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 まずは証拠集めが先だった。いじめなど、要は犯罪と同じだ。犯罪も証拠があれば立件ができるはずだし、何よりこの社会は証拠さえあれば、有利に進む。それにいじめは暴力と一緒だ。暴力はこの世で最も忌むべきものであり、いらないものだ。暴力をふるったやつは、すべからく負けなのだ。僕がそれを知らしめなければならない。妹がもう二度と自身に暴力をふるわないように。  そして、僕は妹の部屋にあるものを物色する。僕と妹は同じ部屋だが、カーテンをつるして、部屋を分割している。その気になれば、こうして入ることもできたし、もしかしたら妹の変化も分かったかもしれない。それなのに僕は全く気づかなかったのだから、ふがいない兄貴だ。  妹の部屋は、ファンシーなグッズがたくさん置いてあった。カラーボックスはピンク色で化粧道具と見られる小瓶がいくつも飾ってあった。何かしらのアニメのグッズだろうか。猫とも狸とも言えないキャラクターフィギュアがカラーボックスの上でポーズをとっている。その愛らしいしぐさに思わず微笑む。妹の机の上には参考書がずらりと並べられている。どれも使った気配がない。兄として勉強が心配になるほどだ。  机の端には規則正しく本が並べてある。どの本も僕が知らない作家で、僕の趣味とは正反対だ。このあいだ芥川賞をとったとされる作家の名前があった。小指の細さしかない厚さの本で、なぜか無性に気になった。手に取って裏を返してみると、虐待という文字が目についた。あの妹が、一体どういった領分でこれを読んでいるんだろうか。 幼い頃、虐待を受けた主人公は、大人になってからも虐待の妄想にとりつかれる。自身への攻撃をさせようとわざと挑発したりといった、物を高い場所から落として誰かに当てるような、わけがわからない残酷な描写がされている。どくどくと、心臓が血液を駆け巡らして、どくどくと、次の本へ手を伸ばす。  今度も虐待の文字があった。幼少に虐待をされた主人公は、大人になってから父と同じになるのではないかと苛まれている、といった物語。 「やばいだろう」と感嘆を僕は零してしまっていた。  妹が危険思想に取り込まれている。これはきっといじめのせいであるはずだが、いじめという証拠はまだ出ていない。いじめの証拠がなければ、疑いたくはなけれど、両親を調べよう。僕が知らないところでお父さんが何かひどいことをしているやもしれないし。お母さんが言葉責めにしているなんてこともあり得る話だ。  さっきからどくどくと、怖いぐらいに興奮していた。耳が研ぎ澄まされて、物音ひとつ取り逃がさない。僕の服の衣擦れさえも鼓膜が拾っている。  僕は本をいくつか取り出して、机の上に広げた。中身を気にせずに、とりあえず全て取り出す。いじめの定石はこういうところに落書きがしてあることだと聞いた。本をめくり、教科書をあさると、綺麗なマーカー線が目についた。妹は律儀に定規でマーカーを引いているらしく、綺麗な直線がところどころにまぶされていた。どの参考資料も、折り目がなく、新品同然に綺麗に扱われている。  ただ最後に見た教科書だけ、中身がカバーと違っていた。見たこともないような、死に方が記されている。目が追いつかなくなって閉じて、カバーを外すと、完全自殺マニュアルという新たな表紙が目に飛び込んできた。もう一度中身を見て、これもまた律儀に線を引かれている。  僕は、なんとも言えずにぐっとこらえて見据えていた。そのマーカーひとつひとつが愛おしかった。こんなことにマーカーを引っぱる妹の背中を想像した。目の表面が熱くなった。こんなことをさせるやつをはったおしてやりたくなる。  どの教科書も落書きすらなかった。成果は得られず、完全自殺マニュアルだけが後味悪く記憶に焼きつく。  最後に、机に取り付けられている棚を引っ張る。中にはノートが並べられていた。流石に中学生のノートは捨てていて、高校で書き記したノートしか残っていない。一冊とりだしてみて、整然と並べ立てられた文字列に圧倒された。もっと自分なりにまとめていいのに、真面目すぎるやつだな、などと僕は笑ってしまう。  いくつか手に取り、どれも同じように黒板の板書そのままを写したものしかない。面白みに欠けている。  一番奥にある世界史のノートを抜き取る。すると、はらりと小さなメモが降ってきた。首を吊った猫の絵が描かれている。ぐしゃり、と掌で握りつぶした。すぐに掌を開いて、しわが入ったメモをみると、やはり首を吊った猫としか思えない。顔の表情は分からない。鉛筆で太く荒い線で、猫が描かれて、細い線で縄を首にかけている。猫の足下には、猫の影とともに『死んじゃえ』と弱々しい文字で記されている。妹の文字とは正反対の殴り書き。  どくどく。どくっと、大きな振動が体全体を揺さぶる。痛いくらいの音と動きに、僕すらも驚きを隠せなかった。 「見つけた」  大切にポケットにしまう。  今度は教科書と本を元の位置に戻す作業に移った。広げられた本を順番に並べる。僕は記憶力がいい。暗記は大の得意だから、手に取るように元の配置が分かった。  証拠だけ得られたのなら、それで十分だ。あとはお兄ちゃんがなんとかする。
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