冷たい風を切って

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 「結局やるの?」 おれは春佳にたずねる。  「今さらそんなこと言わないでよ」と言われ、おれは気乗りしなかったが、諦めて春佳の考えに乗ることにした。  おれたちがいるのは校門の近く、すこし奥まった場所にある駐輪場だ。校門を通り過ぎる生徒の様子が分かりやすいうえに、校門からこっちを覗く人なんていないから、人が通るのをこっそりと待つのにはちょうどいい。  おれは溜め息まじりで校門をながめた。ちょうど最終下校時刻も近づいてきた頃だ。校門の周りには、生徒が何人もたむろしている。  そのとき、春佳が「来たよ」と言った。  おれも校門の方を向く。春佳が指さす方を向くと、たしかにそこには圭一の姿があった。  圭一は一人だ。部活が終わったあとで、誰かと一緒に帰るのだろうかと考えていたから、すこし拍子抜けする。  圭一はそのまま校門を出ていった。南の方に曲がって行ったから、このまま一人で駅に向かうのだろうか。  「ねえ、わたしたちも行くよ」  春佳が言った。「おう」とおれたちは駐輪場を抜け、校門を出る。圭一の姿が見える程度に距離を置きながら、おれたちは歩いた。  おれたちがやっているのは、要するに尾行ってやつだ。  委員会の仕事が終わった後の廊下で、おれは春佳に話を持ち掛けられた。  「今日の帰り、圭一を尾行して、圭一がわたしたちを避けて帰り道に何をやっているか確認しよう」と。  「ええー」とおれは言った。気乗りはしなかった。だって中学からずっと仲のいい圭一だ。そんな疑うような真似はしたくない。 万が一おれたちの関係にひびが入るようなことがあったら、今の状態からだと修復するのは簡単じゃない。もしもそうなったら、おれはきっと後悔するだろう。  そういうことを言ったら、春佳に容赦なく言い返された。  「それは関係が変わるのが怖いだけじゃないの? 逆にこのまま何もせず、どんどん関係が離れていったら、それこそ後悔しない? あのとき圭一に向き合わなかったから疎遠になってしまったんだって」 そう言われると返す言葉がなかった。  「わかったよ」とおれは言った。  「じゃあ決定ね」そういうと、春佳は渡り廊下を通り過ぎ、自分の教室に入った。  「まだ最終下校時刻までは時間があるし、宿題とか終わらせとこうよ」  おれは春佳の隣の席に座った。そしてリュックサックから参考書を出し、ふたりで解き始めた。他の教室にも生徒はいないようで、この建物ぜんたいがひっそりしている。  運動部の掛け声が遠くの波のように響いてきて、勉強するにはちょうどいい環境だ。  目線を横に向けると、春佳が集中して問題を解いていた。  おれはふと、同じ塾に通っていた中学生のころを思い出した。  おれたちが通っていたのは、大手の塾チェーンではなく、市内のはずれにある個人塾だった。一つの一軒家の一階が丸ごとひとつの教室で、二階はすべて自習室にあてられていた。  市内といっても、やや距離の離れたところにあるその塾は、通っている生徒の大半は他の学校の生徒だった。だからだと思うが、おれたちはよく、休み時間に三人集まって話をした。  また、受験生だったころには、三人で一日中ずっと自習室に籠っていたこともある。座り方はいつもおれが真ん中で、右に春佳、左に圭一だった。  そのことを思い出したのは、右側に春佳が座っているからなのだろう。三人で同じ高校に進学できたのはいいものの、三人で同じクラスになったことは一度もなかった。特に春佳とおれに関しては、高校では一度も同じクラスになっていない。  「なんか懐かしいな」  おれは春佳に話しかけた。唐突すぎたから説明を補足すると、春佳もうなずいてくれた。  でも今は、おれの左側には圭一がいない。  二人しかいない放課後の教室は。どこか冷たい空気が流れているようだった。  校門を出ると、圭一はひとり真っすぐ歩いて行った。おれたちは距離を置いてあとをつける。万が一バレたとしても、帰り道は同じなのだから「偶然同じ時間に帰ることになった」と言い訳すればいいが、なるべくそういうリスクは減らしたい。  おれたちと圭一の間には、同じ方向に歩いてゆく数人がいた。圭一の様子は分かりづらかったが、それでもおれたちの存在がバレるよりはマシだ。  そのときだった、「あれ?」と春佳が声を出した。  「どうかした?」