覚悟は良いでしょうか?

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覚悟は良いでしょうか?

 龍太郎の部屋で一緒に過ごすのも、ずいぶん慣れてきた。美緒の希望により包丁が買い替えられ、シャワーカーテンがちゃんと吊るされるようになった。   親元住いなため、滅多に泊まろうとしない美緒を駅に送るのが、とても寂しい。 「声、抑えないで」  不慣れな恋人は、まだ力の抜き方を知らずに、ただただ一生懸命だ。もっと預けてくれれば、もっと優しくしてあげられるのに。 「……んくっ……」  耳に吹き込まれる息と胸にゆるゆると這う指に、美緒は唇を強く噛む。自分の口から音をこぼさないように。  一度、箍を外してしまわなくてはならない。駅まで美緒を送った帰り道、龍太郎は楽しい決意をする。  そろそろ、慣れてもらおう。箍は楽しく外しましょうね、美緒ちゃん。  黒目がちの大きな瞳に微笑みが浮かんだ。頭の中身さえ覗かれなければ、アイドルのうっとりした表情そのものである。つい先日、藤原に「肉食バンビ」なる称号をありがたくもらったばかりだ。いや、男としては至極真っ当で普通なのだが、容姿がまるまるそっち側の欲求と無関係に見えてしまう。 「今日は帰らないって言ってあるんでしょ? たまには余所に泊ってみようか」 「何にもそんな用意して来てない」  堅実で慎重な美緒は、突発事項に弱い。 「替えの下着は持ってるでしょ? それしか要らないし」  明治公園でウロウロとフリーマーケットをひやかし、青山通りから渋谷に向かって歩く。梅雨直前の風は、乾いていて気持ちが良い。美緒はここ一ヶ月で、驚くほど表情がやわらかくなった。  誰にも触らせない。俺の。  龍太郎の決意が届いているかどうかは、そこはかとなく謎である。美緒は相変わらずテンポが早くて元気だし、鈴森の情報によると、相変わらず「声を掛けられても気がつかない」らしい。(まあ、それは安心だが)  ゆっくりと夕食をとって、アルコールに弱い美緒に合わせて、カフェで少しだけ飲んだ。  十時近くなったのを確認して、手を繋いで道玄坂を歩き出す。少しのアルコールが緊張をほぐし、美緒は珍しげにまわりを見回している。 「どの部屋がいい?」 「選べるの? わかんないから、どこでもいい」  顔の見えないフロントを通過し、龍太郎と美緒は部屋に入っていった。  いそいそと風呂に湯を溜めはじめた龍太郎を確認しながら、美緒は部屋の真ん中でキョロキョロする。自分の中のイメージよりも、はるかに清潔で健康的で明るい。ただなんて言うの、これ? 申し訳程度のテーブルと椅子、小さな冷蔵庫と小さなクローゼット、部屋の大半を占めるのは巨大なベッドだ。  やる気に満ち溢れた部屋。  怖気気味な気分を奮い立たせるように、クローゼットと冷蔵庫をチェックしてみる。 「風呂のお湯、溜まったよー」  浴室からバカ陽気な龍太郎の声がした。 「美緒ちゃんの方が長風呂だから、先に使ってね」  そう言われて、脱衣所に入る。鍵がないことに、不思議は感じなかった。安い観光ホテルより綺麗で広いバスルームに驚きつつ、髪と身体を洗い終えた。  がたん。脱衣所の扉が開く音がしたのは、その時だ。歯でも磨くのかなーなんて呑気に考えていた美緒は、フロストガラス越しのシルエットに驚いて、湯船に飛び込んだ。 「それはナシ! 反則!」 「ま、ま、堅いこと言わないで」  にこにこと笑いながら、龍太郎はシャワーを使い始める。 「美緒ちゃんが一人で風呂入っちゃって、寂しかったんだもん」 「わ、一緒に湯船入んないで! かわいい顔したってダメ!」 「俺、普段ユニットバスだから、たまにはゆっくり浸かりたいんだよねえ」 「あ、じゃあ、あたし出るから! ゆっくり浸かってて!」  湯船から出るには、立ち上がって湯船を跨がねばならない。座った形の龍太郎の目の高さで。  新手のイジメですか、これ。  丸まって後ろを向き、出来る限り身体を離して足を抱えた。 「ふっ……」  息が漏れた。首筋から背中を柔らかいものが通る。多分、唇。肩を後ろに引かれ、湯の中で抱きかかえられる。 