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「頭ん中、少しは落ち着いたか?」
出勤をした櫻場へ、懸垂マシーンにぶら下がったまま上倉が尋ねてきた。「まだ少しうるさいです」と返し、出勤簿に判を押して席へ着く。
古崎が「櫻場さんもコーヒー飲みます?」と普段と同じように接してくれる。変な慰めをされるよりも、ずっとありがたい。
「もらおうかな」
「了解です」
コーヒーの香りが室内に充満する。古崎が全員分のコーヒーを注ぐと、真島が配って回った。
櫻場の視界に、上倉の字で「駒橋あいり刺殺事件」と書かれたホワイトボードが映った。関係者の相関図とともに、事件現場の写真がいくつも貼られている。
コーヒーを片手にボードを眺める。駒橋と梅下の死体、凶器のナイフ、残された遺書。他にもホテルの外観やコンサート会場の写真が並ぶ。
テレビやネットは駒橋の殺害事件一色だそうだ。マスコミも一課と同じで、駒橋が自ら梅下をホテルの部屋へ招き入れた可能性が高いと騒ぎ立てている。櫻場が出がけにチェックした番組では、駒橋と梅下の関係に下世話な推測を述べるコメンテーターも居たくらいだ。
駒橋のスキャンダル情報を報じる予定だった週刊誌は、駒橋が殺害されたことを受けて、スキャンダルから駒橋のプライベート暴露へと方向転換したらしい。ここでも梅下との関係について根も葉もない記事が綴られ、鵜呑みにしたファンや無関係な人々が炎上騒ぎを起こしているという。
古崎が小声で歌を歌い始めた。聞き覚えのある旋律は、駒橋がステージで歌っていたのと同じ曲だった。
櫻場は深呼吸をしながら目を閉じた。これまで見聞きしたものが無秩序に流れ始める。情報は一つ一つカードへと化け、四方八方に山札を形成していく。櫻場の身体は無重力空間に浮かび、全ての山札を上空から見下ろす格好になった。
ヒントは出揃っている。櫻場は目を開けると、ボードゲームの棚へ向かった。迷うことなく一つの箱を取り、応接用のソファへ向かう。
「真島、相手してくれ」
「ゲームのですか?」
真島の顔には「こんな時にゲームかよ」とありありと書かれている。無理からぬことだが、説明をしている暇はない。
上倉が「いいから行ってこい真島」と真島の背中を押す。クエスチョンマークを浮かべたまま、真島が櫻場の向かい側に座った。
櫻場は箱の蓋を開け、中身を取り出した。マス目の付いた盤面をテーブルの中央へ置き、白と黒のピースが詰まった小袋を出す。ピースは正方形が一個から五個つながった形をしており、折れ曲がった形のものや正方形のものなど、すべてが異なる形をしている。
櫻場は簡単なルール説明をした。これは陣取りゲームである。角で接するようにピースを交互に置いていき、置けなくなるまで続ける。得点計算は最後に手元に残ったピースで行うため、点数が少ないほうが勝利となる。
櫻場は考え事をしたい時にこのゲームをする癖がある。ピースを置くたびに、頭の中の情報が整理されていく気がするのだ。以前は上倉や古崎に相手をしてもらっていたが、真島が特課に居る間は相棒に頼むのが筋だろう。
「先手はお前な」
「お手柔らかにお願いします」
真島が恭しく頭を下げたのを合図に、ゲームを開始した。
まずはスタートポイントからだ。盤面に刻まれたマークに重なるように、真島が白のピースを置く。櫻場はすぐさま黒のピースを置いた。
パチリ、と音が鳴る。櫻場の頭の中で風が吹き抜けた。山札が散らばり、情報を表にして宙を舞う。
初めに見えたのは、駒橋のホームページあてに送信された脅迫メールだ。続いてコンサート会場、駒橋のSNSに送られた文面と続く。
櫻場が次のピースを置くのと同時に、画が車の中へと切り替わった。昨夜ホテルの近くで待機をしていたときのものだ。日野との会話がよみがえる。
――これはおそらく、特殊能力者による犯行です。僕が思うに、電子機器を操る能力者ではないかと。
ピースを置く。
今度はホテルに残された梅下の遺書が見えた。画は矢継ぎ早に切り替わる。血の付いたナイフ。開いたままの駒橋のパソコン。防御創のない駒橋の遺体。見つかっていない梅下のスマートフォン。
ピースを置く。
――カモミールです。心を落ち着かせてくれる効果があって、寝る前に飲むとよく眠れるそうです。
古崎の声が頭の中で再生され、幻想の甘い香りが櫻場の鼻腔を掠めた。脳裏で散らばっていたカードが、櫻場を中心にして放射状に整列する。
「揃った」
櫻場はうわごとのように呟いた。真島が「何がですか?」と聞き返してくる。
ゲームはまだ序盤だが、もう必要なものは出揃った。櫻場はソファから立ち上がり、自分にしか視えない一枚のカードを見据えた。
「この事件の真相だよ」
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