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 ポケットの中には、妹の部屋で見つけた証拠品があった。掌でくしゃくしゃに丸めて見ないようにはしていたが、頭の中では猫と同じように妹が、首を吊っている光景が何回も繰り返し上映されていた。誰かが妹に向けて、死んじゃえと、と言っている口元が見えた。その歯は白く、おそろしいほど眩しく微笑みをたたえている。  妹にそんな顔で、そんな恐ろしいことを口にするなよ、僕は歯を剥いて抵抗した。暴力は暴力で返してはいけない。また新たな暴力を生み出すだけだから、必死に拳を握り、言葉で対抗する。妹はな、お前なんかよりよっぽど優しくて、良いやつなんだよ、そんな下劣な口で妹の名前を口にすんな。僕は妹の良いところと悪いところ数個あげつらって、どれも家族として愛おしく思っていることを再確認した。  このポケットの中の証拠品を今すぐに教育委員会にあげてもいいけれど、まずは妹に証言させていじめがあるということを確固たる事実にしなければならない。  だから、妹の反応を見ることにした。首を吊った猫の紙切れを机の上に置いて、そこから糸口を探る。  大学の授業が終わった後に、家に早めに帰り、カーテンの隙間から妹が机の上に置かれたメモにどう反応するか、待つことにした。  妹は帰って来るやいなや、「ただいま」もなしに、ずかずかと部屋に入り、学校指定のバックを放り投げた。そして机の上にある紙切れを見て、立ち止まった。その背中は、僕が想像していたよりも幼く、弱々しく見えた。 「なあ、何かあったら言えよ」  僕が仕切り越しに言うと、妹は首を両手で押さえて瞼を力強く閉じた。手首の袖がめくれ上がり、黄色く変色した包帯が見え隠れする。 「いじめ、とか」  僕が言うと、妹がうなりだす。うん、うん、と獣のように、喉元をならすと、勢いよく振り向いた。妹の瞳が刃物が光るように輝いていた。その瞳はカーテンの隙間の僕の瞳を射る。目からビームがびびび、と発射される能力が妹にあったら、僕は今まさに殺されていたに違いない。 「こそこそ、妹の部屋に侵入して、物をあさるなんて最低。ふざけんな。ばーか」 「なんだよ、心配してんだよ」カーテンを開いて僕は妹と対面した。 「心配してるから、何しても良いの。死ね」  その一つひとつの暴力的な言葉は僕にではなく、いじめているやつに言っているみたいに思えた。それだけ抵抗しているのは、僕に知られたくないことがあるからだ。あまりに憐れだった。 「そんな言葉使っちゃだめだよ。誰にも。僕だからいいけれど。死んでいい人なんていないんだから」  妹は、目を見開いて、それから目を伏せる。長いまつげの先がしおれていた。黙り込んで、唇を甘くかみ「ごめんなさい」と口元で小さく吐いた。苦々しい言葉に、僕が言わせてしまった責任が覆い被さる。 「ばれることは恥ずかしいことじゃないから。僕はお前の味方だし、誰にも言わない。もちろん、お母さんや、お父さんにだって。だから、つらいことがあったら言えよ。お前見ているとつらいよ」  妹の顔色は青ざめていき、生気を失った。僕から顔をそらし続ける。袖口を引き延ばして、手首をつかむ。肩が震えていた。セミロングの髪は肩口ではねていた。一本だけ、髪の毛の先が枝分かれてしているのがうかがえた。 「でも、いじめられてなんかない。それだけは本当だから」  妹の最後の抵抗に見えた。カーテンが妹の方から力強く閉めきられる。僕はその仕切りに手をかけることすら、億劫になり、部屋から去ることにした。食卓へと移動して、お母さんと一緒に夜ご飯の支度をしようとした。そこへ、食卓の上にプリントが一枚、お母さんに提出されていた。妹は、「ただいま」と言う代わりに、こういうところはきちんとこなす。 「高校の授業の参観があるんですって」とお母さんが言うと、僕はプリントを手で押さえた。しわがれていないプリントは冷たい。 「お兄ちゃんも行く? 他の親御さんはだいたい来ないっていうから、あの子嫌がっちゃって」 「行く」  僕の声は、固い意志が宿っていた。
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