冷たい風を切って

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 翌日の部活はオフだった。バドミントン部の主な活動場所は体育館だが、そこはバレー部やバスケ部の練習場所でもある。それぞれの部活が体育館で練習できる日は均等に割り振られているから、どうしたって一つの部活の練習時間は少なくなってしまう。  おれはいつもなら不平を言っているこの状況に、初めて感謝した。  圭一に会わない間に、状況や自分の感情を整理できるからだ。  そして今、おれは体育館までの通路を歩いている。ホームルームが終わり、このあとは部活の時間だ。ついさっき、部室からラケットやシューズなどの用具を取ってきた。体育館は目の前にある。状況や感情がどこまで整理できているのかは、いまひとつよくわからない。  階段を上って、体育館に向かう。この学校の体育館は二階にあり、一階は大きな吹き抜けになっている。  だけどたぶん、圭一に会っても大丈夫だろうなとは思う。  おれには圭一の感情や考えもわかっていない。だから自分の感情がどう行動に結びつくのか想像できない。  おれは体育館の扉を開けた。やけに重い扉は体重をかけてようやく開く。するとハレーションを起こしそうなくらいのひかりが、そこにはあった。  まだほとんど人のいない、がらんとした体育館には、ひかりがあふれている。光沢のある床の木目が、窓から差すひかりを反射してきらめいているのだ。  ようやく目の感覚がもとに戻ったころ「お、来たか」と声をかけられた。圭一だ。「おう」とおれは普段通りの返事をした。変に動揺もしていない。 圭一は器具庫から出てきたようで、ネットを立てるための支柱を、片手に一本ずつ手に持っている。  「わりぃ、片方持っててくれ」  左手に持つポールを圭一に差し出され、おれは両手で受け取る。コートの支柱は両手で一本を持つのは余裕だが、片手に一本ずつ持つにはやや重すぎる。  おれはもう片方の穴に支柱を立てると、圭一と一緒に器具庫に向かい、他のコートに支柱を立てたりネットを張ったりした。そうしているうちに部員が集まってきて、部長の圭一が号令をかけた。  「アップしたあと、一年生は腹筋三十回×三セット、腕立て伏せ二十回×三セット、体幹トレーニング二分×五回。それが終わったらコート練に加われ。 二年生は新人戦が近づいているから、コート練中心に。ひとつひとつの動作を行いながら、コートの広さがどれくらいなのかを感覚に叩きこんでくれ」  「はい!」とおれたちは散らばって、練習を始める。  まずはステップと呼ばれている練習だ。部員の半数がコートに入り、ショットを打つ際のフットワークを一分間練習することで体に刻む。  「俺が先に行くから」と圭一が言った。「おう」とおれは返す。  タイマーが鳴り、圭一はステップを始める。前、後ろ、右前、左前、右後、左後とコート全体を動き回る。そしてそれを時間いっぱい繰り返す。外から眺めると狭そうに見えるが、中に入ると広く感じるのがバドミントンのコートなので、これだけで結構きつい。おれはコートの外から眺め、自分のイメージトレーニングを行う。  それにしても、圭一の動きには無駄がない。ワンステップの大きさが正確で、使うべき筋肉を無駄なく使っているから、最短距離で目標地点にたどりついている。  すげえなぁ。おれはふと声を漏らしていた。いつの間に圭一はこんなに無駄のない動きを手に入れたのだろうとおれは思う。  残りの半数は休憩時間だが、次の番はわずか一分後にやってくる。タイマーがビッと容赦ない音を鳴らした瞬間におれたちは交代してコートに入る。前後左右に走り回り一セットを済ませると、それを三回繰り返してステップによるウォーミングアップを終えた。  「じゃあ次は休憩のあとでコートに入って練習するぞ」  そういって圭一はタイマーをセットした。五分〇〇秒とデジタルの数字が浮かび上がり、少しずつ秒数が減ってゆく。  圭一は体育館の扉を開け、外の、ベランダのようになっているところに出た。  圭一に話を聞くなら、今がチャンスなんじゃないか。  おれはふと思い立って、圭一の背中を追った。外に出ると明るくて、一瞬すごくまぶしい。そして風が吹き抜けていて気持ちがいい。  「なあ、圭一」  おれは声をかけた。どう切り出せば正解なのかは分からないが、圭一ならおれの言ったことを、無下にするような答え方はしないはずだ。  