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これから、ずっと。
「何モタモタしてんの。逃げられるよ」
龍太郎にかかってきた電話での、静音の言葉である。美緒の家では麻紀が目出度く第一志望の大学に合格し、動きはじめようとしたばかりだ。
「本人同士の約束はできてるし」
「プロポーズ、どんなんだった?」
興味津々の問いに、答えられない。まさか、コトの最中に合意をもらったとは言えない。
「自然にというか、どちらからともなく?」
「そんなの、女として嬉しくない。合意ができてても、それとは別。親に挨拶に行く前に、ちゃんとすんのよ。結婚生活の中で思い出せるように」
言い返したくても、言い返すと倍どころか五倍返しだ。口で勝てた例はない。
「どこでどうやって約束したかって、結構重要よ。ちゃんとしときな」
そうか、女の子には結構重要なことなのか。じゃあ、ちゃんとしてやりたいなあ、と龍太郎は考える。ロマンチックなシチュエーションなんて自分たちじゃないみたいだし、ほのめかし程度じゃ美緒にはわからない。どちらにしろ照れくさいことに変わりはない。
どうせ照れくさいのなら、思いっきり遊んでしまえ。
「夕食の予約してあるから、ちょっとだけおしゃれして来てね」
龍太郎にそう言われて、美緒は緊張した。
えっと、もしやこれはウワサに聞くものですか?何を着て行って良いやら、鈴森に相談する。
「おおっ! 絵に描いたプロポーズ! 猫に小判!」
どういう意味だ。
「あんまり頑張っちゃってもねえ。松坊だし。ワンピにコサージュとかでいいんじゃない?」
いいんじゃない、とか言われたって。
朝からソワソワいそいそとしている娘を見て、親も何か感じるものがあったらしい。
「篠田さんと待ち合わせ? 今日は帰ってくるの?」
母親が、普段なら無い質問をする。
「嫁入り前にそんなに気を許すと、価値が下がるぞ」
父親は面白くなさそうに言う。
「帰ってくると思う。価値は……多分龍君が決める。お父さんとは違う基準で」
昼近くまで寝坊してパジャマのままの麻紀が、面白そうにやり取りを見ていた。
昨晩クローゼットをかき混ぜて決めた組み合わせは、自分の持ち合わせの中では、ずいぶん女の子らしいAラインのワンピースと華奢な靴だ。アイボリーのコートの襟に、小さな花のコサージュをつけた。
「わお。美緒ちゃん、しあわせそうな顔」
「うるっさいなあ。ただのデート!」
手近なクッションを麻紀に投げてから、もう一度鏡を見る。上気した自分の顔に向かって、頷いてみせる。今晩展開するだろう話に、自分がどんな顔をするとしても、もう前に進むと決めたのだ。
池袋駅で待ち合わせて、サンシャイン60の中のレストランに向かう。
「フレンチ? 高くない?」
「たまーになんだから、そういうこと言わないの」
エレベーターの中で、龍太郎は笑った。
「あたし、お料理の組み合わせとか、わかんない」
「俺もわかんないから、予約の時にお任せしちゃった。わかんないモノに見栄張っても仕方ないし」
59階にあるその店で、クロークにコートを預けると、窓際の角席に案内される。夜景が美しい。
綺麗だねと見惚れていたら、予め組み込まれていたらしいシャンパンが運ばれてきた。
「言いたいことは理解してくれてると思うんだけど。まあ、まずは乾杯」
「何に?」
「未来に」
……気障。何故臆面もなくこれが口に出せるのか。
「後にすると気になって、ゆっくり食事ができなさそうだから、先にしとく」
小さな箱が、龍太郎の手から美緒の手に渡る。
「安い石で、ごめん」
「開けていいの?」
「美緒ちゃん以外の誰が開けるの? サイズ、確認してよ」
青い石のついたリングに指を通し、目の前にかざす。
「サファイアだ。綺麗。この色、すごく好き」
指を水平にすると、石の中に星が入った。
「勝手に選んだけど、気に入ってくれる?」
「気に入らないわけなんて、ないじゃない。一生、大切にする」
「うん。一生」
頷いた龍太郎に、美緒は笑みを返した。
シャンパンで口を湿らせ、龍太郎は姿勢を正して口を開いた。
「では、改めてお願いします。俺をしあわせにしてください」
逆じゃないの? とツッコミを入れようとして、美緒は龍太郎の表情に気圧された。
「美緒ちゃんと一緒に生活を作っていきたいです。それが俺の望むしあわせの形です」
こんなに真摯な表情を、今まで見たことはなかった。
どうしよう。泣きそう……じゃなくって、うわっ……
思わず手元のナプキンで、顔を押さえた。
「……嬉しい。あたしの望むしあわせも、多分同じです」
美緒が顔を押さえているうちに、龍太郎はフロア係に合図して、頼んであったものを席に届けてもらう。オレンジのガーベラと黄色いバラのブーケは、邪魔になるほど大きくはない。
「美緒ちゃんのイメージって、こんな感じ」
「身に余る。でも、イメージに沿うように、努力します」
花を受け取ったら、ますます胸が詰まった。
ゆっくりと食事をして、展望台にあがった。寒い時期のスカイデッキは、人がまばらだ。花の香りを楽しむように、美緒が時々ブーケを顔の高さに持ち上げる。
「美緒ちゃん」
「はい」
「今日よりも明日、明日よりも明後日、もっと美緒ちゃんを大事にしたい。どこまでできるか、わかんないけど」
「あたしも龍君が苦しくなった時、支えられたらって思う」
目が合って、ゆっくり手を繋いだ。
「一緒に居ようね」
「うん。一緒に居たい」
これから、ずっと。
同じ思いで夜景を見下ろし、繋いだ手を強く握り合う。
同じしあわせを夢見よう。そして、これからずっと。
―――しあわせになりたい。
fin.
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