カモシカの人

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『この顔見たら100当番!』  ぼくは学校からの帰り道、交番の前に貼られた指名手配犯の写真を見た。ポスターの上を、無数の細かな雨粒が滑る。殺人、強盗致傷、爆発物取締罰則違反――。凶悪且つ重大な罪で起訴されている被疑者達の顔は、極悪人にも見えるし、そこらへんにいる普通のおじさんにも見える。街を歩いていて、たまたま被疑者とすれ違っても、外見に大きな特徴がない限り誰も気づかないのでは、とぼくは思った。もしかしたら、実は気づいてないだけで、今までにすれ違ったことがあったかもしれない。頭の中で、指名手配犯の顔写真の一つに柳田の顔を当てはめてみる。そうだ。アイツはやはり極悪人の顔だ。吊り上がった目に、薄い唇、低く響く声に、中学生にしては大きすぎる体躯。何十年かして、大人になったアイツの人相がどれだけ変わろうとも、ぼくは絶対わかる。殺人はテレビドラマの中だけではない。現に、ぼくはいつもアイツに殺されかかっている。 交番を通り過ぎ、公園を抜けると次第に雨がやみ、住宅街の一角にある自分の家に着いた。母はまだ仕事で帰ってくる時間ではないから、家にはぼく一人だけだった。二階にある自分の部屋は日当たりが悪く、今日みたいな梅雨の時期はとくに湿気が多く、暑いので、すぐにワイシャツを脱ぐ。これから本格的に夏になり、どんなに暑い日であっても、ぼくはずっと長袖を着続けなくてはならないと思うと憂鬱になる。カーテンを閉め切り、机の明かりだけを灯すと部屋は暗くなり、外からは物音ひとつしない。上半身だけを脱ぎ、下は制服のまま椅子に座りじっとしていると、今日一日あったことが雪崩のように頭の中に押し寄せてきて、その崩落はたちまちぼくを飲み込んだ。 今日の罰ゲームは便器を舐めることだった。 罰が課された理由は、体育の授業でバスケをしている最中、柳田からパスされたボールをぼくが取りこぼしたことが原因だった。ぼくが取り損ねたから相手チームにボールが渡り、結果的に負けてしまったと柳田は怒ったが、そのボールのよこし方はパスではなく、明らかにぼくの顔面に当てにきていた。ぼくは顔を手でガードしながら半身の姿勢でボールをよけたのだが、その姿が、オネエのようだとその場にいた誰かが笑う。一人の笑い声が何人にもなりぼくの体を貫く。こういう時に限って、教師は貧血を起こした女子生徒を保健室に連れて行っている最中でこの場にはいない。 授業終了後、連れ込まれたトイレは男子便器特有の酸と汚物の匂いがした。便器の前に跪かされ、勢いよく顔を押し付けられるとその匂いは一層濃くなる。舌先に触れた瞬間、脳天から足のつま先まで自分の体が菌まみれになったように感じる。涙と汗、苦渋と発狂に満ちたぼくの表情が、柳田とその取り巻きたちの好物だ。 クラス内にSNSで拡散された動画。 柳田の笑い声。 部屋にいると、おぞましい記憶が次から次へと蘇り、涙がこぼれる。雪崩から身を守るように、ぼくは床にうずくまり、芋虫のように縮んだ。 体が熱い。 涙も熱い。 熱くてたまらない。 全身の血が沸騰し、逆流し、臓器があらぬ方向へぼこぼこと跳ねる。以前、生物の先生が涙も実は血液の一種だと言っていた。涙にはヘモグロビンが含まれてないため透明な色をしているだけで、そのほかの成分は血と変わらないらしい。今、ぼくの目から流れているのは血だ。透明だけれど、確かにぼくの体を循環してきた血。膨大な怒りと悲しみが溶岩となって体内をうねり膨張し、体が爆発して散り散りになりそうだった。 机の引き出しからカッターナイフを取り出し、手首の内側をなぞる。切れ味の良い刃は、前からある傷に並んで、うっすらと新しい線を作る。ぷつぷつと滲む血を見ていると、心が真っ白に漂白されたように何も感じなくなった。体の温度が一気に下がり、ぼおっと虚空を見つめる。 いつもならここで終わりなのだが今日はまだ足りない気がして、刃先を垂直に突き刺してみると、血がぶあっと溢れた。 あ、まずい。焦ると同時におかしさを覚える。 ぼくは死にたいのか、死にたくないのか。 自傷行為をしておいて、いざ死にそうになると焦るなんて変だ。 そう思っているうちにも血はとくとくと流れる。止血をするためタオルで手首を縛り、傷口をティッシュで押さえても、その流れは止まりそうにない。部屋に血の匂いが充満し、だんだん目眩がしてきた。今何時だろうか。救急車を呼ぶか。しかし、呼べば命を取り留める代わりに自分がリストカットをしていたことが周りにばれてしまう。ばれるのは困るし、母にいじめられていたことを知られるのは嫌だった。 あれ、本当に嫌だったのか?心のどこかで、自分が言わなくても気づいてくれることを望んでいたのでは?毎日毎日、無言のSOSを発信して、誰かがその音を拾ってくれるのを待っていたのでは?今がその最後のチャンスかもしれない? 迷っているうちに、うつらうつらとしてきた。床に倒れ、目を閉じる。まぶたの裏に広がったのは宇宙だった。真っ暗闇の世界で光る数億個の星々。無音無臭、生命の気配が感じられない無機質な空間にぼく一人だけが漂っている。気の遠くなるほどの孤独。こんなところでSOSを発しても、もう誰も気づかないだろう。ぼくは今、星になろうとしているのだ。 ぼくは死にたくなかった。確かにそう思っていた。けれどもう仕方ないのかもしれない。 段々、意識が遠のいていった。綺麗な星々は未だ眼前で輝いている。 遠くの方でサイレンの音がした。ぼくの最後のSOSを受け取ったのは、偶然いつもより早く帰宅した母だった。 目を開けると、白い世界が広がっていた。さっき見た宇宙の続きで、星になると全部が真っ白に見えるものなのかと思ったが、ここは病院で、ぼくは左手首に包帯を巻かれベッドに横たわっていた。意識を取り戻したぼくを見て、母がナースコールを押し、病室に入ってきた医師と言葉を交わしているのをぼんやりと見つめる。こちらに向き直った母の顔は、尋ねたいことの多くを喉の奥に押し込め、何から話せばよいかわからない動揺の色を浮かべていた。 「どうして、こんなことになっちゃったんだろうね……」 嗚咽する母が手首の裏側の傷にそっと触れてくる。その声は、まるで息子が自傷行為をしたのが母親である自分のせいであるかのような響きを持っていた。 「どうしてこんなことを……」 病室にむなしく響き消えていく、困惑と悲痛がこもった声を、ぼくの耳はただ拾っていた。 どうしてこんなことになったのか、自分にもよくわからない。確実に言えるのは、毎日毎日、辛くて苦しくて学校に行くのが、嫌で嫌でたまらなかったことだけだ。そんなに嫌なら行かない、という選択肢もあったが、どうしてもそれはできなかった。 なぜなら、ぼくは中学受験をして入った一度目の学校を成績不振で退学し、今の学校に転校している。どんな理由があっても、二度目の学校も行かなくなるというのは、自分自身はどの集団にいても生きていけない負け犬であるという烙印を、自分で自分の体に押すようなものだった。 ぼくにはもう、あとが無い。 だから、どうにかしてこの教室の中で生きていくために、傍若無人に人を搾取しようとする彼らの矛先から、いかに避難できるかを考えた。攻撃をされても相手にしないことで、彼らが残酷な満足感を満たせずして、自然に飽きるのを待ったが、ならば痛みを覚えるまで傷つけてやるまでだと状況はエスカレートする。こちらが牙をむき、毛を逆立てると、余計に彼らの激情を煽った。延々と仕打ちを受け続ける中で、どうしたら、このトンネルから抜け出せるかわからず錯乱したぼくは、日ごとにころころと態度が変わるように見えただろう。牙をむき、毛を逆立てる獣のような日もあれば、踏みつけられる蟻のように無力な日もあり、また痛みを通り越して悟りを開いた菩薩のような日もあった。しかし、どれも有効な手段とは言えず、最終的には、もうやめてくれと、土下座をして懇願していた。 平日の東京駅は、働く人で混んでいる。 新幹線の出発時刻までまだ時間があったため、ぼくと母は改札付近のコーヒースタンドに入り、カウンター席でコーヒーをすすりながら、ガラス越しに人々の往来を眺めていた。 神奈川県民とはいえど、まだ中学生で、学校と家の往復しか行動範囲のないぼくは、今までにこれほど多くの人がいる場所を見たことがなかった。 電車が到着すれば、改札に人の塊がなだれ込み、出てきたかと思えば散り散りになる。それぞれの目的地へ向かう人々の様子は、何らかの確固たる意志を持っているように見える。 なぜみんな、何の迷いも無くまっすぐに歩いていけるのだろう。 ぼくも、この大人達の中に混じる日が来るのだろうか。 学校という、短くてまっすぐな線路を二度も脱線してしまったぼくにとって、それよりもさらに複雑で長い、社会という線路を走る自分は想像することができなかった。 隣に座る母を見た。その横顔は少しやつれているように見える。それもそのはずだ。ぼくがリストカットして倒れたあの日から、短期間のうちに様々なことがあった。 学校と話をつけ、自分の息子がいじめられていたことを訴えるとともに、実家の長野に転校先の中学校を見つけることに奔走してくれた。この学校は、学区外からの転校生を積極的に受け入れており、ぼくのようにいじめにあった生徒や、家庭環境の不和など、複雑な背景を持った子が多くいるらしい。県外の学校へ転校する理由は、ぼく自身が金輪際、ぼくを知る人に会いたくないと思ったからで、母は理解してくれた。ぼくがいじめられていたことはもちろんのこと、自分自身を傷つけるまで追い詰められていたことに対するショックで母の頭には白髪が目立つようになった。 