第一話 不本意な再会

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 真島が出勤してこなかったらどうしよう。一晩抱えた櫻場の不安は杞憂(きゆう)に終わった。特課(とつか)のドアを開くなり、新人の笑顔に出迎えられたのである。  やれやれと安心する気持ちと、もう元気になっていやがると(あき)れる気持ちが相反(あいはん)する。古崎によると、真島は誰よりも早く出勤し、軽い掃除やコーヒーのセットまでしたそうだ。 「櫻場さんのデスクをじっと見つめてましたよ。飼い(ぬし)の帰りを待ってる犬みたいで、なんか可哀想(かわいそう)でした」 「新人はミスするもんだ。反省してんだから、もう文句とか言うなよ櫻場」  古崎と上倉が口々に言う。これでは完全に櫻場が悪者扱いだ。もしや、執念(しゆうねん)深いタイプだと思われているのだろうか。違うとは言い切れないが、それはプライベートでの話であって、仕事は公平無私(こうへいむし)をモットーに(かか)げている。たとえ真島以外の新人と組んでいたとしても、同じように(しか)っただろう。 「真島、コンサート会場行くぞ」  櫻場が声をかけると、真島の顔がパッと華やいだ。古崎の例えどおり、なるほど姉が飼っている小型犬を彷彿(ほうふつ)とさせる。帰宅するたびに尻尾(しつぽ)をはちきれんばかりに振る姿は、何度見ても飽きないのだと姉は語っていた。  俺は執念深くないぞとアピールするべく、櫻場は車中で真島へ雑談を振った。真島の反応はやはり尾を振る犬で、だんだん黒いポメラニアンに見えてくる。いや、大きさ的にはラブラドール・レトリバーだろうか。 「昨日ので本格的に嫌われたと思ってました」 「新人がミスするたびに嫌ってたら、刑事どころか他の仕事だって出来ないだろ。あ、でも駒橋(こまばし)さんにはちゃんと謝れよ」 「わかってます」  真島は依然(いぜん)としてニコニコと嬉しそうだ。お手と言ったら応じるのじゃなかろうか。犬小屋につながれた真島を想像し、櫻場は思わず()き出す。隣から「どうしたんです?」と(たず)ねられたので、櫻場は「なんでもない」と誤魔化(ごまか)した。  櫻場と真島がコンサート会場に入ると、中はすでに熱気で満ちていた。スタッフや業者と(おぼ)しき人々が慌ただしく動き回り、指示やら確認を求める声が乱れ飛んでいる。  櫻場と真島は手分けをして、会場に居る全員の持ち物検査を行い、建物内外に不審なものが仕掛けられていないかを見て回った。会場を一周したところで、上倉が手配してくれた助っ人の五人が到着する。 「出入り口に一人、裏口に一人、バックヤード前に一人。残りの二人はホールの見回りをしてください。客が集まってきたらスタッフの方が待機所へ誘導するので、そこの警備もお願いします」 「了解です」  上倉の後ろ(だて)効果だろう、嫌み一つ言わずに櫻場の指示に従ってくれるのが有り難い。  コンサート終了後にはグッズ販売と握手会がある。流れについて櫻場がスタッフと打ち合わせしているうちに、時刻は十二時を回っていた。  スタッフが用意してくれたパイプ椅子に腰を下ろし、櫻場と真島は一息入れた。ペットボトルのお茶で喉を(うるお)していると、頭上から駒橋の声が聞こえた。慌てて立ち上がろうとするも、座っててと言われ、言葉に甘えることにする。 「お疲れ様。問題はなさそう?」 「順調です。駒橋さんこそ、朝から忙しくされてたみたいですけど、疲れてないですか?」  駒橋は午前中に雑誌のインタビュー取材があり、その仕事を片付けてから会場入りをしたのだ。道中は上倉が警護(けいご)をしていたが、特に怪しい者の姿は見なかったと連絡を受けている。 「全然大丈夫。このあと最終リハーサルをして、十六時半からお客さんを入れるから。うちのスタッフも手伝うけど、荷物検査お願いね」  はい、と返してから、櫻場はすっかり敬語に戻っていたことに気付いた。