292人が本棚に入れています
本棚に追加
「んじゃ頼んだぞ」
上倉が櫻場の肩を軽く叩き、真島へ「初仕事だ」と告げた。
「櫻場のやり方を見て参考にしろ。もし問題が起こったらすぐに連絡しろよ」
「はい。よろしくお願いします、先輩」
真島が活力に満ちた笑顔を浮かべる。櫻場は事務的な返事でやり過ごし、スケジュールボードに「外出↓終わり次第戻り」とマジックで書いた。コートをハンガーラックから外して腕にかける。
「行ってらっしゃーい」
「しっかりな」
古崎と上倉に見送られながら特課を出る。歩き出した直後、真島が後方から声をかけてきた。
「これからどこへ?」
「警備部だよ。明日のコンサートの警備を手伝ってもらえないか掛け合ってみる」
「電話じゃ駄目なんですか?」
「特課はいろんな意味で文字どおり特殊なんだ。直接頭下げても断られるのに、電話なんかで頼んだら百パーセント受けてもらえない」
階段を下り、警備部のフロアへ出る。特課とは異なり、窓口ですらピリピリとした空気が漂っている。蛍光灯の青白い光が壁に反射し、フロア全体が冷たく浮かび上がっていた。
櫻場は手近な場所に居た男性職員へ声をかけ、駒橋へ届いたメールの件を告げた。案の定、とても協力的とは思えない反応が返ってくる。
「メールの送り主は?」
「これから調査します」
「どうせ過激なファンか何かだろうけど。で? 天罰ってのは?」
「現時点では不明です」
職員の男は大げさにため息を吐き、「あのなあ」と白い目で櫻場を見た。
「そんなのどう考えてもイタズラだろ。殺害予告とか爆破予告とかがあったならともかく、天罰とか曖昧なこと言われても、こっちは手を貸せないよ」
「……ですよね」
「だいたい、そういうワケわからんことの対応のために特課があるんだからさ。そっちでなんとかしてよ」
「はい。失礼しました」
櫻場は頭を下げ、そそくさとその場を後にした。こうなると予測はしていたものの、かすかに抱いていた希望が砕かれ、足取りがわずかに重くなる。
「毎回こんな感じなんですか?」
真島が憮然と言った。
「毎回ってほど多くないよ。今までに三回くらいかな。全部断られてるけど」
「職員の数が少ないんだから、事件次第で応援要請するのは当然なのに。だいたい、爆破予告だったら特課じゃなくて一課が受けるわけじゃないですか」
「そうなるけど。それが?」
「たしかに犯人もわからないし、コンサート当日に何を仕掛けてくるかもわからない。けど、一課が受けられない事件を特課が受けているわけだから、もう少し敬意を払うべきだと思います」
目から鱗が落ちるというのは、こういうときに使うべきなのだろうか。邪険に扱われることに慣れすぎたせいか、特課以外の職員から尊重される場面など、想像すら難しい。
「一課が受けられない事件か。ちょっと格好いいな」
「ちょっとじゃなくて、すごく格好いいです」
真島が熱のこもった言い方をする。まっすぐに向けられた視線に気恥ずかしさを覚え、櫻場は真島のネクタイを見ることにした。ネクタイは品の良い光沢があり、スーツの生地も相当質が良さそうだ。コスパで選んだ櫻場のものとは雲泥の差である。
「そんなこと言うのお前だけだよ。今回の件だって、本当にイタズラかもしれないし」
「でも先輩はイタズラじゃない可能性を考えて、この件を引き受けたんですよね」
「イタズラじゃない可能性も捨てきれないってだけだよ。もし明日駒橋さんに何かあったら、寝覚めが悪いだろ」
「その恩着せがましくない感じ、マジで格好いいな。見習いたいです」
真島のお世辞になんと返すべきか迷った結果、櫻場は「俺に胡麻擂りなんかしても無駄だぞ」と言った。
「嘘じゃないです。俺、マジで先輩のこと尊敬してますから」
マジの二連発。上倉へならまだしも、櫻場へ世辞を述べたところで真島は何の得にもないだろうに。そういえば、真島は学生時代から適当なことばかり並べ立てる奴だった。会話をした回数こそ少ないが、当時もやたらと賞賛された記憶がある。
