1/1
前へ
/58ページ
次へ

「それでは、これで以上になります。今日はありがとうございました。」 やたらと明るい部屋だった。白い長机の前で女性記者は業務用の笑顔を浮かべ、真ん中に置かれたICレコーダーを攫う。俺は一度会釈をしてから立ち上がった。女性記者は割って入るように言う。 「あの、サインをいただいてもよろしいでしょうか?」 「いいですよ。」 俺は視線だけを部屋の隅に送った。マネージャーの藤井梨沙はスーツのジャケットから黒いマッキーペンを取り出してこちらに差し出す。俺はそれを受け取って蓋を取った。 「やっぱり面白いですね、もう読んでてゾクゾクしましたよ。」 女性記者は一冊の本を鞄から取り出した。俺が2年前に発表したデビュー作、『首吊りの家』の表紙には黒い家が描かれており、おどろおどろしいタイトルが浮かんでいる。 「デビュー作が手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞、来季にはアニメの放映も決定、飛ぶ鳥を落とす勢いですね。宙先生。」 「そんなことないですよ。」 単行本を受け取って、真っ白な裏面に宙翔のサインを書く。女性記者は先程よりも眩い笑顔を浮かべてくれた。 会議室を出ると、斜め後ろについた藤井が言った。 「この後はアニメ化記念イベントです、その後にお渡し会用のサイン本を書いていただきます。」 「ホテルは取ってあるんでしょ?」 「はい。イベント会場近くのスイートルームを抑えております。」 4年前の自分が嘘のようだった。練馬区は大泉の古びたアパートに住んでいた自分は、今では売れっ子の漫画家として全国に名を轟かせている。不思議な感覚は拭えなかった。 それはあの間駅の出来事があったからだった。 自宅に戻ってあの駅、異世界、首を吊る女性が登場した武家屋敷を舞台に製作した『首吊りの家』は雄散社の週刊漫画雑誌で連載を持った。よく練り上げられたストーリーだと褒めちぎる遠藤の顔を今でも思い出す。 瞬く間に評判は全国へ。物騒なタイトルと内容だったが、朝のニュース番組にも取り上げられるほど、『首吊りの家』は流行の最先端を担っていた。 日本で今一番怖い漫画、そう名付けられてから早2年。俺は怖いほど地位と名誉を手に入れていた。
/58ページ

最初のコメントを投稿しよう!

81人が本棚に入れています
本棚に追加