「薬とか、必要なもの全部持った?」 ぼくと母は、コーヒースタンドから出て、人とぶつからないよう新幹線改札前の隅に避難した。背の高い母はぼくの目線の位置まで少し腰を折って尋ねてくる。自分がまだ小さな子供のように扱われたみたいで、少し恥ずかしくて嫌だ。 「全部持ったよ」 ぼくはリュックを背負い、母からキャリーケースを受けとり、取っ手を引き延ばして長くした。 「あっちは家の近くに薬局とかない不便な土地だから、無いといざというとき困るよ」 「ちゃんと持ったよ。長野にコンビニはある?」 「長野にはある。けど、おばあちゃんの家の近くにはない」 「本屋は?」 「ない。あるのはリンゴ畑だけ。あっちについて何か忘れものを思いだしたら連絡してね」 母の目が少し潤んでいる。 「大丈夫だよ」 なんてことないように言うと、母はうんうんと頷き「もう時間だね」とつぶやいた。 新幹線は田畑と民家の間を真っすぐに進む。陽の光に照らされて、やわらかくそよぐ稲穂を車窓から眺めると、都会育ちなのになぜだか心が落ち着いた。嫌な思い出のある土地から猛スピードで離れ、新しい地へ赴く清々しい心地よさを感じる。実が目一杯詰まった穂が、その重さで下に垂れているから、今がちょうど収穫の時期なのだろう。稲穂の波がやさしく揺れている。 民家は古いのもあれば、新築のようなものまでまばらに点在していた。車窓から見えるのは一瞬だが、家の外装や車や洗濯物から窓の向こうに住む人の営みを想像する。 ふと、自分が東京ではなく、この地で生まれ育っていたらどんな人生だったかを想像した。 きっと全く違う人生だったに違いない、と思ったが、もしかすると大して変わらないような気もした。 長野駅に降り立つと空は曇っていて、近くで雨の匂いがした。北アルプス、南アルプス、八ヶ岳山脈に囲まれたこの地は360度どこを見渡しても、想像より近くに山が見える。長野に来たことのなかったぼくは、自然に囲まれた、壮大で豊かな街を想像していたが、こうも高い山々がそびえたち塀のように連なる景色を見ると、もうここから先はどこへも行けないような閉塞感を感じた。 バスターミナルに着くと、白い一台のバンが停まっており、トランクにもたれかかるような姿勢で男が一人タバコを吸っていた。黒い半袖Tシャツにベージュのカーゴパンツ姿の男は遠目から見ても分かるくらいに、背が高く、肉付きのいいがっちりとした体躯で、頭にタオルを巻いている。 母から事前に聞いていた男で間違いないだろう。声をかけると、男はタバコの火を靴で揉み消し、ぼくを見た。 「おう、君が森田くんか」 近くで見ると一層大きく見える。そして声も大きい。無精髭に、脂ぎった髪の毛から、あまり清潔感は感じなかったが、30歳前後のように見える。 「もう聞いているかもしれないけど、俺、町おこし協力隊の清水。よろしくな」 目が細いせいか、真顔なのか笑っているのかいまいち判断がつきかねたが、声の調子から機嫌は良さそうに見える。助手席に乗り込むと、清水は「ほんじゃ行くか」とハンドルを切った。 祖母の住む集落まで、市内からは車で二時間以上かかると聞いていた。集落方面行のバスは三時間に一本しか来ず、不便な為、母から祖母経由で町おこし協力隊の清水に送迎をお願いしようという話になっていた。 車内で清水はタバコを吸っていた。エアコンの通気口の近くに消臭剤をつけているのに、あまり意味はなさそうだ。 「俺は、東京の大学出てそこからすぐ協力隊に入ったんだけど、これがまぁ、いわゆる何でも屋で。学生のころは地方活性化のために大きいプロジェクトとか立ち上げるのに憧れてたんだけど、実際は現場で、その日その日に起こること片付けるので精いっぱいでさ。米の収穫の手伝いとか、住民の病院の送迎とかずーっとしてるってわけ」 清水は一人で怒涛の如く話し続ける。それにぼくは適当なタイミングで相槌を打つ。 「俺、こんな雑用ばっかするために協力隊入ったのかなーって。あ、いや、別に森君のこと迎えに来るのが嫌だったって言ってるわけじゃないよ」 清水は慌てて付け足した。別にそんな意味で捉えているわけではなかったので、どうでもよかった。 「つまり、集落のことならなんでも俺に聞けってこと!」 自分でまとめて満足したようだ。はぁ、と気の抜けた返事をしながらカーナビに目を落とす。駅を出てからまだ15分しか走っていない。長い旅になりそうだ。 車が山道に入った。落ち葉だらけの道に轍ができている。 「もうすぐ着くよ」 悪路に車体がガタガタと揺れる。前方の山間に民家が見えてきた。色味は全体的に茶色い。民家も、畑も、ところどころから立ち昇る煙も、遠目から見ると何もかもがほこりをかぶったように色あせて見え、そこだけ時間が止まっているように思える。市内を抜けてから格段に人が少なくなり、山道では人どころか車ともすれ違わない。清水に集落に住む人数を尋ねると56人だという。 「もう、みんな年寄りばっかりで、顔見知りだから住む人全員が家族みたいなもんだよ。若いのは俺ぐらいかな。あ、でも森田君入れたら二人だ」 「電気とかは通ってますか?」 「一応通ってる。でもお風呂はガスでいれなきゃいけない」 「ガス?」 神奈川の家ではオール電化で、お風呂も湯沸かし器でお湯を入れていたので、いまいちガスで沸かすイメージがつかない。 「コンロみたいに、火加減を調節して湯を沸かすんだよ。火力が強すぎるとお湯が熱湯になってとてもじゃないけど入れなかったりするときあるから、最初は難易度高めだね」 清水はコンロのつまみを回す仕草をしながら言う。 その時、雷が鳴った。ごおっと地面が割れるような音がした途端、バケツをひっくり返したような雨が地面をたたきつける。ワイパーを出しても雨がフロントガラスに滝のように滑り落ちるため、視界は悪い。清水は慣れているからか、すいすいと車を転がすように運転していた。 しばらく車が進むと、全体的に灰色の視界に、突如黄色いものが目に飛び込んでくる。遠くに人の歩く後ろ姿が見える。真っ黄色のジャンパーに重そうなリュックを背負い、土砂降りの雨の中傘もささずに歩いている。 車が追い越すとき、一瞬だけその人の横顔が見えた。横顔と言っても見えたのはフードから出た髭だけだ。清水のような無精ひげではなく、もみあげから顎までしっかりと長さのある黒い髭。バックミラーに男の正面からの姿が映ったが、すぐに車はカーブに差し掛かったため視界から外れてしまった。一瞬だけだったが、眼光が鋭いような気がした。 集落の住人なのだろうか。この雨の中を歩くのは大変なので、清水なら声をかけて車に乗せてやりそうなものだが、清水は何も言わなかった。知らない人だったのか、と思うと、清水は「さっきのは、難波さん」と言った。 「登山が趣味とかで去年、福岡からこっちに越してきた人なんだ。年は……多分30か40くらい。山が好きだからって、わざわざこんな辺鄙な土地に来なくても、と思うけど集落の端っこに自分で小さな家建てて暮らしてる。仕事は何してるのか……たぶん何もしてないと思う」 「村の住人たちは不思議がらないの?」 「最初は不審がってた。けど、話しかけると人当たりはそんなに悪くないし、自分で育てた農作物をみんなに配ったり、じいさんばあさんの頼み事とかもたまに聞いてやってるみたいだから、みんな、難波さん、難波さんって呼んでるよ」 要するに、何者かわからない人が集落にひっそり住みついたということなのか。さっき見た大荷物からすると、登山をしてきた後なのだろうか、それともこんな天気の中これから登ろうとしているのか。知っている人なのに声をかけなかったことに、少しだけ違和感を感じていると、清水は「おれ、あの人のことよくわからないんだ」と言う。 「前に一人でいるところを見かけて、声かけよと思って近づいたら、あの人、何かに取り憑かれたみたいなぞっとするような目つきでこっちを睨んできた。こっちが何もしていないのに、あんな目向けられるなんて思ってもなくて、声が出なかった。大体、あの年で仕事してなさそうっておかしいだろ?集落の人間は、あの人のことを信用してるみたいだけど」 蛇腹のようなカーブを曲がり、再びバックミラーに男の姿が小さく見える。 「素性がわからなさ過ぎて、なんだか薄気味悪と思って……」 語尾は、たたきつける雨の音でほとんど聞こえなくなっていた。 山道を抜けると、集落にたどり着いた。車から降り、清水に連れられ祖母の家へ向かう。扉から祖母が出てきた。 「よく来たやないの。こんな雨の中。」 身長はぼくの胸くらいで、しわくちゃの顔に腰は曲がっていたが、はきはきとした口調で話す。 母の真紀子と祖母は絶縁状態とまではいわないものの、昔から仲が悪く、母は夏休みなど実家に帰りたがらなかった。そのためぼくは両親が離婚するまで、父方の祖父母にしか会った記憶がない。まだぼくが生まれたばかりのころ、母方の祖母に抱かれたことはあったらしいが、もちろん記憶はなく、祖母とはほとんど初対面だった。 「どうやった、清水さんの運転は。荒かったやろ」 「そんなこと言わないでくださいよ。安全運転だったよね、森田君」 「前に病院まで連れて行ってもらった時、ブレーキは強いわ、車はガタガタ揺れるわで、病院に着く前に死んでしまいそうやった」 かかか、と笑う。口を開けると前歯が二本銀歯なのが分かる。 じゃ、俺はこれで、と清水が立ち去った後、祖母に連れられ居間に入る。祖父は三年前に他界し、祖母ひとりで住むには広すぎる部屋だったが、几帳面な性格なのだろう、廊下や居間にも散り一つ落ちていない手入れの行き届いた家だった。 祖母が出してくれたお茶を飲み、白菜の漬物をかじる。塩気が口に広がり、ご飯が欲しくなった。 「あんた、痩せとるね。