「どうした?」  圭一が振り向いた。  「昨日、駅で一緒にいた人って、どんな子なの?」  おれは思い切ってたずねた。休憩時間は短いし、圭一と二人きりでいられる時間はさらに短い。はやく聞いておかないと、おれ自身がこの疑問を放り出してしまいそうな気がしたからだ。  「何を見たんだ?」  圭一の表情は、あまりよくわからない。圭一は普段から表情の変化に乏しい。だから今わかるのは、圭一が困惑していることくらいだ。  「昨日、女子と一緒に帰ってたみたいだからさ」  「ああ、あれか」と圭一は口ごもる。  「もしかして、付き合ってんの?」  おれは冗談めかして話した。すこしでも空気を変えたかった。  だが圭一の表情は重いままだ。  「そうだけど、でもそういうのやめてくれないかな」  圭一が口を開いた。「そういうの?」とおれは訊き返す。  「うん、そういう風に、変に干渉してこないでほしい」  その言葉を飲み込むのに、一瞬、間が空いた。何でと思った。おれたちはずっと仲が良かったはずなのに、何でそんなことを言うんだろう。  「干渉するなってどういうことだよ」  おれはたずねた。そうすることしかできなかった。  「言葉のとおりだって。もうそういう風に関わってこようとしないでほしい」  圭一の返事は冷ややかだった。  「なあ、おれが何かしたのか?」  おれはたずねた。すこし明るめの声を心がけて。  だがそれも「別に」と振り払われた。ビッ、と音がした。休憩の残り時間が三十秒になった合図だ。  「じゃあ俺は戻るから」圭一は俺に背を向けた。  おれはここで話を途切れさせてはいけないような気がした。  「ちょっと待って、おれも春佳も、お前のことを心配してるんだからな」  そういうと圭一は振り向いた。  「だからそういうのをやめてくれって言ってるんだって」  その言葉は氷のように冷たくて、おれは軽く身震いがした。  その後は練習に身が入らなかった。圭一はいつものように強かったが、おれはくだらないミスばかり連発した。圭一との試合形式の練習も、ろくな試合にならなかった。  「まじめにやれよ」と圭一に言われ、おれはすこし卑屈になる。  ——そりゃあお前みたいに高二の頃からインターハイの予選に出してもらえる人間じゃないからな。  その言葉は、胸の内だけにとどめておいた。「ごめんごめん、今日なんか調子悪いみたいでさ」という返事を言っておいた。  翌朝の電車で、圭一とのことを春佳に話した。  「おれに干渉するなって、圭一が言ったの?」  春佳が目を見開いて訊いた。「うん」とおれはうなずいた。  「干渉するな、か……」  春佳が窓の外に目をやった。そして「ねえ、本心だと思う?」とおれにたずねた。  「わからない」とおれは答えた。  「本心だと言われたら信じるし、かといってもしかしたら強がりなのかもしれない」  そういうと春佳は「そっか」とだけ言った。  「わたしたちは圭一の何を知ってるんだろうね」  車窓には景色が水のように流れてゆく。おれたちは圭一のことを何も知らなかったのかもしれないなと思った。  圭一と仲良くしていたことも、もしかしたら水を掬ったときのようなもので、気付かないうちに指の隙間からこぼれ落ちていったのかもしれない。そして気がついた時には、わずかに湿った手のひらが残っているだけなのだろうか。  「そういえば今日の放課後って空いてる?」  春佳がおれにたずねた。  「部活だけど、でもなんで?」  「あー、やっぱそうだよね」と春佳が考え込む。  「あのさ、悪いんだけど、今日の部活休んでくれない?」  春佳がおずおずと言った。  「え? なんで」  おれは戸惑った。だけど「お願い、今回だけだから、どうしても」と言われ、断れなかった。  「いいけど」と言い、おれは部活のグループにLINEを送る。「用事があるから今日の部活休む」文面はこんな感じでいいだろう。どうせ顧問は来ないから、大した問題にはならない。  「でも、放課後にどっか行くの?」  おれは春佳にたずねる。  「行くけど、どこなのかはまだ内緒ね」  「ええー、仕方ないな」おれは食い下がらなかった。春佳には春佳の考えがあるのだろう。  そのあとは教室前の廊下で「また放課後ね」「おう」と言ってわかれた。
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