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眉間に深くしわをよせ、康太は口元を引きしめた。剣道の試合の時のような触れれば切れそうな迫力を覚える。ジップアップパーカーをはおった思ったよりも広い肩が、次第に自分へと近づいて来た。
理乃は思わずのけぞった。
「え、あの、え、せんぱい?」
「じゃあ俺が昨日キスした時も、本当は嫌だったってこと?」
声を落としてたずねられ、理乃はぐっと言葉につまった。
昨日片づけを終えた道場で康太と二人きりになった時、今日の予定を彼に聞かれた。自身の立場もわきまえず、胸に秘めていた甘い思いが彼に通じた喜びに、ついつい誘いを受けてしまった。その後、唇をほころばせた康太が念を押すようにキスして来たのだ。
照れた表情で離れた彼にぶっきらぼうな好意を感じ、その場は羞恥と喜びでとっさに言葉が出なかった。だが、本当は昨日の時点できっぱり断るべきだった。
「俺は本当にうれしかったし、今日も一日、すごく楽しかったんだけど」
不機嫌そうに言ったその目がどう見ても不穏な色をしていて、理乃は一瞬たじろいだ。彼の危ない意志を悟り、本能的に自分の背中をアパートの出口へ近づける。
「あ……あああの、そういうわけで。そろそろ私、おいとましないと……。自分の国の教育係に報告をしなくちゃいけない時間で……」
康太のたれ目がちな二重の瞳が一瞬ぎらりと光って見えた。理乃はごくんと息をのんだ。あれ。これは、もしや。まさか……。
「今日は帰さないって言ったら?」
──キター‼ やっちゃったよ‼
『そおんなあ。バカな、先輩にかぎって。だって康太先輩だよ? 私がぐいぐい胸元広げて自分の汗を拭いてたら、それ見ただけで鼻血吹いてたあの康太先輩だよ? そんなので押し倒せるわけが』
『姫、そういう方にかぎってキレると見境がなくなるのです。大体今日だっていつの間にやら唇を奪われたなどと、破廉恥な……!』
『あー……。でもほら、それはそっちじゃ半分あいさつみたいなもんでしょ。先輩、私にキスした時にちょっとだけ手が震えてて、普段はわりとオラオラ系なのにむしろそれに萌えたっていうか』
昨夜ケタケタ笑いつつ、教育係のクロトンにスマホで語ったのを思い出す。ベッドの上でお気に入りのぬいぐるみを抱えながら答えると、電話口でクロトンがため息をついた。前髪をきっちり七三に分けた彼のあきれ顔が目に見えるようだ。
『あいさつみたいなもんってあんた……家族か、よほど親しい人間だけでしょう。姫、男はみんなオオカミです。いくら見聞を広めることが今回の目的だとしても、あなたは未婚の王族です。そんな見聞まで広めないでください──っていうかもう見聞どころじゃないでしょう』
『わかったわかった。どうせ卒業までの間だけだし、甘酸っぱい思い出に留めます』
くどくどと続く小言を聞き流し、いつものようにスマホを切る。その後鼻歌まじりで小一時間ファッションショーを開催し、今日の服装を整えたのだ。
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