駒橋に気にする素振りはない。人質ならぬ写真質はあの場限りのものだったのだろう。 「私たちが全力で警備します。駒橋さんはご自分のパフォーマンスに全力投球してください」 「当然。来てくれたファンを全員、感動の(うず)(たた)き込んでやるんだから」  駒橋が力強く微笑(ほほえ)む。催促(さいそく)の意味を込めて、櫻場は隣に座っている真島の脇腹を(ひじ)でつついた。真島がゆっくりと立ち上がり、駒橋へ向かって頭を下げる。 「昨日はすみませんでした。周りが見えてなかったのは俺のほうでした。傷つけるような言動をしたことをお()びします」 「そう謝れって櫻場さんに言われたの?」  駒橋が鋭いジャブを飛ばす。やはり腹に()えかねていたのだろう。また真島が暴走するかもしれないと思い、櫻場はいつでも飛び出せるように身構えた。 「心のこもってない謝罪はかえって失礼よ。私も謝らないから、あなたも謝らなくていいわ」 「どういう意味ですか」 「私も散々あなたの気を逆なですることを言ったでしょ。だからおあいこってこと」  駒橋が胸を反らした。これはつまり、駒橋なりの謝罪なのだろう。照れているのか、駒橋の頬がうっすらと赤くなっている。真島は疑わしそうに駒橋を見つめ、口角を片方だけ上げて笑った。 「たしかに、俺だけが謝るのはフェアじゃないって思ってたんだ」 「表情から丸見えだったけどね」 「でもひどいことを言ったのは謝るよ。あんたの偉そうな態度はまだムカつくけど」 「私だって、櫻場さんの後ろで尻尾(しつぽ)振ってるあなたにはイライラしてる。なんなの、ペットなの?」  駒橋がヒートアップしてきた。真島も「はぁ?」と目を()く。 「誰がいつ尻尾なんて振ったよ」 「さっきも振ってたでしょ。大好きな先輩のそばに居られて幸せそうね。でも私なんか、櫻場さんとのツーショット写真持ってるんだから」  真島と駒橋が距離を詰めて(にら)み合う。櫻場は二人の間に割って入ろうとしたが、「ツーショット」の単語が耳に入るなり、他人の振りをすることにした。通り過ぎていくスタッフの視線が痛い。 「ツーショットっていつの間に……昨日バックヤードに雲隠れしたときか」 「そ。櫻場さんが優しく(なぐさ)めてくれたときにね」  誤解を生む表現をしないで欲しい。真島は砂利(じやり)でも噛んだような表情で駒橋を(にら)み付けていたが、「俺はいつでも撮れるし」と言って駒橋から顔を(そむ)けた。敗北宣言と(とら)えたのか、駒橋が「勝った」とガッツポーズを取る。 「櫻場さん」と突然駒橋に呼ばれ、櫻場は「はい?」と裏返った声で答えた。 「私は私の出来ることを百パーセント頑張るから、サポートお願いね」 「全力を尽くします」  駒橋は弾けるような笑顔を浮かべ、「準備があるから行くね」とバックヤードへ姿を消した。溌剌(はつらつ)としている駒橋とは対照的に、真島は親の(かたき)でも見つけたかのように険しい表情を浮かべている。 「先輩」 「なんだよ」  「今度俺とツーショット写真撮ってください」 「断る」  俺を二人の争いに巻き込むな。真島の駒橋への口調について(とが)める気力も()かず、櫻場はペットボトルのお茶を飲み干した。    小休憩を終え、バックヤードへ張り付いていた上倉を(まじ)えて、今後の打ち合わせをする。時計を気にする()もなく動き回っていると、スタッフが「あと三十分で客入りです!」とアナウンスをした。  無線のイヤホンを耳へ装着し直す。通信が正常に作動していることを確認し、櫻場は心を落ち着かせるため深呼吸をした。  ほどなくして、待機所に集まっていた客がぞくぞくと会場へ入り始めた。年齢はまちまちで、八割近くが男だ。多くの客が両手にペンライトかサイリウムを握りしめている。  客入りが終わると、注意事項のアナウンスが流れた。やがて会場が暗くなり、ファン達の今か今かと期待する声で満ちる。ファンファーレが鳴るのと同時に、ステージにスポットライトが当たった。