中学生にもなったなら少しは体も大きくならんと。真紀子はちゃんと子供に飯食わしとるのかねぇ」 祖母がぶつぶつと独り言のように話す。実際ぼくは、毎日母の手料理を食べている。バランスの整った食事が毎日三食、ほぼ決まった時間に出る。周りの中学生と同じく、よく食べるほうだが、どんなに食べても、肉がつかず縦に伸びる体質のためぼくの体はひょろ長い。 居間に置いてある本棚の隣に、写真が三枚飾ってあった。 「これはお母さんの小さい頃の写真?」 「そうだよ」 一番右端は産着にくるまれた赤ん坊が抱かれている写真、真ん中は小学校の入学式、左端は中学校の入学式の写真で、どれも母と祖父母の三人が映っていた。二枚の入学式の写真に写る母は陽光がまぶしいのか、不機嫌なのか目を細めて眉間にしわを寄せている。 「あの子は晴れの日に限って、いつも仏頂面やった。友達がきゃっきゃ騒いでる間も、むすっとしてて愛想なんてありゃしない。あれで勉強ができたから良かったものの、普通にしてたら生意気すぎるわ」 幼いころから気が強く、秀才だった母は高校を特待生で入学した後、アメリカに一年留学し、祖母の反対を押し切って、大学は東京の国際系の学部に進学した。集落の住人からは羨望の声が上がる一方で、祖母や一部の住人は、英語や外国にうつつを抜かしている暇があったら、畑仕事の一つや二つ手伝ってほしいと思ったそうだ。世界で活躍したいという願望を持つ母が、辺鄙で閉鎖的な故郷になじめなかったのもうなずける。父と離婚した後も、キャリアウーマンとしてバリバリ働き、女手一つで息子を育てている。母は、他人から疎まれようと自分の我を通し、突き進んだ人に違いない。ぼくとは正反対の性格で羨ましい。 「あんたは、将来どうなりたいとかあるの。今はしばらくの間、ここから中学校に通うのでええと思うけれど、将来は東京で働きたいとか、大学に行きたいとかあるの」 ついこの間まで、いじめで自殺しようと思っていた人間が、すぐさま自分の将来を考えられるわけがないだろう。その日生き抜くことで精一杯だったのだから。ぼくが黙っていると、祖母は 「目標のない人生なんてつまらんよぉ」 目を細めて、写真を見つめながら言った。 「大丈夫、あんたならまだ復帰できるで。真紀子の息子やもん」 復帰。柳田みたいなやつがいる世界で生きることを復帰というならば、ぼくは絶対にしたくない。ずっと脱落し続けていた方がましだ。けれど、このままずっと脱落し続けるのなら、ぼくはいったいどこに流れ着くのだろう。一度ならまだしも二度も学校を転校するやつなんて滅多にないだろう。このままどの学校にも馴染めなかったら、ぼくはいったいどうなるのだろう。ひとまずは、明日から通う新しい学校に慣れなければ。祖母がたくあんを噛む音が、やけに居間に響いた。 今日から通う学校は、集落からバスで1時間ほど進んだ場所にある。昨日からの大雨は嘘のように晴れ、空は澄み渡り気持ちが良い。 集落の北側に伸びる細い小道は、森の中を無理やり切り開いたような木々の覆いかぶさる道で、昨日の雨で地面が濡れているせいで靴が汚れた。その道を5分ほど進むと、二手に分かれた大きな通りに出、左手に折れたすぐのところに市内方面行きのバス停がある。反対に、右手は上り坂になっており、山なりになった道の向こう側には、鬱蒼とした杉林がある。以前、祖母に杉林の向こうに何があるか聞いた時、 「あそこは人が通れる道なんてないし、ほぼ年中濃い霧が覆ってるから、あんなとこ誰も行かんし分からん。あんたも行ったら迷うで」と言われた。 バスを待ちながら、樹齢何百年ともなるであろう杉林を眺めていると、その深々とした緑の中に、一瞬、人工的な黄色が混じって消えていくのを見た。 難波さんではないだろうか。 『なんだか薄気味悪と思って……』 清水の言葉を思い出す。 今から山に行くのだろうか。一瞬見えたその後ろ姿は、人間なのになぜか熊やキツネなどの野生動物が、自分たちの住処へ帰っていくような姿に見えた。 「森田陸です。よろしくお願いします」 朝のホームルームで、担任の久保田先生からみんなの前で自己紹介を求められたが、紹介することが特に思い浮かばなかったので名前だけ述べた。 転校生の初日というのは、常にみんなから好奇の目にさらされるものだが、この学校は違った。きっと、不定期な時期に転校してくる訳ありの生徒に慣れているのだろう、教壇から見える生徒たちの目に、ぼくへの過度な興味は感じられず、かえって落ち着いた。 久保田先生から指定された席に着くと、隣の席の女子が話しかけてきた。 「私、飯豊真凛。よろしくね。何かわかんないことあったらいつでも聞いて」 黒目がちな目がぱちんとウインクした。自分に向けてウインクされたのは人生で初めてだ。突然の片目を閉じる華麗な芸当に呆然としていると、真凛は「ん?なんか私の顔についてる?」 と頬やおでこに手を当て、確認する仕草をした。真っすぐで細長い指が宙を舞う。 「いいや、何もついてない。こちらこそよろしくね」 ぼくが言うと彼女は、にこっと笑い少し首を傾げた。顎の位置で綺麗に切りそろえられたボブカットの髪が揺れる。 女子と会話をしたのが初めてに近いことに気づいた。一度目の学校は男子校だったため女子と話す機会はなかったし、二度目の学校では女子どころか、男子ともまともな会話をした回数は少なかった。たった一言、それもほぼ内容のない会話をしただけで、体のどこかが火照るように感じた自分がひどく恥ずかしくかった。 今までの学校は、クラスの中で生徒同士が仲の良いグループで固まる傾向にあったが、今回のクラスは今まで過ごしてた二校とは雰囲気が違った。互いに仲良さそうな生徒も確かにいるものの、グループという輪郭があいまいで、いつも同じ子と話しているわけではなさそうだ。一人で静かにしている子も多い。ちらほら欠席している子もいる。皆、それぞれに事情があるのだろう。 授業の内容やスピードは、以前まで通っていた学校とほぼ変わらず、勉強面では置いてきぼりにされない安心感を覚えた。 目立たなくてよいから、平穏に学校生活を送りたい。心からそう思った。 初日の授業が一通り終わり、帰り支度をしていると真凛が声をかけてきた。 「陸くん、どこに住んでるの?」 朝礼の時は座っていたため分からなかったが、意外と身長が高い。 「S群」 「えぇー!遠っ!」 聞けば、真凛は学校から徒歩20分ほどの場所に住んでいるという。 「バス停までの道、私も通るから一緒に帰ろ」 西日が差す教室を出て、歩き出す。 9月中旬と言えど、今日はまだ残暑が残る暑さだ。七分丈に捲られたワイシャツの袖からのびる真凛の白い腕がまぶしい。 道中、真凛はぼくを質問攻めにしてきた。好きな食べ物、好きなスポーツ、好きな芸能人、休日の過ごし方、飼ったことのあるペット、カレーは甘口か辛口か、など他愛もない問いにぼくが答えると、今度は自分はどうかについて話し始めた。質問の話題に一貫性はなく、これがお互いを知る上での儀式であるかのように、真凛はぼくに質問をし続けた。今まで、ぼくのことについてこんなに他人から聞かれたことはなかった。常にみんなの関心の対象外、もしくはいたぶられる時だけ関心の的になっていたぼくにとって、人から純粋に興味を持たれるということは驚きであった。 「陸くんの出身はどこなの?」 「神奈川の武蔵小杉ってところ」 「へぇ!よく分かんないけどかっこよさそう!」 「そう?」 「宮本武蔵みたい。」 武蔵小杉は武蔵野国からきているのでは、などと考えていると真凛は質問を続けた。 「陸くんは、なんでうちの学校に来たの」 今までの質問と声のトーンが少し違った。大きな黒目も先ほどまでは弾けるように輝いていたのに、今は周辺の光を飲み込むような求心力があった。これまでの問いは全て準備運動のようなもので、本題はここからなのではないか。ほんの少し身構える。朝のホームルームでは、みんなぼくに対して深い関心を持っていなさそうに見えたが、それは勘違いで、やはり新参者の素性は知りたいというのが本望なのかもしれない。 「それは言わなくちゃいけないのかな」 答えを言いたくないことを暗に伝えれば、なんとなく察してくれるだろうと思った。しかし、真凛は 「うん、だってこれから半年間ずっと同じクラスなんだよ。絆を深めるためにも、互いのことはよく知っておいた方が良くない?」 と言った。それから、今までで一番低い音で 「わたし、よくわかんない人と友達になれないし」と呟いた。 絆を深める。興味本位だけで聞いてきているのかと思ったが、それよりも更に、親交を深める意味での問いであったらしい。その人の全てを知らないと、その人のことを信じられないというのだろうか。ぼくが勉強について行けず脱落したこと、いじめの標的になってリストカットした事実はこの先ずっとついて回る。自分のことを信用してもらうために、ぼくはこれからもずっと、求められればそれまで閉じていた傷を自ら開け、血の滴る箇所を見せなければならないのだろうか。今のぼくにとってそれは自分の心に刃物を突き立てる自傷行為と変わらないように思えた。 「ごめん、言いたくない」 「どうして?」 「どうしても。今は言いたくない」 ぼくは飯豊真凛がどんな子なのか、まだ会ったばかりだから分からない。転校初日から話しかけてくれ、一緒に帰ろうと誘ってくれたのだから悪い子ではなさそうだ。しかし、態度が優しいのと、心が優しいのは違う。ぼくは自分の過去を話すことで、真凛が共感してくれない可能性を心のどこかで恐れていた。初めて会った初日にこんな風に思うのは、女慣れをしていないぼくが彼女に話しかけられ、ただ舞い上がっているだけなのかもしれないが、彼女にだけは拒絶してほしくないという思いがあった。