冷たい風を切って

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 次の日は、春佳と一緒に帰った。委員会の当番がある曜日だったからだ。  それにしても、今日が委員会の当番の水曜日でよかった。昨日の今日だから、どんな顔をして圭一に会えばいいのか分からなかった。 とはいえすべてがよかったわけではない。  図書委員の仕事があるということは、春佳に会わなければいけないということだ。  そしてどこかでタイミングを見つけて、春佳に昨日のことを話さなければいけない。  おれはタイミングをうかがったが、結局、作業中に春佳に伝えることはできなかった。ブッカーを掛ける春佳の手先を眺めることしかできなくて、ひどくもどかしかった。  「ねえ、」と春佳がおれに話しかけたのは、高校から駅に向かって歩いている時だった。  「何か言いたいことでもあるの?」  「え?」とおれは驚いた。「なんで?」と訊くと春佳は「ずっとそわそわしてたし、なんか目が泳いでるから」と言った。   「中学生のころもそうだったよね」  春佳が軽く笑った。  「そう?」  「うん。なんの時かは忘れたけど、なんか隠してたときがあって、その時に誠ってわかりやすいんだなーって思ったことがある」  おれは苦笑した。分かりやすい人間なのは、言われているとおりだ。  「で、何があったの?」  春佳がおれの目を見た。おれは春佳に昨日の顛末を話した。春佳は真剣に聞いてくれた。「ごめんな」と最後におれが言うと「なんで謝るの?」と言ってくれた。  「圭一には圭一の理由があるんだろうし、誠には誠の考えがあるから、たぶんどこかでこじれちゃうのは仕方ないことなんだと思う」  おれはそう言う春佳の横顔を見つめていた。春佳の表情はどこまでも真っすぐで、伝えるタイミングで悩んでいたおれのことが情けなく思えた。  「にしても、最初に離れていったのはお前、かぁ」  春佳が溜め息をついた。「この原因はたぶん、ずっと前からのことだよね」  「うん」とおれはうなずく。昨夜はなかなか寝付けなかった。この言葉の意味を、ずっと考えていた。  「なんか心当たりとかある?」  春佳の問いに、おれは口を開いた。  「たぶん最初の原因は、去年の夏のインターハイの予選に、うちの部活から圭一が出ることになった時だと思う」  「そんな時から?」  驚いたからか、春佳の声がうわずっていた。  「うん。あの時、もちろん圭一が活躍するのは嬉しかったんだけど、それと同時におれにも思うところがあったんだよね」  おれはその時のことを春佳に話した。圭一のことを素直にすごいと思ったこと。二年生でインターハイの予選メンバーに選ばれるのがどれだけすごいことなのかについて。だけどそのとき、おれの心の中に安堵のような気持ちがあったこと。  「安堵?」  春佳は訊き返した。  「うん、なんというか安心した」おれは説明した。「これまでずっと圭一と一緒に中学からバドをやってきて、それはもちろん楽しいんだけど、圭一とレベルを比べてしまう自分がいて、心のどこかでわだかまりがあったんだよね」  「うん」  春佳はただうなずいてくれる。肯定も否定もないその相づちが心地いい。  「なんというか、そのことが発表されたおかげでようやく思えたんだよね。おれが圭一に勝てないのは仕方がないことだ、って」  「そっか」  春佳は黙って歩いていた。反応に困る話をしてしまって申し訳ないけど、でもこれは本心だった。  おれたちはそのまま駅まで歩いた。駅にだいぶ近づいたころだったと思う。「あ、ごめん」と言って春佳が急に立ち止まった。  「どうしたの?」  おれは振り返って春佳にたずねた。  「靴ひもがほどけちゃっててさ」  春佳は俯きながら答えた。春佳の頭で陰になってしまいよく見えないが、がさごそと手が動いているのが見える。春佳は靴ひもを結び終えると、立ち上がって歩き出す。  「いつからほどけてたんだろうね」  春佳がつぶやいた。おれは何も言えなかった。  体育館の扉は重い。体重をかけて開くと、中からひかりがあふれて目がくらんだ。  おれと春佳はひかりの中を歩いて器具庫に向かう。  おれは支柱を用意し、春佳にはネットを用意してもらう。  「これでいいの?」  慣れない作業に春佳は不安げだ。でもネットはきちんと張れている。  「これまでに張ったことあるの?」  おれがたずねると「体育ですこしだけ」と答えた。  時計を見ると、八時五十五分だった。  おれはふっと溜め息をつき、体育館の大きな窓を眺める。真四角に切り取られた水色は澄んでいて、おれは絶対に勝ちたいなと思った。  いや、勝たなきゃだめだ。絶対に。  そのときガラッと扉が開く音がした。  逆光がまぶしい。そこにいたのは圭一だった。  「来てくれたのか」  おれが声をかけると、圭一は「断れるわけがねえだろ」と言った。  「ありがとな」  おれの言葉に圭一は「別に」とにべもない。  「ラケットとか用意できてる?」  「おう」と圭一は返事した。  「なら、少し早いけど始めるか」  そういっておれたちは自前のシャトルを出し、何回か打ち合った。変に肩肘張っているわけでもなく、いつも通りのショットが打てている。調子は決して悪くないが、それでは勝てない。  圭一に勝つには、いつも通りじゃダメだ。  圭一に勝てないのは仕方ないと思っている、いつもと同じでは。  おれたちは練習を終えてじゃんけんをして、先攻と後攻を決める。  圭一が先攻で、おれが後攻だ。  「ラブオールプレー」  おれたちしかいない体育館に、春佳の声が響いた。
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