冷たい風を切って

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 放課後に春佳の教室に向かうと、彼女はすでに廊下に出て待っていてくれていた。  「ごめん、待った?」  そう聞くと春佳は首を横に振った。  「大丈夫、まだ時間はあるから」  そういって春佳は歩き出す。いくつもの教室の前を通り過ぎ、彼女が立ち止まったのは、廊下のいちばん端にある一組の教室の前だった。教室の中では、何人かの当番がまだ掃除をしている。  「うん、大丈夫、ちゃんといるな」  春佳が教室の中をのぞきこんで言った。  「誰か待ってるの?」  おれがたずねると、春佳は「そうだよ」とだけ答えた。「誰を?」とおれは訊き直す。  すると春佳はすこし考えて口を開いた。  「一昨日、圭一と一緒にいた子」  「え?」  おれは戸惑った。まったく想像していなかったから、状況がよく飲み込めない。  「昨日の昼休みに、圭一がその子のクラスに向かったんだけど、その時にこっそりその後をついて行ったんだよね。そうやってクラスを特定して、そのクラスにいる友達にポニーテールの子はいないかと聞いたら、その子だと分かったわけ」  春佳が経緯を説明してくれるのを、おれは呆然と聞いていた。  「わたし割と頑張ったんだから褒めてよ」  そう言われて「す、すごいな……」と褒める。  「引いてる?」と聞かれて、おれは「ちょっと」と正直に答えた。下手な嘘をついても、春佳は喜ばない。短くない付き合いだから、それくらい分かっている。  「でも、圭一のことが心配じゃん」  「それはたしかにそうだけど……」  春佳の表情が、あまりにも真っすぐだったから、おれはそうとしか言えなかった。  そうして数分ほどが経った。掃除が終わったようで、挨拶の声が聞こえたあと、何人かの生徒が廊下に出てきた。春佳がその生徒を眺め回し、ポニーテールの女子が出てきたところで、おれに目配せをした。  彼女は廊下に置いたリュックを背負うと、そのまま階段へと向かおうとした。  春佳が動いた。後ろから肩を叩き「あなたが速水さん?」とたずねた。  「そうだけど、何?」  彼女が振り返って言った。おれはそのとき、彼女の名字を初めて知った。  「聞きたいことがあるから、時間もらってもいいかな」  春佳の声はやさしいが、顔が笑っていない。おれは春佳にその場を任せて、ただ黙って立っていることしかできなかった。  「いいけど」  速水さんが小さく口を開いた。  春佳は「じゃあついてきて」と言うと、そのまま歩いていった。その後ろを速水さんが歩いていて、おれは二人の背中を追った。  春佳は自分の教室の前に立ち止まり「立ち話もなんだから、ここで座って話さない?」とおれたちを招き入れた。放課後の教室には誰もいなくて、傾いた日差しがすこし寂しい。  春佳は椅子を後ろに向けて座る。速水さんがすぐ後ろの席に座り、ふたりは机を隔てて向かい合う。おれは春佳の右横に座った。  「まだわたしたちの紹介をしていなかったね」  春佳はそう言って話を切り出した。「わたしは杉浦春佳、こっちがまこと」と言ったので「フルネームは西村誠ね」と付け足す。  「で、わたしたちは圭一と仲がいいんだけど、最近なぜか圭一の様子がおかしくて、心当たりとかない?」  春佳の表情は変わらない。笑いも悲しみもしていない、体温の低い表情のままだ。  速水さんは考え込んでいる。それは心当たりを探しているというより、何を言って何を言わないかの選別をしているんだろうなと思う。  「あるよね?」  春佳が詰めた。だが速水さんも表情を変えない。  「圭一は変わってないよ」とだけ言って口を閉ざした。  「そっか、じゃあ話を変えるね、あなたと圭一はいつから付き合ってるの?」  春佳が淡々と話を切り上げて、流れを変える。  「付き合ってるとか、何で知ってるの」  速水さんが薄く笑いながら言った。  「内緒。でも付き合ってるんでしょ?」  春佳は表情を変えない。  「付き合ってるよ」速水さんが、さも当然のことのように言った。「付き合い始めたのはいつだっけな、たぶんもう四か月くらい経つのかな」  四か月。つまり去年の冬頃からか。おれは頭の中で指を折って考える。  「なんで付き合い始めたの?」  「なんでって、お互い好きだった以外の説明はいる?」  そういって速水さんは笑った。  「そう」  春佳が話を切った。  「そのことを誰かに伝えたりしてるの?」  春佳は間髪入れずにたずねて、相手から話し出す余地を与えない。  「言わなきゃいけないの?」  速水さんが顔をしかめる。  「そんなことはないけど、でもいつもの圭一なら言うようなことを、今回に限って言わないのはおかしいなって思って」  そう言うと、春佳は前のめりになって言った。  「ねえ、なんで圭一は話してくれなかったの?」  そういうと速水さんは強い口調で言った。  「それはあなたが圭一から直に訊くべきことじゃないの?」  春佳は言葉に詰まった。「そうだけど……」に繋がる言葉を見つけられていない。  「自分だけが怒ってると思わないで、私だってずっと前からあんたたちに怒ってるんだから」  そう言った速水さんの口調は、まるで鉄のように冷たかった。  春佳さんは何も言えていない。  「それってどういうこと」とおれはたずねたが「私もう帰るから」と制されてしまった。  速水さんは誰も寄せ付けない静けさをまとって出て行った。嵐が過ぎたあとの荒野のような教室で、おれと春佳さんはずっと動けなかった。  「ごめんな」  おれは春佳に謝った。  「なんで謝るの」  春佳は力なくつぶやく。  「だっておれは何も言えなかったし……」  「いいよ。わたしだって誠を無理やり連れてきたようなもんだから」  そういうと、春佳は溜め息をついた。  「ねえ、わたしのやってることって、間違ってるのかな」  そう言って、窓の外をぼんやりと眺める。  「え、なんで?」  「だって、圭一が言いたくなかったことを、自己満足のために勝手に探ってるわけじゃんか」  おれは考え込んだ。「そうかもしれないけど……」  「けど?」春佳がおれに訊き返す。  「たぶん完全に間違いでも、完全に正解でもないと思うよ」  「そっか……」  そういうと春佳は考え込んだ。ここで「絶対に間違ってないよ」と言えていたらよかったのかもしれない。そういうところでおれは弱い人間だと思う。  だけどたぶん、春佳はそう言われても納得しなかっただろうなと思う。  「じゃあ、春佳はなんで圭一のことを知りたいの?」  おれはたずねた。春佳はおれを真正面から見て言った。  「だってわたしたち、もう高三だからさ、来年にはたぶん別々の場所にいるじゃんか。疎遠なまま別れて、そのまま関係が風化されちゃうのとか、やだなって思って」  「うん」とおれはうなずく。「おれだってそう思う」というと、春佳の表情がほころんだ。  「ありがとね」そういうと、春佳は息をもらした。  「わたしね、たぶん圭一のこと好きだったんだな」  そういって、春佳が顔を上に向けた。  「え?」おれは驚いた。  「びっくりした?」  「うん」とおれはうなずいた。春佳は軽く笑っていた。  「わたしだってびっくりしてるよ。だって、速水さんを見るまでは圭一のことを何とも思ってないと思ってたんだから」  「そっか……」おれはそうとしか返事ができなかった。上手い言葉なんて思いつかなくて、すこし情けない気持ちになる。  「あーあ、悔しいな」  春佳は笑いながら言った。だけどその表情はこころなしか寂しそうだった。  外は少しずつ暮れかけていて、西の空が橙色に染まっていた。
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