これから先も、関東のちょっとカッコよく聞こえる街から来た男の子という認識でいてほしかった。 「じゃあ、私から話すね」 とうにバス停にはついていたが、肝心のバスがこない。二人でベンチに座り、遠くを見るとやはり山が見える。この街はどこにいても山が見える。 「私は生まれは東京の病院だったんだけど、生まれたときからずっと病弱で、10歳まで生きられないだろうって言われてたの。お父さんとお母さんは、少しでも環境のいいところで私を育てて、できるだけ長く生きさせてあげようと思ったみたいで、仕事を辞めて長野に移り住んだんだ」 彼女は自分の心臓の位置を指さしながら言った。心臓の病気なのだろうか。確かに最初見たときから彼女は体の線が細すぎると思っていた。 「大きい手術を何度もして、やっと15歳まで生きながらえてる。11歳の誕生日を迎えた時は、案外自分タフじゃん!って思ったよ!」 少しはにかみながら言う、その横顔もぼくと同じように遠くの方にある山を見ている。山の稜線と同じく、彼女の鼻梁も高く澄んでいて美しいと思った。 「だからさ、世の中には自殺する人がいるでしょ。私、そういう人の気持ち信じらんないんだよね」 「え?」 今までと話の方向とは違う気がして、思わずぼくは聞き返した。 「死ぬくらいだったら、私に残りの寿命ちょうだいよって思っちゃう。死ぬ気になればなんだってできるのに、そういうのってちょっと甘ったれてんじゃないのって思うんだよね」 一瞬、足元が抜け落ちた気がした。ぼくは真っ逆さまに穴に落ちていき、ベンチに座ったままの彼女は、遠くの山を見ている。彼女の鼻はもう美しく見えない。さっき、転校してきた理由を聞かれたとき、答えなくて良かった、と心から思った。 「ねぇ、陸くんもそう思わない?」 彼女はぼくの答えを待っている。制服の袖の中に手を入れ、左手首の内側にそっと触れると、盛り上がった傷を感じた。 ぼくと彼女の生きてきた人生は違う。だから物事の捉え方も違う。生死を何度もさまよってきた彼女の言うことは、彼女の中で確かな心理であって、ぼくが否定する余地はなかった。「死ぬ気になれば何でもできる」というのは、ぼくの場合に当てはめるとリストカットをする前に、親に相談すべきだったとか、登校拒否をすればよかったなど、ほかの方法がいくらでもあったのに、なぜ死を選ぼうとしたのかという問いにつながる。手首に刃物を当てた時のぼくの気持ちは、ぼく自身も論理的に説明することはできないが、あの時は、苦しみから逃れる手段がこれしかないと本気で思っていたのだ。 太陽が傾いて、山の陰に隠れようとしていた。あの山の頂上にいれば、まだ沈まぬ太陽がゆっくりと西の地平線に消えていくのが見えるのだろうか。異なる場所に立てば異なる景色が見えるが、人生はそうはいかない。自分の歩んできた道は変えられず、結局はその道に沿ったものの見方しか納得はできない。けれど、きっと想像することはできるはずだ。ぼくが、彼女と同じ人生を送っていたら、きっと彼女のように思うのかもしれない。 「そうかもしれないね」 バスが来た。真凛はじゃあまた明日ね、と手を振る。バスに揺られながらしばらくして後ろを振り返ると、もうどこかの角を曲がったのだろう、彼女の姿はなかった。 家に着くと、煮込みものの匂いがした。 「学校どうやった?友達出来そうか?」 祖母が台所で鍋をかき混ぜながら聞いてくる。 「うん」 生返事をとがめられるかと思ったが、祖母はいそいそとテーブルに鍋を運んできた。 「時期がちょっと早いけど、鍋にしたから」 昼間は暑かったが、夜の山間部は少し涼しい。湯気が立ち込め、部屋の温度がじんわりと上昇していくようだ。鍋の中身を見ると大量のキノコが入っていた。 「これ、難波さんが今日山で取れたやつだって言って、たくさん持ってきてくれたんよ。こんなに鍋に入れたのに、まだそこに余っとるやろ」 冷蔵庫の横に置かれた袋の中に、いくつかのの種類のキノコが入っている。しいたけときくらげは分かるが、他は知らないものだらけだった。 「これがたもぎ茸、これはあわび茸……」 祖母が嬉しそうに一つ一つ見せてくる。 今朝見た、難波さんの自分の住処へ帰っていくような後姿を思い出す。清水の言った信用のならない男。まだ、話したことがないから彼がどんな人かは分からない。 祖母の言った、たもぎ茸は綺麗な黄色で、笠の部分は中心から外側にかけて丸く開いている。一つ一つは小さいが密集していると花弁が集まった花のように見え、茶色いキノコが多い袋の中で、そこだけが華やいで見えた。 「さ、食べよ」 祖母が鍋をテーブルに移し、椀に具材をよそう。茶色や白のキノコばかりだ。 「あれ、たもぎ茸は?」 ぼくが聞くと祖母は、「たもぎ茸は火にかけると白くなるんよ」と言い、白い笠のキノコを箸で指し示した。 食べてみる。とてもおいしかった。 遠くから山を見ると、鬱蒼とした緑の木々の集まりしか見えないが、森の中に入ると一部の葉の色が紅葉してきたのがわかる。稲は全て刈り取られ、田んぼのむき出しになった茶色い地肌を、太陽の光が照らす。 集落から学校に通い始めて3週間が経とうとしていた。 毎日、同じ時間に起き、同じ通学路を通り学校へ向かう。 集落の北側に伸びる鬱蒼と木々が茂る小道は、いつも湿っぽい。光が届かないせいでいつも土が濡れているせいだ。小道を抜け、大通りを左に曲がり、バス停まで歩く。規則正しく動く機械のように、決まった時間、決まった動きをする。もしかすると、右足で蹴りだし、左足で着地する一歩の歩幅や位置すら、毎日同じなのではないかと思う。 この大通りを左へ進まず、今日は右に行ってみようか、と考えることがある。実際には行かないものの、バスを待ちながら、右へ進んだ時のことを想像してみる。あの杉林を越えるといったいどこに行きつくのだろう。 学校へ行きたくないわけではなかった。クラスには仲の良い友達も数人出来たし、授業にもついていけた。席替えをしたため真凛と席は離れたが、相変わらずおしゃべりで、たまに話しかけてくることがある。今まで経験した中学校生活の中で、一番平穏で穏やかな日々だ。      けれど、その平穏にどっぷりと肩まで浸かっているわけではなかった。 人から嫌われたくないという思いは、ぼく自身をとても保守的にしていた。 例えば、仲の良い三人で話している時に、ぼく以外の二人が笑っているとすごく焦る。お笑い芸人のネタ、好きなサッカー選手、ハマってるゲーム、女の体の話。面白くないというわけではない。ただ、そこまで大声で笑うほどの話なのだろうか。そう思いつつ、二人から取り残されたくないという思いから、はははと言ってみる。別に、彼らの話す話のレベルや、下世話さについていけないと、お高くとまっている自覚はない。単純に笑いのツボが違うのだ。大きな歯車の回転に、自分もついていきたい。歯車の中心にいる人たちは大声で笑い、盛大にふざけ、踊り狂う。ぼくもできるだけその中心に行きたいのに、なぜだか近寄れない。歯車の中心にいる彼らは、動かず、優雅に青春を謳歌していて、周縁にいるぼくは遠心力に振り回され、同じところを回り続ける。 以前通っていた二校の中学校と比べて、ぼくは孤立から脱したはずだった。なのに、この寂しさは何だろうか。東京駅のコーヒースタンドで道行く人の往来を見た時と同じ、彼らとぼくの間に何か隔絶されたものがあると感じてしまうのはどうしてだろう。今の学校には、ぼくを傷つける人はいない。しかしなぜ孤独を感じるのだろう。 今ここで引き返して、この大通りを右に進んだら違う自分になれるだろうか。 いや、なれるわけがない。 バスが来た。 ぼくは乗り込み、いつものように学校へ向かった。 学校が終わり家へ帰ると、玄関に見慣れない靴があった。今まで見たこともないほど大きな厚底でハイカットのそれは、農作業などの泥仕事をする際のものを連想させた。しかし、つま先部分に少し砂がついているものの、それ以外の部分は綺麗だ。隣に置いてある祖母の履き古したぼろぼろのスニーカーと比べると、綺麗さが際立っている。新品の美しさというよりも、手入れが行き届き、良い状態に保たれていることが見て分かるような靴だった。 祖母が居間で誰かと話しているのが聞こえる。ふすまを開け中に入ると、黄色いジャンパーを着た男と祖母が向かい合っていた。 難波さんだ。この集落に来てから、まだ一度も難波さんと顔を合わせたことはなかった。 「お邪魔してます」 難波さんはぼくの方を見、少し頭を下げて言った。少しハスキーがかった低い声。 大雨の日、車の中からその横顔を見たときと同じく、髭の長さが目に付く。肩口まである髪は波打っており、顔は全体的にもさっとしている。一重まぶたの三白眼の目がきつく見えたが、瞳を縁取る長いまつげが、幾分かその印象を和らげていた。 こんにちは、とぼくが答えると祖母は、 「ここの電球を変えてもらったついでに、お茶飲んで話しとったんよ。難波さん、夕飯食べていかん?」 と言った。 「ありがとうございます。けれどお気持ちだけありがたくいただきます。明日朝早いので」 「また山に登るん?」 「ええ」 難波さんが立ちあがる。180㎝くらいだろうか、すごく背が高い。 「あ、陸、玄関の前に積んである米とリンゴ、全部難波さんに持たせてやって」 「全部って、ひとりで全部は持てないよ」 「倉に台車があるからそれに積んで、難波さん家まで運んでって」 難波さんは申し訳ないと固辞したが、祖母はぼくに運ぶよう命じた。 外はすでに暗く、星が瞬いている。集落の隅にある難波さんの家まで、ぼくは台車を押しながら難波さんと並んで歩いた。 「僕が押そうか?」 