*骨董通り*

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*骨董通り*

 待ち合わせは六本木だったから、もう、随分歩いたと思う。20分くらいかな。強めの日差しの中、歩みを進めるだけで身体が汗ばんでくる、メイクがよれちゃってるかも。なんて気にしてたその時、彼はと言うと‥‥。  まだサングラスは外してくれない。言葉も発してくれない。風が強い日だった。春が名残を惜しむように吹く風が髪や肌を強く撫でていく。そんな日に、隣に素敵な男性が一緒に歩いている・・寄り添うこともなく。桜咲く恋人のシーズンが過ぎていて、何だかホッとした。季節に救われたな、そう感じた。  街中に、監視カメラが据えられていたが、人々はこれまで通り、あまり気にすることも無く往来を歩いている。と言っても、一昔前よりは外出する人は少なくなってた。マスクは、ワクチンを打った人から外し始め、今では、正義感のある変わり者がつけてるって感じだった。監視カメラが全国に増える頃から、ワクチン打ったらマスクを外そうキャンペーンを政府が銘打ってスタートさせてしまったから、この国の“羊”たちはというと、それはもう大人しく従い、あっさりと、マスクを外したのだった。  ところで、この彼は一体、どこへ向かっているのだろう。全身をシンプルにまとめた細身スタイルの彼の隣を歩くのは、不釣り合いなゆるゆるスカートの野暮ったい私。そんな隣の私に一瞥もなく、早足ではないけれど、マイペースで歩みを進めるだけ。ねぇ、あなたは一体、何を考えてるの?と、どんどん気になってくる。  骨董通りと呼ばれる町並みは、若者も多いお洒落な町並みだ。そして、その名の通り、もともと骨董品や美術品を扱うお店も存在する奥行きのある街である。彼はポケットに手を入れ、決して私の手を繋ぐでもなく、落ち着いた足取りだった。風景を眺めながら街を楽しんでいるようでもあった。  週末の午前中と言うこともあり、おしゃれなカフェに若いカップル達がちらほらと、楽しそうに談笑していた。朝をともに迎えたカップル(勝手な妄想)に混じって、私たちふたり、周囲からどう見えてるんだろう?なんて考えるとちょっぴり恥ずかしい。こんなに長い時間、無言で一緒に歩く私たちって、ちょっと虚しくない‥?と、不思議な被害妄想に陥りかけて、ハッとした。  そもそも、何でもないんだ。それどころか、出会いのきっかけを忘れてはいけない!1日だけの彼女。実際はお互いに何の愛情も持ってないただの男女。そこで、彼女という役を演じて、100万円受け取るのが私の目的。少なくともそういう形になってる。そう、この彼にしてみれば、私という女は、たかだか100万円のために、身体どころか命の危機にもさらされる道を平気で選んだ、とんでもない馬鹿な女、ということになってるんだろう。  そんな女に、何か話しかけようなんて、思うわけないじゃん・・・こんな怪しいバイトに申し込んだ、いかにもお金目当てな、パッとしないルックスの浅はかな女。笑。出会いの第一印象最悪だよね。やっぱり、こんな仕事やめておけば良かったのかな。  そう後悔する一方で、あのサイトに飛んでいなければこの彼と会うこともなかったんだ。これって奇跡かも・・・なんてことを思いながら、この男の隣に従順に並んでいる自分は嫌いじゃなかった。  この人は、私にこれから何をさせるんだろう?この人と、これから何をするのだろう?もしかして‥それは罪になることなの?それって共犯・・・その言葉の持つエロティックな響き・・オイ、まだ午前中だってば・・優しい太陽の光の下、妄想が始まってしまいクラクラしそうだった。  私はサングラスの奥の、見えない彼の瞳を探るようにそっと横から一瞬だけ視線を向けた。  漆黒のサングラスの闇の奥一フサフサと金色に輝くまつ毛が心に残る瞳。  この奥の素顔を早くぜんぶ見たい・・ドクンドクン。  激しい胸の鼓動が聞こえそうで、恥ずかしくなって目をパチパチしながら視線を戻した。  冷静になれ。自分。100万円がかかった仕事だよ。ただのデートなわけないから。期待しちゃダメだよ。仲良く散歩してるのとわけが違う。今から、どこか特別な場所に連れて行かれるんだよ。それまで会話する必要なんかある?話す必要がないから、この男は話さないんだよ。場所、時間、そして行為。その3つが揃ってミッションを果たせば、この仕事は終わりなんだ。わかる?今の貴女は、ただの、100万円の仕事のための道具または役者なんだよ‥。  自問自答していて、何だか悲しくなってきた。  無言の時間が長く続き、悲しい想像しかできなかった。今の自分の置かれた立場と、この男から馬鹿な女と思われてるであろう状況。思い返せば、悲しみには慣れっこだった。ウイルスとの闘いで自分の考えを話すほどに、身近な人が離れていったあの頃、そして、現在。他人から冷たい目で見られる環境にも、長いこと、心の痛みも感じなくなっていた。それなのに、そんな私でも、この状況はいたたまれなく、たまらなく残酷に感じた。  私、この人から、嫌われたくない。  そんなおどおどした女心が地味に発生してた。確かに軽はずみな行動だけど、理由があるの‥明日を生きるのがちょっと嫌になったんだ。だから、自暴自棄になってるだけで、ほんとはそんな子じゃないの・・・。だから決めつけないでほしい、そんなの嫌だ‥なぜか、彼には、この状況をわかってほしい、そんな心境になっていた。  そうして、しばらくドンヨリした後、今度は笑いたくなってきた。可笑しいね。さっきまで、もう明日なんてどうでもいいって、死んでもいい、死んだら昔の彼も悲しんでくれるかな、なんて思ってたから、ここに来たのに。それがビックリ!今は、命だけじゃなく、今日この時を生きることさえ、惜しくなってる自分がいるんだから笑っちゃう!それだけイイ男の力は、偉大なりってことか。  ひとり涙あり笑いありの空想に耽っていたその時、プルブルブル‥彼のスマホのバイブが音を立てた。
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