中央に立っているのは、ピンクと白の衣装を(まと)った駒橋だ。 「みんな、元気ー?」  駒橋の呼びかけに、ファン達が思い思いの返事で答えた。すさまじい熱量に、ホールの最後方で警備をしている櫻場ですら鳥肌が立つ。 「今日は二周年記念のライブに来てくれてありがとう! あいりは全力で頑張るから、みんなも全力で楽しんでね!」  ファンの地響きのような声が反響した。  曲が始まると、駒橋の背後に貼られているスクリーンに、大量のハートマークが映った。駒橋が歌いながらダンスをし、ハートが連動するように流れていく。  ファン達の応援も負けていない。合いの手を入れつつ、ピンク色に(とも)した明かりを縦横無尽(じゆうおうむじん)に振りまくっている。最前列の男達は、もはや駒橋を見るよりも踊るほうに注力(ちゆうりよく)しているようだった。  一曲目が終わると、ファン達はいそいそとライトの色を変えた。どうやら曲によって色を変える決まりとなっているようだ。次に(とも)されたのは黄色で、バックスクリーンに星が流れ始めた。  ライブやコンサートといった(もよお)し物は、アーティストと客の一体感が醍醐味(だいごみ)であるとテレビで観たことがある。個人で楽しむものではないのかと櫻場は思っていたが、(あやま)りだった。  駒橋の歌声に重なるファンの声援。曲を知らない櫻場さえ身体を動かしてしまいそうな衝動。暗闇の中で振られる(あか)りは幻想的ですらあり、客の一員として加われないことが歯がゆいほどだ。  気付くと三曲目に突入していた。紫のライトが空で(またた)く星のように揺れる。駒橋は息切れ一つせず、アップテンポな曲を踊り、歌いきった。駒橋が「衣装チェンジだよ!」と言い、手を振りながらステージの右端へ姿を消した。休憩の合図(あいず)なのか、ファン達が一斉に水分を取り始める。 「すごいですね」  隣から聞こえた真島の声で、櫻場は我に返った。「そうだな」と答え、不審な動きをしているものが居ないか視線を(めぐ)らせる。  駒橋は二分も経たずに再びステージへ現れた。今度は水色のふわふわとしたワンピース姿だ。 「みんなー! 盛り上がってるー?」  歓声とともに水色の光が揺れる。駒橋は満足そうに微笑(ほほえ)み、「ここからはお話タイムだよ!」とポーズを決めた。  その瞬間。バックスクリーンが真っ赤に染まった。間を置かずに『お前ノ裏切りヲ許サナイ。天罰(てんばつ)ヲ下ス』と黒い文字が浮かび上がる。  会場の照明が消えた。曲も止まり、異常事態だと察知した客達がざわめき始める。櫻場のイヤホンから、「ブレーカーが落ちました」と報告がくる。再起動するよう指示を出し、櫻場は(つと)めて冷静な声を意識して客達へ呼びかけた。 「機材の故障が発生しました。点検のため、コンサートはここで終了とさせて頂きます。最後列のかたから会場の外へご案内しますので、他の列のかたはその場でお待ちください」  バチバチ、と会場に白々(しらじら)とした照明が点灯した。先刻(せんこく)までの熱気がまるで夢だったかのように一瞬で霧散(むさん)する。  警備部の助っ人が客を誘導していく。不平不満の訴えやテロを懸念(けねん)する声を聞き流し、櫻場は上倉へ駒橋の安否を(たず)ねた。 「こっちは大丈夫だ。お前らは客の安全を最優先にしろ」 「了解です」  客を全員避難させ、同時に駒橋を含めたスタッフ全員も裏口から外へ出した。助っ人二人を駒橋たちの警護へ付け、残った者で不審物の点検をしていく。  会場の隅々まで調べても、怪しいものは何一つ見つからなかった。念のため二重点検を行い、収穫がないままホールへ集まる。上倉が「やられたな」とぼやいた。 「コンサートを中断させるのが犯人の目的だったってわけか」  櫻場は「完全に踊らされましたね。でも、どうやってあんな文章を表示させたんだろう」と言って、ステージの演出をしていた機材を見た。  