった。こちらの常識が通じないように、向こうの常識はこちらに通じない。同じ世界を生きていて、まるで別世界の人間のようだった。 取材は1時間にも及んだ。そういった力のある人間から得る知識は、粘土のように肉付けされていく。やがて3人は和室を後にして外に出た。 本殿から駐車場に向かう途中、俺はふと立ち止まった。 「あの、永島さん。」 冷えた空気の中で振り返る。彼は穏やかな表情を浮かべていた。 「私に霊って憑いてますか。」 俺の言葉に永島はゆっくりと眼を細めた。鋭い視線が俺の輪郭をじっとりと舐める。やがて彼は神妙な面持ちで言った。 「霊は、憑いてないです。」 ほっと胸を撫で下ろし、思わず頬が緩んでしまった。まるで胸の痞えが取れたようだった。 「そうですか、ありがとうございます。」 礼を言ってから頭を下げ、先を歩く藤井についていった。クラウンに乗り込んで駐車場から抜けていくまで、何故か永島はその場に立ち尽くしたままこちらを眺めていた。
/58ページ

最初のコメントを投稿しよう!

80人が本棚に入れています
本棚に追加