冷たい風を切って

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 春佳と歩いて帰った次の日、昼休みに春佳を呼び出した。  昼休みに渡り廊下に来てほしい。そうLINEすると、春佳からは「了解」と返信が来た。  「どうしたの? 急に呼び出すなんて珍しいね」  春佳は渡り廊下で待っているおれに声をかけた。ちょうど太陽と同じ向きにいたから、すこしまぶしくて目がくらむ。  「ちょっと考えてたことがあってさ」  「考えてたこと?」  春佳がおれの顔をのぞき込む。髪が風になびいて揺れた。  「圭一を振り向かせるにはどうすればいいんだろうなって考えててさ」  「うん」と春佳がうなずく。  「なんか無茶苦茶なことかもしれないかもしれないけど、もうおれが圭一に勝つしかないのかなってさ」  「うん」と春佳がうなずく。  「たぶんそうでもしないと、圭一に、おれはお前に向き合うつもりだって伝えられない気がするから」  「そっか、わたしもそう思うな」  春佳が力強く言ってくれた。  「ありがとね。ところで春佳にもお願いがあってさ」  「え、なに?」  渡り廊下は風が強く吹き抜ける。春佳の髪が揺れる。  「俺と圭一のその試合で、春佳に審判をやってほしいんだよね」  ああ、もちろん無理ならいいよ。セルフジャッジでもいいし、バドミントンのルールはちょっと複雑だし。おれは付け加えた。  「気にしないで」春佳は言った。「わたしが審判をしたい」と力強く。  圭一のサーブは、最初から強烈だった。ふつうバドミントンのサーブはアンダーサーブだ。下から打ち、山なりにネットを越えてゆくサーブ。圭一のサーブもその種類のものなのだが、なんというか、隙がなかった。  圭一が打ったのは、ネットを掠めるようにして越えてゆき、サービスラインのちょうど真上に落ちるようなサーブだった。ここでサービスラインを越えなければおれの得点だから、おれは反応がわずかに遅れた。急いで掬うように打ち返すが、圭一はそれを見切っている。  圭一はおれのショットを眺めて二、三歩後ずさったあと、高く掲げたラケットを振り下ろした。  おれの腕は咄嗟に反応した、シャトルが飛んでくる方にラケットを遣った。 だがバックハンド側を狙われたのが厳しかった。おれが打ち返すコンマ数秒前に、シャトルはおれの脇を通り過ぎ、コートの奥に深く突き刺さった。  「ワン・ゼロ」春佳の声が響く。  おれの失点だ。  幸先のいいスタートにならなかったのは悔しいが、これを悔しがっている暇はない。  おれはコートの左側に立ち、圭一のサーブに構える。  圭一のサーブは、さっきと変わらないアンダーサーブだ。おれは迷わずに圭一のバックハンド側に打ちこむ。利き手と反対側のうえに、奥深くに打ちこんだから、さすがの圭一も反応が遅れる。  おれはその間に前に詰める。圭一のショットは容赦なかったが、ネット際で叩き落とすように打ち返した。圭一は手を伸ばしたが届かない。  「ワンオール」  この一点は、おれの得点だ。おれだって圭一から点をもぎ取ることができるんだ。  おれは思った。もしかしたら、ほんのわずかな確率かもしれないけれど、圭一に勝てるかもしれない。  圭一からシャトルが送られてくる。次はおれがサーブを打つ番だ。  おれはラケットを構え、圭一の目を見る。するどい光が浮かんでいるが、ここでひるむわけにはいかない。  おれはサーブを打ち込んだ。アンダーサーブはゆるやかな山をえがいて相手のコートに飛んで行く。圭一のレシーブはしっかりと力が詰まっている。おれはなるべく圭一が打ち返しにくいところを狙って打ち返す。何度かラリーが続いた。そしておれが右側に寄ったところで、利き手とは逆の左側の、しかも深くに打ちこまれる。  すんでのところで返球したが、このショットじゃ圭一には勝てない。 もういちど圭一に右側に打ちこまれて、おれは一点を奪われた。 おれは気持ちを立て直し、二度目のサーブを打つために、左側でラケットを構える。  そのとき、ふと思った。  圭一は、いったい何を思ってこの試合に臨んでいるのだろう。  おれは圭一に勝つことを望んでこの試合に臨んでいる。圭一をきちんと真正面から見据える人間になりたいと。  だけど圭一は、おれのことを一体どう思っているのだろう。ずっと前からのことや、おれの不用意な聞き方のせいで、圭一こそおれのことをきちんと見てくれなくなった。  この試合は、圭一にとっていったい何なのだろう。  疑問が浮かんだけれど、サーブを打たなければならない。おれはさっきと同じ、アンダーサーブを打った。余計なことを考えていたから、すこしだけ浮きすぎたショットになった。  おれはシャトルの軌跡を眺めた。そのときだった。  圭一が前に出ていた。もうすでにシャトルの目の前に仁王立ちして、しっかりとラケットを構えている。  まずい、打たれる。  おれはあわてて中央に向かう。どこに打たれてもいいように、ラケットを構える。  が、圭一のショットは速い。おれは打ち返そうとしたが、振り遅れた。シャトルはすでに床に落ちていた。  その時におれは思った。  圭一は、おれを敵としか見ていないんじゃないか。  容赦のない戦い方にいらだったというわけじゃない。圭一の戦い方から、おれを遠ざけようとしているのが滲み出ているように感じたのだ。もちろんおれの思い違いなのかもしれないのは分かっているけれど。  それからは圭一のペースに絡めとられるようなラリーが続いた。おれは圭一のプレーに食らいつこうとしたが、圭一とおれとでは、基礎的な力がそもそも違った。  おれがどれだけ遠くに引き離すようなショットを打っても、圭一はすぐ中央に戻って、次のショットに備えているのだ。一つのショットに対する余裕も、精度も、何もかもが負けていた。  そんなおれと圭一とのラリーは、数回続けるのが限界だった。何度か打ち合っていると、おれのぼろが見えてくる。そして圭一は、それを見逃すことはしない。  おれはもう負けだと思った。圭一には勝てない。  だけどおれはサーブを打つしかない。春佳に見られているのに、それしかできないおれが、ひどく情けなく思う。  圭一がバックハンド側奥に返した。おれもハイクリアで相手コートの奥に打ち返す。だがやや甘い。圭一のラケットが高く構えていて、圭一の体は大きくのけぞっている。  パン、と乾いた音がした。その刹那、シャトルはおれのすぐ横を飛んでいた。おれは急いでラケットを用意したが、遅かった。  「ファーストゲーム、ウォンバイ中田」  春佳の声が響いた。カウントは21対11。完敗だ。  圭一はもうコートから出て、水分補給している。おれも圭一に倣って、水筒に口をつける。  おれはたぶん、圭一には勝てない。そんな考えが、冷静になればなるほど自然に湧き出てくる。いまだけは目を背けるべき考えだと分かっていても、どうしても目を逸らすことができなくてもどかしい。  おれはスポーツドリンクを一気に飲む。飲み方が下手で、噎せてせき込む。  苦しくて目がうるんだ。  「大丈夫?」  春佳の心配に「だいじょーぶ」とかろうじて返事をした。  ついてねーなとおれは思う。  圭一は、ずっと黙ったままだ。  「そろそろ始めようか」  春佳が言った。おれたちはまた、配置についた。
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