冷たい風を切って

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 木曜日の部活終わりに、圭一と話をした。春佳と渡り廊下で話した日の放課後だ。  「土曜日の練習は十時からだけど、九時にきてほしい」  おれがそう言うと、圭一は「は、なんで?」と怪訝そうな表情をした。  「圭一と試合がしたい」  おれは圭一の目を見て言った。そうでもしないと、生半可な考えだと見透かされてしまいそうな気がした。せめて本気だということだけは、伝えたかった。  「する必要ある?」  圭一の返事は容赦がない。だけどひるむわけにはいけない。  「ある」  おれはきっぱりと言い切った。  「圭一はおれの態度に苛立って、おれから離れようとしてるわけじゃんか。だけどおれはそんなのは嫌だ。身勝手かもしれないけど、もういちどきちんと圭一と向き合いたい」  「バドミントンの試合がそれと関係あるの?」  圭一が呆れたように言った。  「ある。圭一に試合で勝てば、せめて本気だっていうのは伝わると思って。馬鹿な考えだと思うかもしれないけど、でも本気だから」  圭一はおれから目を逸らして言った。  「馬鹿な考えだと思う」  そして「九時に学校に行くのかよ」と言って体育館のなかに入っていった。  圭一と向き合わなくなったのは、一体いつからだったのだろう。  春佳には高二のインターハイの予選のときだと説明した。  だけど本当は、それはきっかけに過ぎなかったのだろうと思う。  本当は、もっと前から、おれは圭一のことが大切で、そして疎ましかった。 インターハイが終わって先輩が引退した後から、圭一は大会でも何度か優勝し、準々決勝まではいつだって進む、おれたちの部の一番手となった。新人戦にも、シングルスでも、ダブルスでもいい結果を圭一は勝ちとっていた。  そしておれは思ったのだ。  圭一だから勝てるんだ、圭一は特別だから勝てるんだ、と。  それが圭一を孤独に追い込んでいることなんて考えずに。  昨日、速水さんと話をした。速水さんに頼み込んで圭一のことを訊きだした。  「わたしがいなかったら圭一は壊れてたと思うよ」  速水さんが最後に言い放った言葉は、棘のように突き刺さっている。  おれは圭一に許されようとは思わない。そんなこと、思える立場じゃないのは分かっている。  だけど圭一に勝ちたい。圭一に、ちゃんとお前のことを見ているよと、それだけを伝えたい。  おれはラケットを構える。サーブは今回、おれからだ。  深呼吸したとき、「ラブオールプレー」と春佳の掛け声が聞こえた。  迷いはない。おれはアンダーサーブを打った。圭一が打ち返す。おれのフォアハンド側の奥へ。おれは相手コートの浅いところにシャトルを沈めると、ネット際に出た。  圭一がおれのショットを打ち返す。ヘアピンショット、ネット際に落とすショットだ。  だがすこしだけネットよりも浮いた。おれは決して見逃さない。  浮いたところを、叩き落とす。  圭一は急いでラケットを構えたが、シャトルが当たりはしたものの、おれのコートに返ってくることはなかった。  一点を取ったのはおれだ。  「よっしゃ!」と心から、声が出た。  おれはいそいそと位置に戻る。サーブは二回交代だから、次のサーブもおれだ。  おれは下からのサーブを打った。打つ時のフォームは同じだ。胸の前で押し出すように打つ。  だが、今回のサーブはその速度が違う。普通なら相手の手元に沈むショットだが、今回は相手の頭上を抜けてゆくショットだ。それも、かなりの速さで。  おれがサーブを打った瞬間、圭一は目を見開いた。そしてすぐに、今まさに自分の頭上をシャトルが通り過ぎていることに気づいた。ラケットを振り上げて手を伸ばし、かろうじて相手のコートに返す。  これはおれにとってのチャンスだ。おれはなるべく前に詰めて、シャトルを潰すくらいの気持ちで叩き落とした。  圭一は手を伸ばしたが、遅かった。  もういちど、おれの得点だ。カウントは2対2。いい具合に圭一の出鼻を挫くことができた。  試合はおれが二点をリードしたまま、膠着状態で進んだ。おれが一点を取ると圭一も一点を取る。点数でこそ互角だが、圭一の方がプレーに余裕があって、いまはこの状態を保てているものの、きっと気を抜いたらすべて崩れるだろう。  そして17対15まで来た。おれがこのゲームを取るまで、あと四点だ。  おれはサーブを構えた。  いまはただ一点を丁寧に取ってゆくだけだ。  いつも通りのアンダーサーブ。気は抜かないし、変に気持ちだけ強くなってガチガチに固まったりはしない。シャトルは緩やかに飛んでいくけれど、隙は無い。圭一が浅めに沈めて返す。おれもヘアピンショットで、ネット際に落とす。圭一が手を伸ばし、シャトルを捉える。