「いえ、大丈夫です」 難波さんは大きいリュックを背負い、両手には袋を持っていたから手がふさがっている。 「難波さんは、毎日山に登るんですか?」 「ほぼ毎日だね」 「その靴も登山の靴なのですか?」 「そう」 「あ、この前のキノコありがとうございました」 「関東から、こっちに越してくる男の子がいるって聞いたものだから。安上がりで申し訳ないけどお祝いに、と思って。こっちでの暮らしは慣れた?」 「学校まで遠いので早起きしなくちゃいけないのがきついです」 「ふふ、そうだよね」 難波さんは、ぼくが越してきた理由を聞かなかった。引っ越してきた日、集落の住人にあいさつに周った時、必ず聞かれるのが、なぜここに来たか、だった。その時は隣にいた祖母が代わりに『都心よりこっちの方が空気がうまいけ、こっちに来たんよ』と返していたが、聞かれるたびに内心うんざりしていた。 難波さんの歳は30前後に見える。出身を聞けば東京だと言う。清水のように町おこし協力隊でもなければ、この集落に元から住んでいたわけではない。いったいどうして、何をしに、この辺鄙な集落に来たのだろう。 「清水さんから、難波さんは去年、この集落に来たって聞きました。難波さんはなぜ、この集落に来たんですか」 「山を登りに」 それ以上、何も言わなかった。沈黙が訪れ、木々が風でこすれる音が聞こえる。なぜ、山に登るためにここに来ようと思ったのか、それまでしていたであろう仕事の話や、家族の話などの周辺情報には一切触れず、ただ登るために来たと話す。 なぜ登るためにここに移り住もうと思ったのですか、と聞きたくなったが彼の横顔を見て辞めた。 遠くを見つめるその目が、聞いてほしくないと言っているように見えたからだ。 この目をぼくは知っている。下校中のバス停で真凛に、転校してきた理由を聞かれたとき、きっとぼくは同じ目をしていた。 僕は話題を変えた。 「集落の北側にある小道を抜けたところにある大通りを右に進むと何があるのか知っていますか」一度杉林の中で見た、黄色いジャンパーを思い出す。 「山がある。僕はいつもそこに登っています」 「トレーニングの為ですか?」 「それもあるけど、単純に好きな山だから」 ほぼ毎日登るってすごい。よほど登山が好きなのだろう。ぼくには好きなものがあっただろうか、と思いめぐらせてみたが、すぐに浮かばなかった。確かに食べることは好きだし、クラスの子と盛り上がる程度にサッカーやゲームは好きだけれど、毎日したくなるほど熱狂的な趣味は持っていなかった。 「陸くんは、何か好きなものとかあるの?学校で流行ってることとか」 「ぼくは……無いですね」 「学校でスポーツとかゲームの話とかしたりしない?」 「しますけど、自分が本当に好きかどうかは分からないです。本当は全然好きじゃないかも」 難波さんは黙っている。風の音と、台車がきしむ音が響く。 「好きなものがないことって、変なことだと思いますか」 今日初めて会った人に、心中を吐露しつつある自分に驚いた。でもなぜだか、難波さんに聞いてみたいと思ってしまった。 「変じゃないよ」 難波さんは穏やかな声で言った。 「ぼくも山に出会うまでは、何もなかったから。陸くんにもいつかきっと、本当に好きなものができて、自分のよりどころみたいに思えるものが見つかるよ」 再び沈黙が訪れる。きっと、この人は人生の中で、山と出会って自分の何かが変わった経験があるんだ、とぼくは思った。それまでなんてことなかった人生が、何か一つの出来事をきっかけに大きく変わりだすこと。仮に、傍目から見て大きな変化ではなくとも、自分の中で確かにこれが自分のよりどころであるという確かな手ごたえを感じることは、素晴らしいことだと思った。 女手一つで僕を育ててくれた母の期待を裏切って、学力不足ゆえに退学してしまったこと、いじめられてリストカットをした過去は何も変わらない。いじめはぼくに非があるわけではなかったけれど、それでもぼくは非力だった。これから先の人生も、今までと同じように何も持たない無力のまま、ただ川の流れに揺られ進む小枝のような人生を歩んでゆく気がする。嫌いなものもなければ、好きなものもない、そんな人生。 「ぼく、あの大通りに出て、いつも左へ曲がるんです。でもバスを待っている間いつも、あの杉林の向こうを想像しているんです」 ただ逃げているだけなのかもしれない。なぜだかあの杉林の道へ進めば今までの人生から逃避でいるような気がしていた。 「登ってみる?」 難波さんが微笑んで答える。 「え、着いて行っていいんですか?」 思ってもみなかった誘いに、驚いて食いつくと難波さんは歯を見せて笑った。 「いいよ。初めてでも、中学生の男の子なら登れるくらいの山だよ。明日、6時に家を出るから、もし来たかったらスニーカーと、動きやすい服を着ておいで」 話している間に集落の端に着いた。清水は、難波さんが自分で家を建てて住み始めたと言っていたが、見る限り、家というより納屋だった。頑丈に建てられていそうなものの、壁や扉は薄く、トタン屋根の端が剥がれており、心許なかった。ぼくは台車から荷物を下ろして難波さんに渡し、別れを告げてからから台車を引いて、来た道を戻った。ぼくの家から難波さんの家まで、話しながら歩いたら15分ほどかかったが、帰りは5分しかかからなかった。 翌朝6時、集落北側に伸びる小道の入り口で待っていると、遠くの方から黄色いジャンパーが歩いてくる。 日の出とともに金色の帯が集落にまで徐々に伸び、家々の屋根に反射する。澄み渡る空にいわし雲が見える、秋の空だった。 「おはよう。早速行こうか」 難波さんは今日も大きなザックを背負い、ニット帽をかぶっていた。僕も寒くないようにと重ね着してきたが、それでも寒い。 祖母には昨夜のうちに、学校を休んで難波さんと山に登ると伝えた。祖母は「一日くらい学校さぼったって大したことない」と言い、「はぐれんように気をつけてな」と送りだしてくれた。 難波さんを先頭に歩き始め、小道を抜けるといつもの大通りに出た。学校に行かないというだけでいつもの道が少し違って見える。 右へと進んでしばらくすると、目の前に生い茂る杉林が表れた。 「ここからが登山道だから、足場に気を付けて。きつくなったらすぐ言ってね」 優しく声をかけてくれる。登山道に入ると一気に土と緑の匂いが強くなった。地面は少し傾斜がある上り坂に丸太階段が組み込まれており、階段がどこまで続いているのか知りたかったが終わりは見えない。永遠と続いていそうな階段を一歩ずつ、着実に登っていく。 杉の木は近くで見ると、想像以上に背が高く、威圧感があったが、都会のビル群とは違い、自然が生息している生き物の匂いとぬくもりを感じさせた。風が吹くとさらさらと揺れる木と草、どこからか聞こえる鳥のさえずりが鼓膜を揺らす。祖母の納屋で見たときは気色悪さしか感じなかった蜘蛛の巣も、山の中で見ると美しく感じた。 少ししか登っていないのに、汗が噴き出す。着こんできた衣類を脱ぎたくなった。難波さんをよく見ると、ぼくより着ぶくれはしていない。すぐ熱くなることを見越してあえて着こまなかったのだろう。階段を上り終えると、平坦な道に出、しばらくするとまた階段が表れる、その繰り返しだった。 難波さんはぼくを時々振り返って、様子を見ながら歩いてくれる。 「僕の歩いた後をそのまま歩くと登りやすいよ」 全ての丸太が平行に均等に並んでいるわけではなく、傾いていたり、前に飛び出ていたりするので、足を着地させる場所によってはかなり段差がある。難波さんはなるべく段差のない箇所を踏んでいるようだ。なるほど、難波さんの足あとを完全にコピーするように歩くと一歩一歩に使う体力が軽減され、歩きやすかった。 山道を歩き始めてから40分ほど経つと、分岐にたどり着いた。少し水分補給をしてから登り始める。足元は岩だらけの道で、丸太の階段よりどこに足を運ぶかが難しかったが、難波さんの足を辿っていく。 歩き始めた時はまだ暗かった道も、鬱蒼と茂る木々の合間から漏れる光が山道を明るく照らしていた。 段々、ぼくと難波さんの距離が開いてきた。難波さんはひょいひょいと岩から岩へ、素早く飛び移るように歩みを進める。つい前かがみになり、苦しく呼吸するぼくと違い、難波さんの背筋は真っすぐに伸び、顔はいつも前を向いている。素人のぼくが言うのもなんだが、美しい登り方だと思った。まるで、鹿が岩に足をかけ、ゆっくりと登っていくような優雅さがあった。難波さんが後ろを振り返り、ぼくが遅れていることに気づくと、岩場に足を止め、その場でぼくが追いつくのをじっと待っている。難波さんは身長が高く、細い。登山をしている人はもっと筋骨隆々でずんぐりした人のイメージを勝手に持っていたが、真逆のシルエットだ。長くて細い脚はやはり鹿を想像させた。 ぼくが追いつくと、難波さんは 「つらかったら、つらいって言ってよ」 と微笑んだ。 でもぼくとしては、自分のせいで難波さんの歩みが遅くなることは申し訳ないと思ったし、それに本来、登山とはぜぇぜぇと荒く呼吸をしながら登るものだと思ったのだ。ぼくが普通で、難波さんが超人なだけである。 「ぼくのペースに合わせたら、遅くなってしまいますから」 呼吸を整えながら言うと、 「山では、一番体力のない人にペースを合わせるのがルールなんだよ。だからつらいって言っていいし、休憩したかったらしていい。それに、早く歩く必要なんてないから、ゆっくり行こう」 と難波さんは答えた。 意外だった。もっとストイックなスポーツなのかと思っていた。小学生のころほんの少しだけサッカーをやっていた時期があったが、自分から『つらいです』と音を上げてよい瞬間などなかった。 再び歩き出す。今度はうんとペースを落として歩いてくれる。