そうこうしているうちに、サイバーセキュリティ対策本部へ着いた。窓口で用件を伝え、通行の許可をもらう。目指すは部屋の最奥だ。
パーティションでがっちりと囲まれた一角で櫻場が足を止めると、真島の顔に当惑の色が浮かんだ。当然の反応だ。櫻場とて、初めてここへ来た日はどうアプローチすべきか迷い、途方に暮れたものだ。
「日野君。櫻場だけど、少しいいかな」
「……はい。入ってきてください」
櫻場はパーティションを少しずらし、身体を滑り込ませた。
まず視界に飛び込んでくるのは、デスク回りに置かれた美少女フィギュアだ。二十体は置いてあるだろう。デスクの前の壁にはアニメとアイドルのポスターが隙間なく貼られている。最後に訪れたときよりも三枚ほど増えている気がする。
「……こんにちは」
日野礼次郎が椅子に座ったまま軽く会釈をした。目を覆っている黒髪が揺れる。去年成人を迎えたばかりだというが、めったに感情を露わにしないため、年齢よりも大人びた印象だ。話す前に若干の間が生じるのが癖のようである。
「……後ろのひと、初めて見るひとですね」
「今日から一緒に働くことになった真島だよ」
櫻場が紹介をすると、真島が「真島崚です」と挨拶をした。
「日野君はもともと天才的なハッカーだったんだ。色々あって、今はハイテク犯罪の専門家としてここで働いてもらってる」
「……どうも」
日野は真島へ向かって小さく頭を下げ、すぐに櫻場のほうを向いた。
「……事件ですか?」
「うん。駒橋あいりっていうアイドル知ってる?」
「……一昨年メジャーデビューしたアイドルですね。最近はテレビの深夜番組にもチラホラ出ていて、そこそこ人気がある。歌はまあまあだけど、ダンスは上手です。彼女に殺害メールでも来ましたか」
関心を引いたのか、日野の口調が後半にかけて早くなる。
「半分当たりかな。殺害じゃなくて嫌がらせというか……駒橋さんのホームページあてに『明日のコンサートで天罰を下す』ってメールが届いたんだ」
櫻場は一連の出来事を日野へ伝え。最後に「どう思う?」と尋ねた。日野が「本気かもしれません」と答える。
「……特殊な能力うんぬんは置いておくとして、近年はアイドルへの嫌がらせやつきまといが増えています。SNSへアップした写真から住所を特定され、待ち伏せをされたなんて事例もありますから」
「駒橋さんへメールを送った奴も、そういうファンの可能性があるわけか」
「……はい。駒橋あいりは元々言動が過激なので、ファンもヤバイのが多いと聞いたことがあります」
「もし日野君が過激なファンだとして、どんな『天罰』を下してやろうと思う?」
日野は僅かに沈黙し、「……僕なら」と張りのある声を出した。
「コンサートをめちゃくちゃにしてやります。裏切ったんだから当然です。そうだな、会場中に問題の写真をばらまいてやるとか、楽屋に忍び込んで衣装をズタズタに引き裂いてやるとか、あとはアイドルになる前の記録を探して全部暴露してやるとか、かな」
真島が顔をしかめ、「陰湿だな」と吐き捨てるように言った。
「……過激な奴らですから。これくらいはやると思います」
「真島、日野君は俺の質問に答えてくれただけだ。ありがとう。参考になったよ」
「……櫻場さんのためなら何でもします。ハッキングでもクラッキングでも」
「じゃあお言葉に甘えて頼んでもいいかな。メールの送り主を知りたいんだ」
「……了解です。わかり次第ご連絡します」
日野はかすかに口角を上げてみせたあと、すぐにキーボードを叩き始めた。こうなると、もうこちらの声は届かない。日野の手に掛かれば犯人の特定は朝飯前だろう。身元さえ明かせれば、逮捕は難しくとも、コンサート会場への侵入は阻止できる。
フロアを出たところで、真島が「日野、随分と先輩に懐いてるんですね」と言った。