おれのバックハンド側に抜けてゆく、いいショットだ。  おれは全力で手を伸ばした。ぐっ、と声が漏れた。なんとか返せたが、圭一がもう詰めている。  ここまでか。おれはふっと力を抜いた。  圭一が、おれのショットをネット際で打ち返した。  シャトルは一瞬で床に刺さった。  試合はそれからも膠着状態が続いた。おれが取ったと思えば圭一が取る。圭一が取ったと思えばおれがまた一点を取る。ただひたすらに、その繰り返しだった。  19対17。  次におれが点を取れば、おれのマッチポイントだ。  次は圭一のサーブ。おれは身構えた。圭一が、ここで終わるわけがない。一瞬でも気を抜くわけにはいけない。  圭一が胸の前でラケットを振った。  そのとき、シャトルが消えた。来るべき軌道にシャトルがない。  おれは辺りを見回す。ちょうど真上を、シャトルが通り過ぎてゆく。おれは手を伸ばした。すんでのところで捉えたものの、ラケットのへりに当たっただけで、圭一のコートには返らなかった。  まさかここでその技を繰り出してくるなんて。おれは身震いがした。おれが圭一から点を奪ったのと同じ技を、しかもおれよりも高い精度で繰り出されたからだ。  だけど動揺してはいけない。  試合のカウントは19対18。  ここで追いつかれたら、たぶん圭一に負ける。  運がいいのかどうかは分からないが、次は俺のサーブだ。  おれはいつも通りのアンダーサーブを打った。圭一のショットもいつもの流れと同じだ。ハイクリアで端に寄せられ、コートの中心から遠ざけられる。  おれはバックハンドで打ち返し、相手コートのネット際にシャトルを沈めた。だいぶいいショットだ。だけど圭一も負けていない。長い腕を伸ばして打ち返し、たしかにおれのコートに入れてくる。  だけどそのショットは甘い。コート中央で高めの軌道。これ以上ないチャンスショットだ。  おれは体をのけ反らせ、全身の力を込めてシャトルを打ちこんだ。  シャトルは鋭い軌道で圭一のコートへ向かっていった。  そのとき、圭一が瞬時に前に出た。ラケットをきちんと構えている。もしかしたら、打ち返されるかもしれない。  そしてネットに近づいた時、急にシャトルの軌道が変わった。  圭一が打ち返した——わけではなかった。  シャトルは急に跳ね上がった。ネットの上縁に、シャトルが触れたからだ。  圭一は咄嗟のことに、うまく対応できていない。  シャトルはほぼ垂直に上がった。お願いだ、圭一のコートに落ちてくれ。  おれはその短い一瞬を、祈ることしかできなかった。  そしてその瞬間はやってきた。  シャトルが落ちたのは、圭一のコートのネット際だった。  春佳がコールした。  「トウェンティ、エイティーン」  おれのマッチポイント、あと一点を取ればこのゲームはおれの勝ちだ。  おれはラケットを構える。何度も行ってきたしぐさを、また繰り返す。力んだりしてはいけない。ここでミスして自滅した人は多い。  おれは肩の力を抜いた。そのとき、一瞬、音が消えた。  今だ。  おれはサーブを打った。サーブの軌道はいい。たぶん、いままでのどれよりも。  圭一が打ち返した。掬うように打ち返したのに、どうしてこんなにも隙のないショットが打てるのだろう。  おれは一歩前に出る。そして圭一のショットを、全力で叩く。 圭一も負けていなかった。すぐ後ろに下がると、バックハンドなのに力強く打ち返す。  ここでおれが勝てば、まだ試合を続けられる。  おれは圭一のショットに、無我夢中で食らいついた。  圭一が手を伸ばした。おれのショットは、圭一のコートの右側中央に飛んだ。  お願いだ、決まってくれ。  圭一のラケットは、あとすこしでシャトルを捉えれそうだ。  その瞬間は音がしなかった。圭一が手を伸ばし、シャトルはあと少しで床に落ちる。  圭一のラケットに、シャトルが触れる。  ゴツンと、鈍い音がした。ラケットのへりに触れたシャトルが、真上に飛んで、圭一のコートに落ちた。  「セカンドゲーム、ウォンバイ西村」  春佳の声で、我に返った。おれがこのゲームを取った。  「よっしゃ!」と、気付いたときには声に出ていた。実感がないままただひたすらに嬉しかった。  圭一がおれを見た。その顔は心の底から笑っていた。  おれも笑った。圭一と笑いあうのは、そういえばずいぶん久々のことだった。  おれたちは二人でコートを出た。そして水分補給して、次のゲームに備える。  このゲームを取れば、この試合の勝ちが決まる。  「ファイナルゲーム、ラブオールプレー」  審判の声が響く。おれは圭一へと、全力でサーブを打ち込んだ。  圭一がシャトルを打ち返す音が、ひかりで満ちた体育館に、大きく響いた。
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