「はい、一緒に浸かりましょうねー」  なんですか、その陽気な声。腰に何か当たるんですけど。脇から手が伸びてきて、胸を玩び始める。 「やっ……」  美緒の唇を、龍太郎の指がゆっくりと辿り、首には舌が這う。風呂場のエコーの中で、美緒の断片の吐息が舞った。 「のぼせちゃう……」 「何に?」 「お風呂……ん……ふぁっ…」  くす。耳元で小さな笑いが聞こえた。 「覚悟する分の時間はあげる」  先に湯から立ち上がった龍太郎が、フロストガラスを開けてバスルームから出て行く。  覚悟する時間ってなんですか!  備え付けのナイトシャツを着て部屋に戻ると、龍太郎はボクサーショーツ一枚のままヘッドボードに寄りかかって、テレビを見ていた。 「なんでその格好?」 「どこでも備え付けのって大抵Lサイズなんだよね。浴衣の方がまだマシなんだけどさ、俺が着るとてるてる坊主と言うか、松の廊下と言うか。チビの上に幅もないから、仕方ないけど。家でも一人だとこのまんまだし、いいじゃない」 「シャツくらい着て。なんか、やだ」  家の中の男が父親しかいない美緒には、その姿は見慣れなくて目の遣り場に困る。  ベッドの端に腰掛け、ペットボトルのミネラルウォーターを口に含むと、マットが揺れて龍太郎が移動するのを感じた。  クローゼットの中に、メンズのパジャマが入っている。出して渡そうとキャップを閉めた時に、美緒の後ろから手が伸びた。 「着る手間なんか要らない」  美緒が抱きかかえられたのだと認識した時には、すでに身動きが取れなくなっていた。ボタンが二つ外され、シャツの中に手が侵入してくる。 「まったく、風呂出てから今まで何分かかったと思ってるんだよ。待ってる方だって大変なんだ」 「えっと、だって髪乾かしたり、化粧水とかっ」  なんとなく身に危険が迫って来る気がする。身体を捩ると、逆に腕ごと強く締め付けられた。 「はい、逃げられません」 「逃げないから、離して。ペットボトル持ってるし」 「ダメ。それは床に放ってしまいなさい」  ボタンが四つ目まではずれたシャツが肩から滑り落ち、ブラのホックは片手であっさりと外された。後ろから抱えられたまま、うなじに唇が這いまわる。胸に悪戯する指と、広げたまま円を描くように下腹部に近寄って行く手。 「んんっ……」  胸の先端を摘まれ、美緒は息を留めた。 「もっと力抜いて。寄りかかって」 「だって……うぁ……」  龍太郎は美緒の耳を甘噛みして、下腹に伸びていた手を更に下に進めた。ショーツの中に指が入る。美緒の呼吸が浅くなった。  前にしがみつくものはない。握りしめるのはシーツだけの心許なさで泣きそうだ。泣きそうなのに、自分の身体が熱を帯びてくるのがわかる。どうなるのかわからなくて、怖い。  何かを探していた龍太郎の指が隠れていたものを見つけ出して、先端に触れた。 「あっ……!」  殺しきれなかった声に励まされたかのように、指は大胆に動き始めた。 「いやっ……やっ……だめ……」  抱きかかえられた姿勢のまま、ショーツの中で指が動く。空いた片手は胸をやわやわと触り続ける。首筋に唇を感じる。 「足、もっと緩めて」 「……っ!」 「汚れちゃうから、脱いじゃおうねえ」  音符のつきそうな語尾で、龍太郎は美緒の身体をベッドの上に引き上げた。いくら小柄でも、女の子を引きずるくらいの力はある。 「ほら、着る手間なんて要らなかったでしょ。俺は脱がすの好きだから、嬉しいけど」  あの、その顔とセリフのギャップは何ですか。  龍太郎の嬉しそうな顔は、あくまでも可愛らしく爽やかだ。すでに用をなさない形で身体に巻きついている布類を外されながら、美緒はちょっと呆然とした気分になる。呆然としているうちに全部剥されて、ベッドの上に転がされたところで自分の視界がクリアなことに気がついた。 「ちょっと待って! 順番が違う! 電気っ! 電気消して!」 「気にしない、気にしない」 「すっごく気になりますから!」 「ん、見解の相違ってやつ? 経験後に意識のすり合わせしましょうねー」 「嬉しそうに言ったって……ん……」  文句なんて、口を塞いじゃえば聞こえないんである。早々に美緒の足の間に膝を割り入れた龍太郎は、胸に手を留めたまま身体を下に滑らせた。 