とたずねると、「いつのまにか圭一の隣に女の子がいる」と春佳さんは言った。  おれは前を向いて圭一の方に目をこらす。間を歩く何人かに邪魔されて、あまりよく分からないが、たしかに圭一の隣には女子生徒がいる。  「え、いつの間に?」  おれは思わず声に出していた。圭一はもともと一人で帰っていたはずだ。  「ね、なんでだろ」春佳もうなずく。  圭一はいつの間に女子と合流したのだろうか。  そのとき、すぐ脇の大通りを走っていたバスが近づいてきて、おれたちの前方で停車した。そういえばそこにはバス停がある。何人かが乗り込んで、別の方に向かう何人かは、まだ列をなしてバスを待っている。  もしかして、とおれは思った。  「もしかして、このバス停で待ち合わせしてたのかな」  「え?」と春佳がおれを見た。  「ほら、バス停で待ち合わせすれば、校門で待ち合わせするよりも目立たないじゃん」  「たしかに……」と春佳がうなずく。  おれたちは圭一の様子を注視した。圭一と女子生徒はなにかを話しながら帰っているようだが、その内容はさすがにわからない。  「あの二人、付き合ってるのかな」とおれはたずねた。  「どうなんだろうね」と春佳は言った。「男子だったら、噂になるのが嫌だからって理由で、友達でも人目に付かないようにすることとかあるかもしれないし」  「そうなのかなぁ」  そういえばおれはまだ誰とも付き合ったことがない。恋愛のことはよくわからない。  そのあとは会話が続かなかった。そうしているうちに駅に着いた。一キロちょっとの道のりは、歩くと意外と短く感じられる。  駅ビルに入って、改札近くまで来た時だった。建物の中は目立つからと、おれたちは柱の陰から二人の様子をうかがった。  「結局なにも分からなかったな」おれがそう言ったときだった。しっ、と春佳さんがおれに言った。「二人を見て」。  おれは改札前の二人をそっと見た。  圭一と女子とは、別れを惜しむかのように話しこんでいる。 だが圭一はしきりに時計を気にしている。電光掲示板を見ると、もうすぐで電車が来る頃だ。二人の話が終わって別れようとした時だった、一瞬、女子が圭一に抱きついた。女子生徒のポニーテールが揺れた。 おれは思わず柱の陰にかくれた。春佳も気恥しくなったようで、両手で口を覆っている。 圭一がいなくなったのをうかがってから、おれは口を開いた。 「こういうことだったんだな」  春佳は「ね……」と言ったまま、何も言わなかった。  おれたちは黙ったまま、圭一の乗った電車が駅を発ったのを確認したあとで、改札を通りホームに向かった。  何分か待ってやってきた電車に、二人で乗り込んだ。隣り合って座り、お互い単語帳を開く。なんとなく、ふたりとも何も言わなかった。  そうして何駅か過ぎたころだった。  「圭一ってさ、」と春佳が口を開いた。「うん」とおれはうなずく。  「あの子と付き合ってるのかな」  カーブに差し掛かって、電車が揺れた。  「そうだろうな……」  おれはそうとしか答えられなかった。  「おれは恋愛とかよく分かんないけど、たぶんそうだと思う」  「だよね」と春佳がうなずいた。  「わたしもそう思う。誰かと付き合ったことはないけど」  そう言ったとき、春佳が「あ、でも告白されたことはあるよ」と言って、おれは驚いた。  「いつ?」  「二年生の、たしか秋ごろだったかな」  「なんで付き合わなかったの?」  おれは矢継ぎ早に質問してしまう。初めて知ったことだったから、どうしてもビックリした。  「だって、悪い人じゃなかったんだけど、付き合ってもこの人をこれ以上は好きにはならないなって思ったんだよね」  「そっか……」とおれはうなずく。どういう相づちが正解なのかよく分からなくて、すこしもどかしい。  「そういえばさ、中学校の頃、圭一が似たようなことを相談してたのおぼえてる?」  春佳にたずねられて、「ああ、うん」とうなずく。  中学生の頃、塾の休み時間に、圭一が「同級生に告白されてどう返事をしていいのか迷っている」と相談してきたことがあった。おれたちは圭一の気持ちを率直に伝えればいいよという感じのアドバイスをしたっけ。  たしかあの一件は、圭一が相手を振って終わったはずだ。  「圭一、今回はわたしたちに何も言わなかったんだね」  窓の外では太陽が今にも山の稜線に沈んでゆくところだった。
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