それでもついていくだけで必死なぼくは幾度となく足を止めた。 「休んでもいいですか」 思ったよりも小さく出た自分の声が、届かなかったかもしれないと思ったが、難波さんはきちんと聞き取ってくれた。くるりと振り返り、 「うん、休もう」と言い、ぼくがリュックを下ろすのを手伝ってくれた。 休憩中、ぼくは難波さんの登山歴の話を聞いた。 大学生のころから登山を始め、卒業してからはマナスルというネパールにある、標高8163mもある山に挑戦したこともあったという。登っている最中に雪崩にあい、命からがら下山したため登頂には至らなかったそうだ。標高8000mなんて想像もつかない高さだが、酸素は限りなく薄いのだろう。高山病にならなかったのか、と素人ぽい質問をしたところ、難波さんは元々血液中のヘモグロビン値が高く、酸素を普通の人より早く体内の隅々にまで運べる体のため、高山病になっても回復が早いのだと答えた。生まれ持って高山に適した体を持つ超人じゃないか、とぼくがびっくりすると、難波さんは、高山では役に立つけど低山ではそれほどメリットを感じない、と言った。自然の脅威にさらされ、死を目前にしながらも、なんとか生還した人が目の前にいるのがなんとも不思議だった。外国の高い山に登れる登山家が、こんな片田舎にいて良いものなのか。いくら長野県はアルプスや八ヶ岳があるとはいえ、ヒマラヤの山に比べたら標高は低い。もう、ヒマラヤには登る気はないのか尋ねると、 「もう、登れないんだ」 と暗く遠い目をして答えた。理由を聞いてもただ黙り込むだけだった。 近くで川が流れている音がしたので、近づいてみると透き通った水が太陽の光を反射しながら流れていた。川のわきには湧き水が出ている。 「これは飲めるものですか?」 「飲んでも支障はないだろうけど、万が一ということもあるからやめといたほうがいいね」 湧き水に手を浸すと、きんと冷たい。ぼくはずいぶん汗をかいていたので、袖をまくり、水を掬い、首に当ててみた。冷たくて気持ちいい。難波さんもぼくの隣にしゃがみ込み、手を水に浸す。ぼくは、もう一度水を掬おうとしたとき、自分が何をしてしまったかに気づいた。難波さんの方を見なくても、その視線がぼくの手首の内側にある無数の傷に注がれていることが分かった。今まで絶対他人に見られないよう、どんなに暑くても長袖を着、隠してきたのに。傷口はもうふさがっているはずなのに、水が染みる気がする。 「その傷は、どうしたの?」 難波さんがぼくの腕をつかんで言う。 すぐに答えることができず、黙ってしまった。 夏は終わったはずなのに、どこからか蝉の鳴き声が聞こえる。 「前の学校のクラスに、すごく嫌な奴がいて、それで学校に行くのが毎日苦しくて……」 川の水面が美しい。こんなにも美しいものだっただろうか。手首をずっと水に浸していると、だんだんと冷たさを感じなくなってきた。気づくとぼくは、泣いていた。 難波さんはぼくの手を取り、濡れたところをタオルで拭いてくれた。そして、今でも赤く盛り上がっている傷にそっと触れたかと思うと、ぼくの両拳を大きな手で包んだ。 「痛かったよね。ずっと」 嗚咽が出ている自分に気づいた。恥ずかしくて止めたかったけど、止められなかった。 「この傷は、死ぬために切ってたんじゃなくて、生きるために切ってたんだよね。こうしなきゃ生きられなかったんでしょう?」 そうだった。自分の手首を切っていた時、死にたいと思っていたことは一度もなかった。血を流せば、自分の心が無になって、現実から少しの間だけでも逃れられるようになると思っていたのだ。 少し歩こう、と難波さんが言うのでまた登り始めた。 森林限界を歩き続けると程なくして難波さんが足を止めた。望遠鏡をリュックから取り出し前方にある何かを覗き込む仕草をする。 「あ、いた」 難波さんが急に声を上げた。 「ほら、あそこ」 指をさされた方向を見てみる。生い茂った緑しか見えず、何のことだろう、と思った矢先、黒いものが動いた。 カモシカだ。 森の中を一頭のカモシカが歩いている。ぼくらは静止し息をのんだ。黒い毛におおわれ、小さな角がついているそれは、思ったよりも小さい体だった。細い脚が落ち葉を踏みながら、ゆっくりと目の前を横断しようとする。カモシカは登山道に足を踏み入れた時、ぼくたちに気づき顔を向けた。動物園などで見るより毛がぼさぼさで、体毛もまばらであったが、その表情はこちらを警戒しているのか目つきが鋭く、立ち姿は野生で生きる動物のたくましさと凛とした威圧感を感じさせた。 カモシカとぼくらは数秒見合ったが、やがてカモシカは登山道を横切り、また森の奥深くに入っていった。 「カモシカって鹿じゃなくて、本当はウシ科なんだよ」 「え、そうなんですか?」 確かに角は牡鹿のように枝分かれしておらず、どちらかというと水牛の角に近い。 「乱獲が進んで個体数が減って、カモシカは特定記念物になったから見られたのはすごくラッキーだったね。彼らは群を作らず、単独で行動するんだ。標高1000mあたりから2500mくらいのところに生息してて、僕も今まで数えるほどしか見たことがない」 そうなのか。ぼくには知らないことだらけだ。 「陸くん、本当につらかったら逃げて良いんだよ」 ぼくは難波さんを見上げた。難波さんはカモシカが歩いて行った先を見つめている。 「学校は標高の高い山みたいなもの。本来、そこで息ができる人しかいられない場所だから、もし、そこが苦しければ、降りてくればいい」 胸の奥底で冷えた部分が、少しづつ形を変えて発光していくのを感じた。 「下って下って、平地に住んでもいいし、海で生きてもいい。何なら空でもいいよね。動物だって乱獲にあえば逃げるし、自然環境が変われば生きやすい場所へ避難する。住処を探して歩く動物のように、僕たち人間だって、自分の居場所を探して歩いていいんだ。息ができない場所にずっといたら、死んでしまうから。どんなにつらくても、逃げずに立ち向かうことは大事かもしれないけれど、全てのことに当てはまるとは僕は思わない」 難波さんの言葉が優しい雨となって、ぼくの心の中にある氷をゆっくり溶かしていく。 氷はやがて湖となって、そこにまたあたたかな慈雨が降り注ぐ。 「だから、自分で自分を傷つけたことや、この集落に来たことを恥じる必要はないんだ。陸くんはただ、自分の本当の居場所を探しに、山を下りてきただけなんだから」 難波さんは微笑んで言った。 「陸くんの生きられる場所が、きっと見つかるよ」 ぼくは膝を抱えて泣いてしまった。上から降り注ぐ難波さんの言葉は恵みの雨だった。今までの自分の過去に折り合いをつけようと、蓋をしてきた感情が一気にあふれ出した。 背中に、難波さんがさすってくれている手を感じる。 「今日はもう帰ろうか」 涙を拭いて、ぼくたちは下山した。 二人で一緒に山を登った日を境に、ぼくと難波さんは、毎週末登山にでかけた。山は赤や黄に紅葉し、遠くから見ると印象派の絵画のように鮮やかで、登るたびに違う景色を堪能できた。 特に頂上からの景色は圧巻だ。登ったのは標高2000mほどの山だが、頂上から見渡すと遠くの方に、八ヶ岳山脈が見える。山の稜線は恐竜の背骨のように無骨で荒々しく、急峻な岩肌を想像させた。天候によっては、雲海を見渡すことができ、その美しさは忘れられない。    興奮したぼくは難波さんにツーショットで写真を撮りたいとお願いしたが、恥ずかしいのか、断られた。それでも食い下がって、背景を大きく映して、顔がわからない程度に引いて撮りたいと再提案し、しぶしぶ了承を得た。スマホのシャッターは、たまたま山頂にいた別の登山客にお願いする。満面の笑みのぼくと、あごを引き帽子を深く被り表情の分からない難波さんが、青空をバックに一枚の写真に納まった。 先週末登った時、難波さんは、ぼくにリストバンドをプレゼントしてくれた。えんじ色でスポーツブランドのロゴがワンポイント刺繍されていて、とても格好良い。僕は毎日それを手首の傷に被せるように着けて登校した。先生から外せと言われそうで怖かったが、何も言われなくてほっとした。ぼくは体育の授業などで暑い時、安心してジャージの袖を捲ることができるようになった。  山で撮った写真をインスタグラムにアップしてみる。今までアカウントすらなかったが、きれいな写真を撮るようになって、誰かに共有したいと思うようになった。クラスメートも山の写真に反応してくれ、登った山のことを話すと興味をもって聞いてもらえた。 「陸くん、ちょっと太ったよね」 真凛が言う。 「え、ほんと?山に登るようになってから、今まで以上に食べるようになったからかな」 確かに、筋肉と脂肪が前よりもついてきた気がする。 「山男まっしぐらだね」 真凛が大きく口を開けて笑う。 「せめて登山家と呼んで」 ぼくもつられて笑った。 12月14日の朝、祖母の作ってくれた朝ご飯を食べている時、どんどんと玄関の扉を誰かがたたく音がした。 はあい、と祖母が腰を上げ、こんな早くに誰やと呟きながら玄関へ向かう。まだ朝の7時なのに来客とは珍しい。 ぼくはご飯を食べながら玄関の音に耳を澄ませた。 「朝早くにすみません。警察ですけど、ちょっとお時間よろしいですか?」 「警察?何の用ですかい?」 若そうな男の声と祖母の少しこわばった声が聞こえる。こんな朝早くから警察が来るなんて、何か事件でもあったのだろうか。 「このあたりに峰岸和弘という男性はいませんか?」 「峰岸和弘?そんな人この集落にはおらんよ」 先ほどとは違う、低くて威圧感のある声がした。警官は二人いるようだ。 「そうですか。この男、なんですけどね。見たことありませんか?」 写真か何かを見せているのだろう、沈黙が訪れ、しばらくしてから祖母が、 「いやぁ、ないと思うけども……。