「一年くらい前かな。その頃はフリーターだった日野君が、警視庁にハッキングをかけてきたんだ。俺たちはそのとき別件で動いてたんだけど、犯人が日野君に結びついてさ」
「なんでそんな奴が警察に?」
「俺が推薦したんだ。日野君のハッカーとしての能力はずば抜けてる。敵として監視し続けるよりも、味方に引き入れたほうが楽だろって」
上層部は難色を示したが、餅は餅屋にと考えたのだろう、警視庁へのハッキングを黙殺する形で、日野を雇い入れた。とはいえ日野へ向けられる目は厳しく、つい先日まで警視庁内での行動は監視されていたそうだ。
「夏野さんといい日野といい、先輩ってモテるんですね」
「夏野さんはからかってきてるだけだし、日野君は単に波長が合うだけだよ。っていうか、俺なんかよりお前のほうが遙かにモテてただろ。いまも引く手あまたなんじゃないのか?」
「さあ、どうでしょう」
真島がさらりとはぐらかす。否定をしないのは肯定をしているのと同じだ。俺が男にしかモテないのを逆手に取って自慢したいだけか真島。お前が泣かせた女の子の数だけ呪われろ。
櫻場が口の中で呪詛を唱えるうちに、エレベーターホールに着いた。乗降用の下りボタンを押して到着を待つ。すると、聞き覚えのある嫌みな声が背後から聞こえた。
「今朝はまた河童探しに奔走していたそうだな、櫻場警部補」
櫻場は内心でため息をついた。面倒くさいのに見つかった。
「詳しいな清水。もしかして河童好きか?」
「まさか。お前らと一緒にするな。存在しない妖怪を追いかけ回す暇があって、うらやましい限りだよ」
清水弘樹が長い前髪を掻き上げた。左手に着けている腕時計が嫌みったらしく光る。黒いシャツに黒いスーツを合わせているため、全身が漆黒だ。ネクタイにはこれ見よがしにハイブランドのロゴが刻まれていた。
「だったらこんなところで油売ってないで仕事戻れよ。それともなんか用事か?」
「お前ではなく真島警部殿にな」
清水は櫻場を押しのけるようにして真島の前へ立つと、背筋を伸ばして敬礼した。
「刑事部捜査第一課殺人犯捜査第一係の清水弘樹警部補です。以後お見知りおきを」
「ため口で構いませんよ。私のほうが年下ですし、まだ日の浅い新人なので」
「いえ。未来の上司に向かってため口を利くなど、そこの櫻場警部補にしか出来ない暴挙ですから」
清水が更に背を伸ばした。気合いを入れすぎているのか、反り気味になっている。真島の言葉遣いもやけに丁寧だ。未来の上司として印象を良くしておきたいのだろうか。
「真島警部殿の学ぼうとされる姿勢、大変感慨深く思っています。特課の偵察を終えられましたら、ぜひ我ら一課へお越しください」
「……考えておきます」
「では、失礼します」
清水が再び敬礼し、身を翻す。櫻場の脇を通り抜けざま、「真島警部殿に子どものお使いをさせるなよ」と釘を刺してきた。時同じくして、エレベーターが到着する。
「先輩が言ってた『一課の連中』って、清水さんのことですか?」
「あいつだけじゃないけどな。清水は嫌み部隊の隊長で、ことあるごとに絡んでくるんだよ。今日はお前がいたから割と静かだったけど、普段は不審者に吠える犬みたいにうるさい」
無人のエレベーターへ乗り込み、一階のボタンを押す。扉がゆっくりと閉まった。
「お前には嫌みじゃなくて媚びを売りたいみたいだから、可愛がってやれば? 未来の部下になるかもしれないし」
「嫌ですよ、あんな全身ブランドもので固めてる奴。それに俺、特課を辞める気なんてないですから」
「初仕事も終わってないのによく断言できるな。言っとくけど、今回みたいなケースはめちゃくちゃ珍しいからな。古崎さんが言ってただろ。都市伝説レベルのものばっかりだって」
「それで河童を?」
やはり食いつかれた。おのれ清水。真島にだけは知られたくなかったのに。
「ああそうだよ。悪いか」
「見つかったんですか?」
「見つかったと思うか?」