「いやっ! 何?」  逃げようとする腰を、百科事典を開くような形で押さえる。 「そんなとこ見ちゃ……うぁ……」  語尾が消えたのは、百科事典の見開きに龍太郎が息を吹きつけたからだ。そのまま口をつけ、まだ逃げようとする腰を押さえつけた。 「だめっ!……やだぁ……」  トーンの変わった抵抗の声は、徐々に意味をなさなくなってくる。  龍太郎の顔が自分の顔のすぐ上に戻った時、美緒はこれで解放されるのだと思った。後は、少しだけ慣れてきたいつもの形で終わるのだと。  だから、龍太郎のキスが深くても、多少の余裕を持っていたつもり……だった。 「覚悟は良いでしょうか?」  耳元で囁かれるまでは。  ……何の覚悟なんでしょうか?  胸の先端を転がす舌、中を探りながら動く指。 「う……んっ……んくっ……」  なされるがままで精一杯で、美緒にできることはシーツを握り締めることだけだ。 「声、抑えちゃダメ」  龍太郎の舌先で美緒の唇は解かれていく。  ゆっくり、馴染ませるように何度か出し入れしながら深く繋がっていく。肩にしがみつく美緒の胸と自分の胸をこすり合わせながら、龍太郎は少しずつ角度を変えて中を探った。 「ぁあっ……」  小さな叫びを聞いて、もう一度そこを刺激してみる。 「ここ?」  言葉の答えが聞けない代わりに、美緒の中がひくりと動いた。美緒の指が龍太郎の肩に食い込む。  龍太郎が上体を起こしたので、美緒の手は行き先を失った。いつもなら不安にならないように、届く範囲にいてくれるのに。何か違う。  膝の裏側に手が入って、足が持ち上げられる。 「……っ! ぅあっ!」  受けたことのない刺激に、呼吸が詰まる。 「やだっ……これ、いや……っあっ……」  細い指が美緒の顔を撫でた。 「なんで? こんなに可愛い顔になってるのに」  龍太郎の掠れ声が上から聞こえる。 「だめ……なんか、おかしい……んんぁっ……やだっ……」 「おかしく、なっちゃえ」  緩急をつけながら、龍太郎の動きは止まらない。  何にも縋れない。呼吸が苦しい。助けて。 「やぁっ! ああっぁあっ……」  自分の身体がコントロールできない。怖い。  足を解放された途端、そこに救いがあるかのように、美緒は必死で龍太郎の肩にしがみついた。 「そろそろ限界。一緒にいこうね」  耳に吹き込んだ言葉に返事はない。美緒の口からこぼれるのは、激しい呼吸と声の断片だ。  強く締め付けられて、龍太郎の呼吸が熱い。余裕は皆無だ。眉根のぎゅっと寄った美緒の顔を見下ろす。もっと夢中になって。激しく動き出すと、高い声が上がった。  一緒に、いこうね。 「ぎゃーっ!」  美緒がシーツを頭から被ったのは、正気付いてからすぐのことだ。 「こんな、こんな明るいところでっ!」 「おかげで、美緒ちゃんのかわいい顔がしっかり見えたけど」  どの顔を見たって言うの!  顔の両側でシーツを握りしめると、上から体重を掛けられた。 「重いっ! 重いっ! つぶれるっ!」 「じゃ、ぎゅーってしたいから、出てきて」  おそるおそる頭だけを出すと、極上の笑みが寄ってきた。  翌朝、美緒が目を覚ますと、目の前に裸の背中があった。ぎょっとして自分を見て、見慣れないナイトシャツを確認してから、泊ったんだっけと思い出す。そっとベッドから抜け出して、シャワーに向かう。  バスルームから戻っても、龍太郎は姿勢を変えずに眠っていた。まっすぐな背骨と、均等な筋肉。  綺麗な背中だな。女の背中と形が違う。  こっそりと口づけしてみた。 「スケベ」 「起きてたのっ?」  慌てて飛び退く前に、腕を掴まれる。 「シャワーに行ったときから、起きてた」 「もう一回したいんなら、したいって言ってくれればいいのに」 「そんなこと考えてませんっ!」 「遠慮しなくていいから」 「遠慮じゃないっ!昨夜二回も……」  言いかけたところで、身体がくるんと返された。 「せっかくシャワー浴びたのにねえ」  朝から上機嫌な顔の龍太郎は、着たばかりのシャツを脱がせに掛かったのだった。
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