機材は客席の最後列から1メートルほど離れた後方に置かれている。最後列から腕を伸ばしても機材へは届かないし、コンサート中はスタッフが機材へ張り付いていた。客に操作をするのは不可能なはずだ。  上倉が(うな)りながら(あご)()でる。 「機材一式を一旦うちで預かろう。櫻場の知り合いにスゲェのが居ただろ。そいつなら何かしら見つけられるんじゃねぇか」 「日野君ですね。頼んでみます」  手が空いていることを祈りながら日野へ電話をかけると、二つ返事で許諾(きよだく)を得られた。櫻場達が戻るまで警視庁で待機をしていると申し出てくれる。  櫻場は今後の動きを手早くまとめたあと、駒橋たちへ現時点での状況を報告するため、真島とともに裏口へ向かった。  駒橋とスタッフ陣は、駐車場となっている広場の隅で、身を寄せ合って立っていた。太陽はとうの昔に沈んでおり、街灯の明かりがアスファルトに暗い影を伸ばしている。笹口は携帯電話で誰かと話していた。 「駒橋さん、大丈夫ですか」  櫻場が声をかけると、駒橋は今にも泣き出しそうな表情で顔を上げた。 「私は大丈夫。爆発物とかあった?」 「見つかりませんでした。今のところ、会場内に異常は見受けられません」 「そう……じゃあただの嫌がらせってことか」  駒橋が肩を落とし、痛みを(こら)えるように目を閉じた。 「先輩、駒橋さんのSNSに不審な書き込みが」  真島がスマートフォンの画面を見せてくる。駒橋も自分のスマートフォンを取り出し、「なにこれ」と(かす)れた声で(つぶや)いた。  メッセージは、駒橋のコンサートの案内に対して、リプライの形で書き込まれていた。駒橋が読み上げる。 「『これは始まりに過ぎない。駒橋あいりが心から悔い改めない限り、私は天罰(てんばつ)(くだ)し続けるだろう』――もしかして、さっきの犯人から?」 「だろうな。計画が上手くいったから調子に乗ったんだ」 「真島、敬語忘れてるぞ」  櫻場が(たしな)めるも、駒橋が「そっちのほうが話しやすいから」とタメ口への許可を出した。櫻場へもタメ口を勧められたが、(つつし)んで固辞(こじ)をする。  駒橋はしばらくスマートフォンを操作していたが、「ダメ」と首を振り手を止めた。 「犯人のアカウント見てみたけど、私へのリプしか書いてない。『天罰を(くだ)し続ける』って、これからもコンサートを邪魔するってこと?」 「させるか。次が来る前に捕まえてやる。ですよね先輩」 「できる限りのことをするよ」  たとえ悪ふざけだったとしても、実際に騒ぎが起きた以上、事件として扱うことになる。今後は他の課の手も借りられるだろう。決して逃がしはしないつもりだが、次の被害が発生する前に捕まえると約束できないのが辛いところだ。  電話を終えた笹口が小走りで寄ってきた。新たな書き込みについて伝えると、笹口自身のスマートフォンで確認をする。 「書き込まれたのは十八時三十分……お客さんを外へ誘導していた時間ですね。あの妙な文章をスクリーンに表示させたのと同じ人物なのでしょうか」 「そこはまだ調査中です」誤解を与えないよう、櫻場は慎重(しんちよう)に言葉を選んだ。「犯人が直接何かを仕掛けてくる可能性もあります。上倉が護衛(ごえい)に付きますので、笹口さんは駒橋さんと安全な場所に避難してください」 「わかりました。スタッフは全員解散させます」  笹口が解散の(むね)を伝えると、スタッフが安堵(あんど)の表情を浮かべた。当然だ。あんな不気味(ぶきみ)なことが起こった現場からは一刻も早く退散したいだろう。  闇夜に沈んだコンサート会場が、街灯に照らされてぼんやりと浮かび上がる。本来ならば今頃は握手会をしていたはずだ。駒橋も客も、今日という日を待ち望み、精一杯楽しもうとしていたのに。  必ず捕まえてやる。櫻場は胸の内で言い、きつく(こぶし)を握りしめた。
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