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雄散社は大勢の話し声で溢れ返っていた。電話は引っ切り無しに鳴り続き、仕切られた壁の向こうはひどく慌ただしい。俺はつい緊張感に飲み込まれそうになって、前に置かれた紙コップをとった。緑茶を半分まで飲み干す。潤った喉からゆっくりと息を吐いた。 「はいはい、日高昇太さん。お待たせしました。」 仕切りの向こうからやってきたのは長い髪を後ろで縛った男性だった。あまり寝ていないのだろうか、丸いレンズの下に隈が見える。俺は足元に置いたトートバッグから大きな茶封筒を抜いた。 「遠藤と申します。えっと、持ち込みだよね。」 「はい。お願いします。」 どこか忙しなく茶封筒を受け取ると、乱暴に中身を抜く。束になった原稿は先端がだらりと下がっていた。 遠藤は黙々と紙をめくっていく。もちろん俺は自信作を持ち込んでいた。だが編集者の表情を見るとどうも自信が削がれてしまう。それほどまでに遠藤は眉をひそめて、苦悶の表情を浮かべていた。 紙をめくる手は時折速く、時折遅くなる。やがて遠藤は読み終えたのか原稿を整えた。勿体振ることなく彼は言う。 「えっと、日高さんは今回で持ち込みは何度目?」 「えー、5回目になります。」 そうか、と言って椅子の背に体を預ける。退屈そうな表情を見て、俺はすぐに嫌な予感を察知した。そんな不安を的中させるかのように遠藤は言った。 「はっきり言うけど、ありふれているね。オリジナリティーに欠ける。」 何となくそう言われるだろうと構えていた俺は、それでもなお心にナイフが刺さったようだった。遠藤は少し唸ってから続ける。 「キャラは濃いけどストーリーが薄い。日高くんさ、太陽を盗んだ男、観たでしょ。」 「えっ、どうして分かるんですか。」 プロットを練る際に見た映画だった。沢田研二と菅原文太がタッグを組んだ作品である。 「話の流れがそれに酷似している。影響されるのは仕方ないことだけど、それをどうオリジナリティーに持っていくかが肝心だ。あの作品はストーリーの流れこそあれだけど、それ以上にキャストとインパクトでカバーしている。それはまだ、日高くんの実力じゃ出せないな。」 自然と言葉に詰まってしまった。体の表面を玉のような汗が流れ落ちて、ボクサーパンツに染み込んでいく。グレーのハーフパンツに染みが出来ていないかなどと、変な不安を抱いてしまった。 「まぁ、キャラは良いんだよ。そこはよく練られている。だから問題はストーリーだ。」 そう言って遠藤は立ち上がり、畝る髪を掻いた。どこか面倒臭そうな表情になったのを俺は見逃さなかった。 「まぁ頑張って、また持ち込んできてよ。」 壁の仕切りから出て行き、ただ1人残されてしまった。数ヶ月かけて作り上げたストーリーと半分だけ残った緑茶がひどく虚しかった。
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