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自宅に閉じこもった俺はベッドの上で布団に包まりながら夜を迎えた。あれから3時間以上が経過している。しかし一向に体の震えは治まらない。布団に包まっていながらも全身が冷えている。それは恐怖による冷や汗であった。 これからどうなってしまうのか。その不安ばかりが胸を蝕んでいく。やがて動きがあったのは壁時計が夜の8時を刻んだ時だった。 ドンッと遠くの方から鈍い音が鳴る。 声を殺して布団に包まる。 ドンッドンッと遠くの方から鈍い音が鳴る。 誰かが扉を叩いている音だった。 ドンッドンッドンッドンッと遠くの方から鈍い音が鳴る。 複数の人間が激しくノックしている。 ドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッ 俺は声にならない声をあげていた。両耳を塞いで、喉が痛むことも知らずに叫ぶ。それでも物音は止まなかった。 ドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッ 掌に汗がじっとりと滲む。耳が濡れる。ノックの音よりも鼓動が早くなっていく音が大きくなる。体が震える。 ドンッ 一度鳴ったその音は遠くの方からではなく、背後から聞こえる。 ドンッドンッ 遠くの方からも、背後からも、その音がする。後ろには窓がある。隙間を無くすために閉めたカーテンがある。 ここは34階である。 ドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッドンッ 言葉にならなかった。意味の分からない言葉を叫び散らし、発狂していた。 俺はこの音に挟まれているのだ。 誰かが玄関の扉と窓を叩いているのだ。 その音が数十秒ほど鳴り続いた時、フルマラソンを完走した後のような息遣いになっていた俺は、ようやく気が付いた。 この音は本当にノックしている音なのだろうか。 拳を力任せに叩きつける音にしてはあまりにも大きい。さらに音の間隔が妙なのだ。こんなにも立て続けに、それでいてこれほどまでに大きな音は鳴るのだろうか。 ノックの音じゃないとしたら、一体何の音なのか。 ゆっくりと布団を剥ぐ。寝室は暗い。 ここには、隙間がない。 恐る恐る立ち上がって、俺はカーテンの前に立った。 黒いカーテンはガムテープで止められており、外の様子は一切見えない。俺はガムテープに手を伸ばす。 ベリベリ、と音が鳴る。掌はぐっしょりと濡れている。布を掴んで勢い良く広げる。 ドンッ 「ああっ!」 俺は思わず尻餅をついた。その音の正体が分かったからだ。 カラスだった。カラスが数十匹、窓に衝突する音だった。 ドンッドンッ ベランダでカラスが蠢いている。港区に建つ高層マンションのおかげで、窓は割れない。それでも恐ろしかった。 冷えたその上でカラスは動かない。死んでいるのだろうか。窓ガラスに手を当てて転がるカラスを睨みつける。 一匹のカラスがもぞもぞと動いた。 「ああ…生きてる…。」 ほっと胸を撫で下ろして呟く。カラスは身を捩っている。どこか安心したものの、俺はその一匹の動きがおかしく思えた。 カラスが動いているのではない。カラスの”中”が動いているのだ。 ぶちぶち 千切るような音が聞こえたと同時に、カラスの腹を青白い手が突き破った。 「ああ、ああ!」 慌ててカーテンを閉め、足元に落ちたガムテープを拾って繋ぎ合わせる。呼吸が乱れる。この場にいてはいけない。そう悟って俺はリビングに戻る。 リビングに隙間はない。 あれは一体何なんだ。何故カラスなのか。何故窓に突っ込んでくるのか。何故腹を突き破って手が出てくるのか。 俺はふと冷静になった。 扉の音は何なのか。 いつの間にか全ての物音は消えている。腹に響くような音は無い。俺はゆっくりとリビングの扉を開けて、廊下に出た。自動でライトが点灯し、玄関の扉が明るくなる。 扉は凹んでいた。 いくつものボーリング玉がぶつかったように、まるで棘のように、こちらに向かって凹んでいる。恐る恐る覗き穴に目をやる。外廊下には誰もいない。御厨たちが追いかけてきた訳ではなかったのだ。 長く、深くため息をつく。ゆっくりと扉から距離をとった。 ドンッ 突然黒い何かが覗き穴を塞いで、派手な音が鳴る。思わず仰け反った。覗き穴の周りが凹んでいる。しつこく覗き穴の向こうを見続けていたら、鼻を打っていたかもしれない。体中に冷や汗が伝った。 確かめないといけない。 使命感に近いものがあった。ゆっくりとサムターン錠を回す。ゆっくりと、ゆっくりと扉を開ける。 僅かに開いた扉の隙間から見えたのは、黒い球体だった。 そのまま扉を開ける。その黒い球体は表面に畝るような模様が刻まれている。何故かそれに既視感を覚えた俺がドアノブを掴んで立ち尽くしていると、風の吹く音が聞こえた。 びゅううううううううう ビル風ではない。 何かがこちらに向かってきている。 その瞬間、俺の耳元を何かが横切った。 黒い球体が夜の景色から飛んできて、廊下を抜けてリビングの方へ転がっていく。咄嗟の判断で扉を閉めて俺は振り返った。 白いタイルの床に”それ”が転がっている。黒く、畝るような模様の”それ”が。その正体がカラスではなく、別の恐ろしいものだと気付いた時には全てが手遅れだった。 ”それ”はぐるりと向きを変える。こちらを向く。いや、俺を睨む。 生首だった。 頬が痩けていて、白髪が少々混じる生首。その顔が小日向健二であることはすぐに分かった。 やがて小日向健二の生首は、粘っこい動きで口を開いた。 「はざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざまはざま」 俺の意識は途切れた。
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