櫻場が睨み付けると、真島は「もし本当にいたら教えてください」と軽く肩を竦める。次に野田さんから連絡が来たら真島に行かせよう。櫻場はそう決意した。
地下の駐車場へ着く頃には、時刻は午後一時を回っていた。
先に腹ごしらえをすることになり、地下駐車場に停めている車へ乗り込む。助手席に座った真島は、櫻場の行きつけの店だの好きな食べ物だのを聞きたがったが、適当にごまかしてアクセルを踏んだ。
車が走り始める。真島はしばらく外の景色を見ていたが、五分ほど経ってから「飯はどこで?」と問いかけてきた。
「近くのファミレス」
「先輩の行きつけ?」
「この周辺で働いてるひとたちのな。俺は普段はコンビニだよ」
十二時台となると店内は一気に混み合うが、そろそろ空席も出始めている頃合いだろう。今日は早朝から働きづめで、櫻場の腹の虫も限界だ。
「先輩、聞いてもいいですか」
「なに?」
「もしかして、俺のこと嫌いですか?」
嫌いと言うより苦手だ。言おうか言うまいか悩み、櫻場は「そんなことないけど」とお茶を濁した。
「なんか、俺にだけトゲがあるような気がするんですよね。人見知りとかのレベルじゃなくて、俺とは話したくないですってオーラが出てるというか。返事も適当っぽいし」
「気のせいだろ」
わかっているのなら話しかけないで欲しい。そう願うも、真島はしゃべるのを止めるつもりはないらしく、「高校のときもそうでしたよね」とぼやいた。
「先輩と一緒に遊びたかったのに、これみよがしにバリア張ってて。一緒のチームになれても、腹が痛いとか言って抜けちゃうし。俺、結構傷ついたんですよ」
真島は当時、一年生ながらもテニス部のエースとして学校内で名を馳せていた。成績優秀で容姿端麗。性格もさっぱりとしていたためか、男女を問わず大変な人気ぶりだったと聞く。櫻場は真島とは接点がなく、名前だけを耳にする日々だった。週三日のボードゲームの部活動だけを楽しみとする、平凡で穏やかな日常を送っていたのだ。
ところが。文化祭が終わった翌日から、真島が水曜日だけボードゲーム部へ顔を出し始めたのである。
部員は総勢八名だったが、真島が来る日だけ仮入部員の人数が膨れ上がった。女子の黄色い声が飛び交い、机と椅子が足りないと、他の教室から借りてくることさえ増えた。真島の居ない日に部室を訪れた生徒からはあからさまな落胆を見せられ、活動を週一回にすればいいのにと嘲笑されることも多かった。
真島と初めてボードゲームの卓を囲んだ日。櫻場は得意にしていたゲームで圧倒的な勝利を収めた。その瞬間、櫻場の中に積もり積もった鬱屈が、一気に吹き飛んだ。さあ悔しがれ。そう期待したのに。
真島は普段通りの爽やかな笑顔を浮かべ、櫻場を賞賛したのである。
虚しかった。自分より遙かに多くのものを持っている後輩が、あからさまなお世辞を並べ立ててくる。褒められれば褒められるほど虚しくなり、以来櫻場は真島を避けるようになった。そうでなければ、唯一の居場所だった部室をも奪われるような気がしたのだ。
特課でも、真島はすでに古崎や上倉と打ち解けている。数日もすれば、新人であったことを誰もが忘れるだろう。また、同じことを繰り返すのだろうか。
「先輩?」
黙りこくった櫻場を訝しんだのか、真島が視線を向けてくる。真島、きっと俺はお前よりも傷ついてるよ。櫻場は言葉にしないまま奥歯を強く噛みしめ、ハンドルを握った。
「そんなに頑張らなくていいよ真島」
「頑張るって?」
「無理に仲良くしようとしなくていいってこと。俺たちは相棒であって友達じゃない。仕事に影響しない程度の距離感でいいから」
ほんの一瞬、真島が目を大きく見開いた。何かを言おうとしたのか口を開くも、すぐに結ぶ。
「秘伝の社交術でも駄目か。先輩って相変わらずドライですね」
真島が薄く微笑む。櫻場は「そうかもな」と返し、意識を運転に集中させた。
最初のコメントを投稿しよう!