この写真だけじゃあ分からんわ」 と自信のない声で答えた。 「そうでしたか。では、森田陸くんは今家にいますか?」 「陸ならいますけども、なんで」 「陸くんが以前インスタグラムに投稿した写真に、峰岸和弘と思しき人物と写っている写真があるのです」 突然自分を名指しされ、思わずびっくりした。ぼくと一緒に写っている写真?何のことだろうか。ぼくは峰岸和弘という人物に会ったことすらない。そんな人のことを知らない。峰岸という男は何か事件を起こした容疑者なのだろうか。 「陸―!警察の人が呼んどる」 祖母の声がしたので玄関へ向かうと、二人の警官が立っていた。二人の肩には雪が積もっている。 「ごめんね、学校行く前の忙しい時間に。ちょっとだけいいかな」 二人のうちの、若くて背の低い方の警官が、優しい声で尋ねてくる。 「この写真の人に見覚えはないかな?」 差し出されたのは色の悪い証明写真だった。短髪の20代くらいの男で、無精ひげが伸びており、眼光が鋭く、こちらを睨みつけている。まるで全国指名手配犯のポスターの写真みたいだった。こんな顔の人知らないな、と思った瞬間、体に電流が走った。これは、若い時の難波さんだ。髪型や髭や目つきが違うように見えたため、一瞬分からなかったが、目や鼻や口などのパーツを一つ一つ見ていると、難波さんにとてもよく似ている。 ぼくは反射的に 「見たことないです」 と答えた。 「そうか。じゃあ、きみが先週インスタグラムにアップしたこの写真だけど、隣に写っているのは誰かな?」 中年の恰幅のいい警官が、もう一枚写真を見せながら尋ねてくる。 それは紛れもなく、先日山頂で難波さんと撮ったツーショットだった。ぼくがアップした写真は難波さんの顔は帽子の陰に隠れて不鮮明だったが、警察官が見せてきた写真は幾分か明るく映っており、少しではあるが難波さんの表情が見える。調査するために写真の明るさを加工して解析したのかもしれない。 警察官が探している男がこの男だとするならば、峰岸和弘が本名で難波は偽名なのだろうか。 「これ、難波さんじゃ……」 祖母が思わず答える。しまった。祖母を黙らせなければ。 「いえ」 難波さんが何かの罪で疑われている。ぼくはそれを防がなければならない、と咄嗟に思った。 「この人は山頂でたまたま出会った人で、僕と面識はありません」 大きく叫んで否定したいところを、不自然にならないよう声量を抑えてぼくは言った。 しかし、警官は祖母の言葉を聞き逃さなかった。 「その、難波という男は誰ですか」 「いやぁ、三年くらい前からこの集落に住んどる人だけども……」 祖母が自分の言った言葉にたじたじしながら口ごもる。 「難波の家まで案内してもらえないでしょうか」 中年の警官が詰め寄る。 ぼくの言ったことなんて無視されて、大人たちのやり取りが頭上で交わされていく。 「あぁ、はぁ、ええですけれど……。その警察官さんたちが探している男は、いったい何をした人なんですかい?」 祖母が尋ねると、若い方の警官が 「母親を殺害した罪で、容疑者とされています」 と答えた。 ひえっ、と祖母が身をすくませる。ぼくは表情を変えずに心の中で驚愕していた。難波さんが人を殺すなんてありえない。ましてや自分の母親を手に抱えるなんて考えられない。きっと、何かの間違いである。 「難波の家まで案内をお願いします」 警官が祖母に言う。祖母はサンダルをつっかけながら「難波さんはそんなことする人じゃないと思うけど……」と呟き外へ出、二人の警官が着いていく。 玄関に取り残されたぼくは急いで裏口から出、祖母たちに見つからないように回り道をしながら難波さんの家まで走った。 何があったのかは分からないが、難波さんが疑われる理由なんてないはずだ。 母親を殺したなんて、そんなことあるはずがない。 きっと人違いに決まっている。 信じているはずなのに、なぜだか胸が張り裂けそうになる。初めて会った日、集落に来た理由を尋ねたときに見せた虚無の表情、ヒマラヤにはもう登れないと言った悲しそうな目。『なんだか薄気味悪と思って……』清水の言葉を思い出す。今まで信じていたからこそ、深堀りしてこなかった記憶のピースが、今、朧げに怪しい形を形成しようとしている。ぼくは頭を振り払った。早とちりなんかするもんじゃない。ぼくが走っているのは難波さんを疑っているからではない。ただ心配だからだ。 集落の端、難波さんの家が見える位置までたどり着いたぼくは見つからないよう木の陰に隠れた。急いでいたため薄着で出てきてしまったが、雪が降っているためかなり寒い。歯を鳴らしながら辺りを伺うと、祖母と警官が家の前までやってくるのが見えた。警官が難波さんの家の扉をどんどん叩く。 「難波さーん、いらっしゃいますかー」 しかし、しばらくしても中からは人が出てくる気配はない。 良かった。家にはいないようだ。警察官より一足先に難波さんを見つけ、事の経緯を知らせなければ。 きっと難波さんは山にいる。今日も朝から登って、夕方頃に下山しようとするに違いない。 ぼくは山へ走り始めた。 登山道には20㎝ほど雪が積もっていた。先週まで雪は降っていなかったから、雪のある登山道を歩くのは初めてだった。難波さんの足跡が残っていることを期待したが、降り続ける雪で消えてしまったのか、足跡を見つけることができない。 急いで登り始める。しかし、いちいち雪に足をとられるのでなかなか思うように進まなかった。それでも何度も登った道なので、感覚として丸太がどこに敷かれているか、足をかける岩がどこにあるかはなんとなくわかる。無我夢中で階段をよじ登り、岩肌を駆ける。時々転びそうになり、ほぼ四つん這いになって道をよじ登った。運動靴の中に雪が入り、足が濡れる。冷たさがつま先に染みた。後ろを振り返る。警官たちはまだ来ていない。 早く難波さんに会わなければ。目を凝らしても、白い景色の中に黄色いジャンパーは見えない。 焦る気持ちが足をもつれさせる。岩に足を掛けたはずが、雪が凍っており足を滑らせた。一瞬手をつくのが遅れたせいで、先に下がった頭が雪の上に飛び出た岩に直撃する。 あ、と思った時には頭から血が出ていた。激痛が走る。 岩に頭を打ち付け、雪の上にうつぶせで大の字の状態に伸びた。起き上がろうとするも、頭がじんと痛み、体に力が入らなかった。雪はおさまることなく降り続き、ぼくの体の上に積もる。このまま誰にも見つからなかったらどうしよう。 誰か助けて、と叫ぶも、声は降り続く雪に吸い込まれるようで遠くまで響いていかない。着ていたパーカーに雪が容赦なく降り積もり、ぼくの体を濡らす。 寒い。寒い。 こんな雪道でも、難波さんなら鹿のように優雅に歩くのだろうか。 [峰岸和弘の証言] 僕が母を殺したのは事実です。木彫りのくまの置物で、頭を何度も殴りました。 なぜ、そんなことしたかって、それは母が僕の稼いだ金を片っ端から宗教に使っていたからです。それを知った時、ひどく頭にきました。コツコツ貯めた300万円がある日突然なくなっていて、銀行に問い合わせたら、「昨日お母さまが委任状をお持ちになって、お金を引き落としに来ましたよ」と言われて。母に確認したら僕の署名を偽装して、印鑑を勝手に押して委任状を作ったと白状しました。 今までさんざん搾取されてきて、やっと自由になれるかと思ったのに、まだ僕は食い潰されなければならないのかと思ったら、もう殺せざるを得なかったのです。300万円は何のために貯めていたのかって?それはエベレストへ登るための資金でした。  僕が生まれたころの話に遡ってもいいですか。 商社マンの父と専業主婦の母との間に峰岸家の次男として生まれた僕は、両親や友人たちから、いつも兄の友介と比べられていました。兄は品行方正、勉強も運動もできる万能タイプで、なおかつそれを鼻にかけることのない男だったので、みんなから好かれていました。    それでいて僕は、これといった取り柄のないタイプ。人と話すことは苦手だったし、内気でした。小学生の時一年間で話したクラスメートの人数なんて5本の指に収まるかそうでないかくらい。チャレンジ精神旺盛な兄と違い、僕は臆病だったので、何かに挑戦するということを全くしてきませんでした。何をしてもどうせ兄と比べられるだろうという思いが先んじて、負けを見るくらいなら最初から何もしなければよいと思っていたからです。学校生活や勉強にもこれといって情熱を見いだせず、毎日堕落した日々を過ごしていたと思います。そして心の中では兄のことが嫌いでした。 兄は僕に対して「いずれ和弘にも好きなことができて、それに情熱を注げる日がきっとくるよ」と言ってくれていました。父も母も僕にそんな言葉を掛けなかった。言ってくれるのは兄だけでした。けれど、その時は生まれながらにして能力を持つ者に決して僕の気持ちは分からないだろうと思っていたし、第一兄のような人格者にそんな救いの言葉を言われては、僕はただただ惨めだったのです。今思えば僕は本当にひねくれていたと思うし、意地悪で卑屈な人間だったと思います。 父は酒に酔うと僕を殴りました。リビングに兄と僕二人がいても拳が飛んでくるのはいつも僕にだけでした。友介はこの先スポーツ選手や俳優になれる可能性がたくさんあるけれども、和弘は決してそうはならないだろうというのが父の口癖でした。母と兄は、父の僕に向けた仕打ちを見ているだけで、止めようとはしません。あまりにも暴れる父をだれも止めることはできなかったのです。学校もそれほど好きではなく、家も嫌だった僕にとっては暗黒の日々でした。 そんな状況が一変する出来ことが起きました。僕が高校1年生の時の8月のことです。