79人が本棚に入れています
本棚に追加
「もしもし?」
何の躊躇をすることもなく、電話口の相手と会話を始める。絶句している理乃の耳にも冷え切ったクロトンの声が届いた。
『……これは「雪村理乃」のスマホのはずですが。あなたは一体誰なんです?』
「今、雪村は取り込み中だ。話があるんなら後にしてくれ」
康太が放った言葉の内容に、理乃の背中が凍りついた。拘束されたままの状態で康太の顔を仰ぎ見る。
一瞬の沈黙の後、クロトンの大きなため息が聞こえた。
『ミナヅキ殿下。あなたですね? 本当にお人が悪い。まあ潮時だとは思ってましたが……きちんと勅使を立ててからと』
「悪いけど、こっちも色々あるんだ。なりふりなんかかまってられるか。すぐソリダゴから勅使が行くからくわしい話はその後だ」
康太がちらりと理乃に目を向け、唇のはしで笑いを形作る。
「準備ができたら国策として、第一王女の婚約によるソリダゴとの和平強化を検討してくれ。──じゃあな、クロトン殿。慈悲深き女神シランの御加護が互いの国にあらんことを」
祖国における最大級の敬意を払った挨拶を述べ、康太がプチっと通話を切る。あんぐり口を開いたままで彼を見つめる理乃を尻目に、スマホをバッグへ放り込んだ。再び震え始めたバッグにビーズクッションをどんと乗せると、晴れやかすぎる笑顔を浮かべる。
「これでいいな? じゃ、始めようか」
衝撃のあまり声も出せない理乃に身をよせ、キスをする。その後、康太は甘い響きで決定的な言葉をささやいた。
「今度あいつに電話する時は、もっとこっちの世界について勉強させろって言っとけよ。『信号なんて初めて見ました』とか、どこのド田舎の生まれだよ。フォローするこっちの身にもなれって」
理乃が硬直しているうちに、顎を通った唇が理乃の首筋へと落ちた。ちゅっと音を立てて吸いつかれ、反射的に体がはねる。慣れない反応に気を良くしたのか先ほどの怒りはどこへやら、彼は上機嫌な様子で続けた。
「もっと早くにバラしてくれれば俺だって楽だったんだ。なのに必死でかくしやがるから、こっちもなかなか言い出せなくて。仕方ない、芝居につきあってやるかって考えてるうちにもう半年だ。──俺も来年は戴冠式の準備で色々と忙しいし、こっちと向こうを行き来するから思うようには会えなくなるだろ。俺があっちに行ってる間にお前の正体がバレたらこまる。でも、正式な婚約者としてお前の身分が確定すれば、一応外交問題にならずにうちの従者が助けてやれる」
そう告げながらも手のひらが理乃の体を抱きよせる。
「え……せ、せんぱい、あの、もう一度、名前……!」
理乃は背中を震わせてたずねた。
康太はにやりと笑って答えた。
「──ミナヅキ。ゴールデンスティックの隣国、ソリダゴの王太子、ミナヅキ。聞いたことくらいあるだろう? 相栄大学経済学部の『北爪康太』は仮の名前で……つまりお前と同じ立場だ」
最初のコメントを投稿しよう!