父と海

3/3
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
   父と海                一月の中旬、実家から生わかめが届く。これが来ると、「今年も父は元気なんだな」と思う。私の実家は山口県の海沿いである。冬の瀬戸内海は濃い藍色をしている。  送ってもらう生わかめは茶色い。これをさっと洗って、熱湯をかける。すると鮮やかな緑に色を変える。すぐに熱湯を捨てて、水洗いする。これを切って、ポン酢をかけるとわかめサラダの出来上がり。ものすごくおいしい。私も夫も子供たちも大好物である。生わかめはほっておくと三日で溶けてしまう。だから、たくさん送ってもらった時はご近所におすそわけして喜ばれている。  父は海で漁をしたり、わかめを作ったりしている。わかめを収穫するのは重労働である。海の中から縄を引き上げ、わかめを取り、船に積み、陸に運ぶ。この時、船から三メートルくらいの高さの波止場まで海水をたっぷり含んだわかめの袋を片手に、はしごを上がらなくてはならない。大変な作業だ。一度、父の友達が手伝ったことがあったが、とてもできない、と言っていた。  収穫した生わかめは、ドラム缶に湯を沸かし、沸騰したら、さっと湯にくぐらせて、ひとつひとつ丹念にひろげて張った縄にかけて洗濯ばさみで止めて干す。寒風の中、手のかかる作業である。私の記憶にあるのは、家のまわりにわかめが所せましと並んで干してあるところ。わかめと潮の匂いでいっぱいになる。父の匂いである。干しわかめは水に戻すとかさが増す。この戻し汁も入れてお味噌汁を作るとこれがまたおいしいのである。  子供のころ、わかめの種つけを手伝ったことがある。季節は秋。縄をねじって少しほどいて、三センチくらいの糸のような種わかめを挟み込む。印をつけた所に種わかめをつけていく。やるのは面白かった。父はこの縄を海につけて、他の船が縄にかからないように目印の丸い球を浮かせておく。秋に種をつけて冬には収穫できるのである。昔は生わかめを近くの街で売っていたこともある。 父の両親はアメリカでお金を儲けて日本に帰って今の実家を買った。当時は家が三棟あり、渡り廊下でつながっていたという。そのころ貴重な砂糖もいっぱいあって、水飴を作ったりしていたらしい。だが、父が十歳の時に祖父が流行り病で亡くなり、貧しい暮らしになったという。 そのうち祖母も亡くなり、父は妹と二人、親戚のおばあさんに育てられた。大変な苦労をしたらしい。そんな暮らしから、父は働いていないと不安になるようで、記憶にある父 はいつも働いている。  父の仕事はバスの運転手だった。勤務は二十四時間勤務で一日行くと二日休み。そんな仕事だったから、父は家の仕事もしていた。畑、田んぼ、山、海と一日働きづめだった。娘二人とは話もあまりせず、唯一、テレビでプロレスを見るのが楽しみのようだった。  私が結婚して、義理の息子ができた。父は夫が自分の家に来るのを大変喜ぶ。夫を相手にえんえんと話す。去年、八十歳になった。 「さぶい日は手がひやいけえ、漁にいかんようになった」 と、父は言う。それまではどんなに寒い日でも海に行っていた。   春の海終日のたりのたりかな   蕪村 本当に春の瀬戸内海は波がなく、穏やかである。三月から四月にかけて海は緑色を帯びて青く美しい。見ていると心が癒される。海が大好きである。 お天気のいい日は父が船に乗って海に浮かんでいるだろう。苦労して私たち娘を育て、今は悠々自適にゆっくりと時を過ごしている。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!