抱擁と包容

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抱擁と包容

 知り合いの葬儀に出た龍太郎から電話があったのは、夕方だった。龍太郎の高校生時代の同級生で、通夜ではなくて告別式に行き、実家に顔を見せると言っていたので、美緒はてっきり泊まって来るものだと思っていた。 「仕事終わったら、来られる?」  残業の予定はなく、明日は土曜日だ。平日に龍太郎のアパートまで行くことは少ないのだが、出掛けて行くことにした。  美緒が夕食の材料を買って、龍太郎の部屋に到着したのは、七時前。 「明日お休みだから、実家に泊まって来るかと思ってた」 「ん、ちょっとね」  歯切れの悪い返事があった。  落ち込んでるんだろうな。同級生亡くすなんて、経験したことない。 「おうどんにしようと思って、出来合いの天ぷら買って来ちゃった。いい?」  あ、と驚いたような返事が戻った。 「そうか、メシか。忘れてた。ごめん」  秋にはなっているが、まだ炬燵を出すような時期ではない。龍太郎はベッドに寄りかかって、テレビの画面を眺めていた。手足の力が抜けて、操り人形が座っているような形だ。 「メシじゃなくて、ここにいて」  横に膝を抱えると、龍太郎の頭が美緒の肩に、こてんと乗った。 「仲の良い人だったの?」 「いや、同窓会で会う程度」 「でも仕事休んで、告別式に行ったんだね」 「盆に同窓会やった時に会ってさ、隣に座ってたんだ。その時に胃の調子が悪いって言ってたんだよね。話したら、会社が近くて。じゃあ仕事帰りに会おうかなんてSNS教えあって、連絡したら入院してるって返信があったの。退院したら教えろよ、なんてね」  その時には、深刻な病気なのだと思っていなかったのだ。 「一回退院したってメッセが来てさ、飲めるようになったらまた連絡するって。その後また入院して、すぐ退院するからって」 「お見舞い、行かなかったの?」 「胃潰瘍だって言ってたんだ。見舞いよりも、次に会った時に奢れよって」  同年代の人間が死に至る病を得たことなんて、今までなかったのだ。ずいぶんひどい胃潰瘍だと思いはしても、まさか二度と会えなくなるとは思いもしなかった。普段名前も忘れていた友達の、学生時代の表情を次々と思いだして、龍太郎の声は詰まった。  龍太郎の頭がふわりと抱えられた。やわらかい力で、美緒の胸に押し付けられる。目を閉じると、心臓の音が聞こえた。 「悲しかったね」  あやすように美緒の指は、龍太郎の髪を梳いた。 「悲しかったんでしょう?」 「うん」  美緒の胸に頭を凭せかけたまま、龍太郎は返事を絞り出した。  うん、すごく悲しかったんだ。 「今日ね、龍君の所に泊まります。うん、明日帰る」  家に報告する時、どこに泊まるかなんて言ったことはなかった。瞳に力のない龍太郎を見たら、なんとなく宣言しなくてはならないような気になった。  龍君が塞いだ顔をしてる時、あたしは龍君の横にいたい。  それが美緒なりの何かの宣言だとは、当の美緒自身も気がついてはいなかった。  一緒にベッドに入って、眠るために寄り添った。お互いの体温を分け合うように、肩をつけたまま。  もっとそこにいることを確かめたい。  龍太郎の指はシャツの裾から美緒の肌に触れた。ゆっくり肌の感触を確かめながら、胸を探る。  美緒は黙って龍太郎の頬を撫でた。  胸の感触を指に感じていると、何故か安心できる。触っているうちに、唇で触れたくなった。 「キスしていい?」  シャツをめくり上げて胸に唇を寄せ、耳を乗せて心臓の音を確認する。  なんか、すっげえ甘ったれてんな、俺。  頭に緩くあてられる美緒の手の暖かさに、龍太郎は目を閉じた。赤ん坊が母親に抱かれて安心した顔をするように、呼吸のたびに上下する胸に頭を預ける。  情けない顔見せちゃって、こんな風に宥めてもらって。  めくりあげたシャツを丁寧に戻して、もう一度肩を並べて、布団の中で手を繋いだ。 「死なないでね」  美緒がぽつりと言った。 「あたしより先に、死なないでね」  絶対にあり得ないという保証はどこにもない、意味のない約束。龍太郎は半身を起して、美緒の顔を見下ろした。暗い部屋の中、瞳がまっすぐに龍太郎を見つめていた。  龍太郎は美緒の頬に頬を合わせた。 「見張っててよ。俺が先に死なないように」  美緒、と耳元で何度も名前を呼んだ。やわらかい吐息の返事があった。龍太郎の指は緩やかに動き、美緒はゆっくりと身体を開いた。 「あったかいな」  隙間なく身体を密着して、腕を回しあう。激しい波のない静かな行為の後で、美緒は深い息を吐いた。 「龍君がここにいることが嬉しい。」  美緒の首に回した龍太郎の腕は、感謝の分だけ強く巻きつく。 「ありがとう」  寄り添って手を繋いだまま眠りに落ちた。  翌日の夕方、龍太郎ははじめて美緒を家まで送って行った。もちろん電車で、である。  早い時間だったので、心配だったわけじゃない。離れ難かったのだ。徒歩では駅からたっぷり三十分以上ある美緒の自宅まで一緒に歩き、玄関先で手を振ろうとしたところで、母親に捕まった。 「あら、わざわざ送って来てくれたの? お茶くらい飲んで行きなさい。あがって」  美緒のテンポの速さは、母譲りである。  リビングでぎこちなくコーヒーなど飲んでいると、父親がビールを出した。 「篠田さん、だっけ。先日はどうも」  作業着VSパジャマの顔合わせは記憶に新しい。 「美緒の会社と同じビルだって? 何の仕事してるの?」  娘しか持たない父親らしい、やわらかい口調だが明らかな探りである。 「ひとり暮らしなんでしょう? ご飯、食べて行ってね」  母親が朗らかに言う。頼みの綱である美緒は、着替えるために自室に引き上げている。  すみません、心の準備できてません! 出直していいですか! 「どこ出身? ああ、埼玉じゃ近いんだねえ」  にこやかかつ丁寧な父親に強張りつつ、ソファに座った龍太郎は室内を見回す。  龍太郎がようやく腹が括れたのは、二本目のビールが空いた頃だ。美緒の父親は胃弱で酒が弱く、すでに酔った顔をしている。 「篠田君、見掛けによらず酒が強いね」  ちょっと横になる、と父親は立ち上がった。 「ぼんやりした娘だけど、よろしくね」  はい、と生真面目に返事した龍太郎の顔を、美緒は見ていた。 「美緒ちゃんの彼氏が来てるのお? まさか、結婚の挨拶?」  大学受験のために図書館で勉強していた麻紀が帰宅し、リビングに顔を出す。 「まさかっ! そんな、気の早いっ!」  弾けた顔色の美緒を見て、麻紀は面白そうに笑った。 「だって、親に顔見せるなんて覚悟の上じゃない? ねえ、篠田さん?」  母親がキッチンから顔を覗かせたのを確認して、龍太郎はゆっくり返事した。 「もちろん、いずれそのつもりです」 「……え?」
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