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おばあちゃんは百歳
眠る前に必ず思い出すことがある。三枚の遺影だ。三年前に四十二歳の若さで亡くなったいとこと、去年亡くなったその両親である叔父、叔母の写真である。
叔父夫婦は私の郷里、山口県に住んでいた。叔父夫婦はおばあちゃんの面倒をみていたが叔父の病気で老人ホームに入った。
今年の五月、帰省した折に今は空き家になっているおばあちゃんの家を訪れた。いとこと叔父夫婦の遺影が置かれ、お線香をあげると、いとこと叔父夫婦が私を見つめていた。胸が痛くなった。順番が逆である。
私はおばあちゃん子である。おじいちゃんは私が二歳の頃、亡くなったそうだ。その後、父が入院した時に、私と姉は一ヵ月くらいおばあちゃんの家に預けられた。幼稚園にも行かずにおばあちゃんのところへ遊びに行った。学校が始まると土曜日は必ず泊まりに行っていた。母に遊んでもらった記憶はないが、おばあちゃんは風船をついて遊んでくれた。教育熱心なおばあちゃんで絵本を声に出して読むよう言われた。その絵本「みにくいあひるの子」は暗記するほど読んだ。大学へいくため、下宿した時もおばあちゃんが恋しくてホームシックになったほどだ。
五月におばあちゃんのいる老人ホームに会いに行った。たくさんの車椅子に乗った人たちがテレビを見ていた。寮母さんが声をかけた時おばあちゃんは、
「こりゃあ、珍しい人が来た」
と振り向いた。私が、おばあちゃんの車椅子をホールの方へ押して行き、持ってきたお菓子とジュースをあげると、おばあちゃんはお菓子を半分わけてくれた。昔のようで私はとてもうれしかった。歯のない口でゆっくりと食べる。しばらく顔を見ていた。
「このジュースはおいしいねえ」とおばあちゃん。せっけんのにおいがした。
「お風呂は自分ではいれるの?」
と聞くと入れるという。お風呂あがりだったのだろうか。
おばあちゃんは私が結婚するまでひとり暮らしだった。結婚してから、叔父夫婦が帰ってきて一緒に住むようになった。
「あけみちゃんは結婚したんかね」
「したよ」
「相手はどんな人かね」
「やさしい人だよ」
こんなやりとりを何度かした。彼女の記憶はその頃のままだった。叔父夫婦のことを聞かれるのが恐かったが、彼女は叔父は元気で働いていると言っていた。しばらくおばあちゃんの子の話や彼女が若い頃、東京に住んでいたことなどを話した。中庭に出てみる。花が好きな彼女は庭の三色すみれを見て、
「きれいじゃね」
と言った。うれしかった。
帰り際がつらかった。
「ここはどこかね」「私はいつお迎えがくるの?」「どこに帰ればいいの?」
私はおばあちゃんの肩に手をあて座り込んで話した。
「二年たったら、また来るからね」
近くに住んでいれば、毎日でも来れるのに。私の帰省はお金がかかるのでたまにしか帰れない。寮母さんによると、おばあちゃんは今でも新聞を見ているという。新聞や雑誌が好きだったおばあちゃんらしい。後ろ髪をひかれる思いで寮母さんに頭を下げて帰った。
世の中には、老人ホームに入ることは不幸だと思う人が多い。でも実際は老人ホームでは家族は笑って会いに行ける。家で世話をして嫁と姑の確執をやっていたらとても笑顔にはなれない。本当に幸せかというのはおばあちゃんにしかわからない。寮母さんは、満面の笑顔だった。
六月二十三日でおばあちゃんは百歳。地元のニュースにも出たとか。少しぼけてはいるが彼女は幸せだった頃だけを覚えている。
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