冷たい風を切って

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 翌日も部活があった。放課後になり、おれは日直の仕事を終えたあとで体育館に向かった。  仕事がすこし長引いてしまったせいで、おれが扉を開けたころにはもう皆が部活を始めていた。暗幕が張られ、照明だけに照らされた体育館はすこしだけ薄暗い。  だけど不思議と熱気は伝わってくる。ウォーミングアップでコート内を動き回る足音に、否が応でも気持ちははずむ。  「遅かったな」  浜田がおれに気付いて声をかけてくれた。  「ああ、日直でさ」とおれは理由を説明した。  コートには圭一の姿もあった。ビッとタイマーの音が鳴った。交代の合図だ。  「じゃ俺も入るわ」と浜田はコートに入り、アップを始めた。おれも急いで空いているコートを探し、他の部員よりも数歩遅れてアップを始めた。  準備運動もせずにウォーミングアップをしたせいで、体が重く動きがおそくなってしまったが、それでも時間内を全力で取り組んだ。  そうしているうちにウォーミングアップの時間も終わり、コート内での基礎練の時間となった。部員はそれぞれ相方を決めて、ネットを隔てて向き合って練習する。  おれの相方は圭一だ。高一の頃からずっと。  ——変に干渉してこないでほしい。  ふと圭一の言葉が脳裏をよぎる。もしかしたら圭一はおれじゃない人とペアを組んで練習するかもしれないと思ったが、さすがにそれは考え過ぎだった。  「じゃあ練習するか」  圭一に声を掛けられて、おれはコートに入る。圭一はいつもと同じ表情をしている。干渉するなと言われたのが、もう関係ない過去のようだと思う。  おれもいつも通りの表情を意識してコートに入る。  「スマッシュ三本ずつ」  圭一が大きな声で指示を出した。おれはシャトルをゆるい山なりの軌道になるように打ち上げる。  圭一は何歩か後ずさって、左手を上に掲げてシャトルの高さを測る。  ほんのすこしだけ跳び上がると、最高点からラケットを振り下ろし、シャトルを強く打ちこんだ。  その瞬間におれのすぐ脇をシャトルが流れてゆく。  おれは急いでラケットを構えたが、圭一のスマッシュには間に合わない。咄嗟の悪あがきで振られたラケットは、空を切るだけで何の抵抗もない。  「ナイス!」  おれはそう言いながら、二本目のショットを打ち上げる。  圭一のスマッシュは正確で、二本目も難なく決まった。三本目も同様だった。  次は圭一が打ち上げて、おれがスマッシュを打つ番だ。 圭一がゆるいショットを打ち上げる。おれは軌道を予測して後ずさり、左手を掲げてシャトルを見つめ、シャトルが落下するタイミングと合わせて振り下ろす。  心地よい感触とともにシャトルが打ちこまれる——はずだったが、手には鈍い感触が残り、ゴンという思い音がした。  シャトルがラケットのへりに当たったのだ。  シャトルは不規則に揺れながら、おれ側のコートに落ちた。  「惜しいおしい」  圭一の声が響く。その時にもう次のショットは打ちこまれている。おれはさっきよりもシャトルの軌道を入念に確かめて打ちこむ。  いい音がした。パンという乾いた音。  おれのスマッシュは一直線に圭一のコートへ打ち込まれた。そして圭一のラケットに弾かれて床に落ちた。  圭一とおれとの違いは何なのだろう。おれと圭一は同じように練習し、同じ時間だけ部活を行って、同じようにスマッシュを打つ。  だけどスマッシュも、ステップも、ショットも、すべて圭一の方が上手い。動きに無駄がなくて、速度も速く、狙いも正確だ。圭一とおれには違うところしかない。  一体いつからこうなったのだろう。  そう思ったときには、もう次のショットが打ちこまれている。  おれのスマッシュは可もなく不可もなくて、きちんと圭一のコートに向かっていったが、圭一のラケットにあっけなく打ち落とされた。  そのとき、ふと思い出す言葉があった。  ——それはあなたたちが圭一に訊くべきじゃないの?  なんで圭一は話してくれなかったのか、春佳がたずねたときに、速水さんから掛けられた言葉だ。  練習はいつものように進んで、特に大きな問題は起こらなかった。  だけどこの言葉だけが、喉に刺さった小骨のように、心の中に居座っていた。  そうしているうちに部活は終わった。  「今日の練習では基礎的な練習を踏まえて試合に活かせてる姿があったからよかった。来月から試合も始まってくるし、三年生にとって残りの試合は多くないのだから、一点にこだわって練習できるようにしていこう」  圭一の言葉が終わるのとともに、部員が解散する。今日はおれと圭一が、部室にシャトルやネットを片付けに行く番だ。  「おれがこっちを持つから」  圭一がシャトルの入った洗濯かごを持って体育館を出る。  「おう」とおれは返事をして、ラケットやシューズを片付けると、ネットの入ったかごを持って階段を降りた。数歩先には、圭一の背中があった。  ふと思うことがあった。いや、聞かなきゃいけないと、部活中ずっと思っていた。  干渉するなというのはどうしてなのか。  なんで速水さんと付き合い始めたのか。  おれたちの何が悪かったのか。  速水さんは言っていた。「わたしだってあんた達には怒ってる」と。  それがいったい何を指しているのかは、おれにはわからない。  だけど確実にわかることはある。何に怒っているのかを圭一に直接聞いて、おれの問題はきちんと直さなきゃいけない。  本当なら春佳と一緒に訊くべきなのかもしれない。だけどそれはできなかった。  圭一のことが好きだった。そう言っていた彼女に、これ以上つらい思いをするかもしれないことはさせられない。  もしかすると、おれの方こそ春佳のことが好きなのかもしれない。  そんなことをふと思ってしまって、考えを振り払う。  今はそんなことを考えているときじゃない。部室棟の階段を上がる。部室というよりは器具庫といったほうが正確なこの建物には、運動部の用具を保管しておくための部屋がいくつも並んでいる。おれたち男子バドミントン部の部室は、校舎側の端にある階段を上がって、手前から三番目の部屋だ。  階段を上り終えたとき、圭一は部室のドア開け、中に入ろうとしていた。続いておれも中に入って、ネットを棚にしまう。一畳半ほどの部室は、二人いるだけで手狭になる。  「じゃあ、おれはここで」  シャトルを置いて出てゆこうとする圭一の背中に、おれは何か言わなきゃと思った。  「ちょっと待って、」  咄嗟に口から出たのはそれだけだった。「何」圭一の言葉は簡潔だからこそ、必要以上に不愛想に感じる。  「えっと、あのさ、春佳が心配してたよ」  おれの言葉に、圭一は「何を」とにべもない。  「だから、えっと、圭一の様子が最近変わったこととか」  おれの説明に「気のせいじゃないか」と圭一は振り払うような返事しかしない。  おれはなんだか苛立ってきた。おれだって春佳だって、圭一のことを理解しようとしているのに、なんで圭一だけがすました顔をしているんだろう。  「そういう風にするの、いい加減やめろって」  おれはとうとう言ってしまった。圭一はただ黙っておれを見ている。  「春佳もおれも、前みたいな関係に戻りたいだけなのになんで分かんねえんだよ」  部室の中は涼しい。コンクリートの壁は、夕方の冷たい風にすっかり冷やされている。  圭一が口を開いた。  「どっちのセリフだよ」  その表情があまりにも冷たくて、おれは何も言えなかった。  「前みたいな関係に戻りたいとか言ってるけど、そもそも最初に離れていったのはお前じゃねえのかよ」  そういうと圭一は背中を向けて部室を出て行った。おれは圭一の後を追うことはできなかった。部室で立ち尽くすことしかできず、冷たい風にただ吹かれていた。
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