父と兄は仲が良く、その日は休日を使ってキャンプに出掛けていましたが、二人の乗った車 に居眠り運転のトラックが突っ込み、父と兄は死んでしまいました。残されたのは父の死亡保険金と加害者から支払われた慰謝料だけ。一家の大黒柱と最愛の息子を一度に失った母は放心状態でしたが、僕は違いました。周囲からは、父と兄を失った可哀そうな次男として見られていましたが、僕は割とのびのびしていたと思います。毎晩のように殴ってくる相手がいなくなりせいせいした気持ちがありました。もちろん、兄は気の毒でしたが、所詮父のような男とつるむ人間です。父は自分が死んだあと、本来、母と兄が困らないようにかけていたであろう死亡保険金を、まさか僕が使うことになるとは、皮肉なものだと思いました。 母は、二人が死んだ日から、徐々に怪しい宗教にのめりこむようになりました。信じる者は救われる、というのでしょうか、祈ることで父と兄が戻ってきてくれると本気で信じていたようです。僕から見ても明らかに心の弱い母でした。 父が兄の大学進学に向けて貯めていたお金を、そっくりそのまま僕が使えることになり、奨学金も使いながら、地元を離れ、長野の大学に進学しました。登山と出会ったのはその頃です。一年目のゼミの忘年会で先輩相手に「何もしたいことが見つからない」と管を巻いていると、強引に山に連れていかれました。しかも年末の雪山です。もちろん僕はそれまで山になんて登ったことなんてありません。その先輩は登山部に所属していて、卒業後はアウトドア用品のメーカーに内定が決まっている人でした。夢も希望もない僕を何とかして激励しようと企てた山行だったようですが、当の僕は心底嫌でした。 しかしです、登り始めてからしばらくして、僕の中で何かが開きました。歩いていて、ものすごくしんどいのに、楽しんでいる自分がいるのです。凍った滝や、岩にへばりつく氷柱、頂上から見た八ヶ岳ブルーの青空は、東京で育った僕からすると、本当に新鮮で、美しく見えました。踏み間違えたら落ちてしまうような断崖絶壁や、アイゼンをつけていても慎重に歩かなければならない氷の上など、いつもより死が身近にある状況の中で、今、自分は生きているのだということを強く実感しました。山は本来動物たちの住処です。その中に人が分け入っていく。自ずと、自然に対しての謙虚な気持ちが生まれました。  先輩の思惑通り、山が好きになった僕は本格的に登山を始めました。今まで何をやってもパッとしなかった僕が、唯一情熱を傾けられるのはこれだ、と実感しました。国内の山に登り、練習を重ねた後、海外の山に登りました。ヒマラヤなどは公募登山隊に応募します。一回の山行に何百万円もかかるのが当たり前ですから、昼間は仕事をしながら同時に峰岸和弘としてスポンサーをとるための営業活動をします。登山家って山以外では営業マンみたいなものです。でもやりたいことをするために、今までの人生の中で一番、努力していた時期でした。  究極を言うと、登山は歩くことに尽きるので、持って生まれた才能というのはあまり関係がありません。足が速くなくてもいいし、反射神経が鋭くなくても平気です。今まで何も持たなかった僕でも、登山だったら活路が開ける可能性がある。登ることで自分のことを肯定できるようになりました。そして兄の言った、「いずれ和弘にも好きなことができて、それに情熱を注げる日がきっとくるよ」という言葉がようやく分かるようになりました。  僕はそのころ生活費を節約するため実家暮らしをしていましたが、その時から気づいたら、お金が無くなっていることがありました。目を離した隙に財布の中の、一万円とか、三万円が消えているんです。犯人はすぐに母だとわかりました。父と兄が死んでからもう10年以上経つのに、母の宗教への入れ込みは続いていました。定期的に送られてくる水や置物、数珠などが実際いくらしていたのかは分かりません。母に物を買うのを辞めるよう説得したことは何度もありましたが、今や信者のヒエラルキーの中で上位に位置しているせいか、もう抜け出すことはでいなくなっていました。  なので、口座からお金がごっそり無くなった時は、してやられたと思いました。エベレストは入山料だけで100万ほどかかります。そのほか交通費や装備、資材などのことを考えると300万はかかる見込みでした。日本出発を半年後に控えた今、自分がコツコツ貯めてきたお金が一瞬にして、宗教団体50周年記念の聖典の刊行費に当てられたのです。  大切にしてきた夢を、実の母親によって潰されたことに対する怒りはおさまりませんでした。僕は優秀ではありませんでしたが、勉強し、大学に入り、登山に目覚め、心を入れ替えて、人生を必死に生きてきたつもりです。それでも、母は応援するどころか、僕の挑戦の機会を奪ったのです。仮に死んでいたのが父と僕で、残されたのが兄と母だけだったらどうだったでしょうか。ここまでむごいことはしなかったと思います。どれだけ頑張っても、母は僕の方を向いてはくれないのだ、と思いました。今まで、ぼくに手こそ上げなかったものの、父から殴られているのを見ても何もしてくれなかった人です。僕はなぜ愛されないのだろう。頭の中がいっぱいになり、気づいたときには母は死んでいました。  しばらくして我に返った僕は、逃げることを決意しました。自首するなんてことは考えていません。名前を変えて、素性を隠して、誰にも見つからない遠くへ逃げよう。しかしどれだけ急いでも、僕の逃走が周りにバレるのは目に見えていました。会社から行方不明として通報されることも、スポンサーから多額の違約金が請求されることも、大学時代の先輩が悲しむのも分かっていました。でもそういうものもひっくるめて、僕は逃げたのです。  北海道から沖縄まで、居場所を転々としました。足がつかないよう、なるべく一つの街にとどまることなく、かといって不自然に思われないよう配慮しながら、ひっそりと暮らしていました。長野の集落に来たのは、やはり登山が忘れられなかったからです。人といると落ち着かなくても、自然の中にいれば心が休まりました。元来、僕は人とコミュニケーションをとるのが苦手だったから、山は本来、僕がいるべき住処なのかもしれない、と思います。  あの雪の日、山に逃げ込んで、本当はそこで死のうかと思いました。このままいても以前みたいに堂々と山を登ることはできない。僕から山をとったら死んだも同然ですから。 けれど、凍死しようと思い、服を脱ぎ始めたその時、遠くの方でかすかに陸くんの声が聞こえた気がしました。僕は耳は良い方です。本当にかすかな声だったけど、間違いなく、陸くんの声でした。すると咄嗟に体が動いて、救けに行かなければ、と思いました。こんなろくでもない僕でも、必要としてくれている人がいる。きっと彼は今まで苦労をしてきた子だから、せめて幸せになってほしかった。そのために急いで下山すると、頭から血を流して倒れている陸くんを発見しました。体が冷たくなっていて、とても危険な状態でしたので、僕は彼を背負って山を下りました。つい数分前までは死のうと思っていた僕に、突如使命感が沸き上がったのです。集落に戻れば捕まることは分かっていました。けれど、そんなことはもう、どうでもよかったのです。   ぼくは今日も学校へ行く。 集落の北側に伸びる危機が生い茂る小道を抜け、大通りに出るといつものように左へ曲がり、バス停でバスを待つ。 もう、杉林の方を振り返ることはしなくなった。 あの日、病院で目を覚ましたら母と祖母がベッドの脇で泣いていた。なんでも二人は、ぼくが雪山で倒れ、生死をさまよったことに加え、殺人犯と一緒に毎週末出かけていたことに対するショックでパニック状態だった。 集落に戻ると、それまで難波さんのことを頼っていた住人が手のひらを返したように、自分は最初から怪しいと思っていた、などの噂話でもちきりだった。清水さんだけはこの件に対して何も言わなかった。テレビのニュースでは3年越しに母親殺害事件の容疑者が見つかったとして報道され、難波さんの過去をぼくはニュースで初めて知った。 難波さんこと峰岸和弘が捕まったのは、ぼくのせいだった。インスタグラムに投稿した写真から、彼の居場所が特定され、挙句の果てに、雪山に無防備な体で登ったぼくを救うために、彼は警察から逃げることを放棄した。本当に申し訳なかったと、今でも悔やまれる。けれど、もし難波さんが、あの雪山で本当に死のうとしていたのなら、結果的にぼくはそれを防ぐことができてよかったと思っている。生きていれば、必ずまたどこかで会うことができるから。 もう、杉林の方を振り返ることはしない。 なぜなら、あの向こうに山があることを、ぼくは知っているから。美しく豊かな緑、頂上から見える鮮やかな雲海と山脈が、ぼくのいる世界を広げてくれた。この世界には、未だ見たことのない景色や、出会ったことない人たちがたくさんいて、ぼくはその全てに挨拶をしに行くことができることを、難波さんは教えてくれた。世界は広いから、ここでしか生きてはいけないなんてことはない。あの山には今も、カモシカがいる。 だからもうぼくは大丈夫だ。きっと今いる場所で、自分らしく生きていける。ここではないどこかに思いを馳せることがあっても、この場所で地に足をつけ、自分を大事にしながら暮らしていける。 この前、真凛がぼくのリストバンドを見て「急にかっこつけてるじゃん~」とちょっかいを出してきた。今日、ほんの少しだけぼくの秘密を言ってみようか。理解してくれるかは分からないが、それでもいい。 どんなことがあっても、ぼくはもう孤独ではないのだから。
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