第一話 不本意な再会

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「人間って見た目じゃ全然わからないものですね」  デスクでスマートフォンをいじっていた古崎が、ぽつりと言った。  櫻場は「能力と一緒だよ。(ふた)を開けてみるまで中身は見られない」と返し、熱いコーヒーをゆっくりと飲んだ。温かいものが体の中を流れるのと同時に、全身から力が抜けていく感覚がする。  古崎がスマートフォンを置き、デスクにうつ伏せになった。 「笹口(ささぐち)さん、悪い人に見えなかったのになぁ。駒橋(こまばし)さんを守ってくれって、すごく必死そうだったのに」 「警察を巻き込むための演技だったんだろうね。俺もすっかり(だま)されたよ」 「勝手に好きになって、勝手に裏切られたと思って殺すなんて、ホントに許せない。そんな極悪非道(ごくあくひどう)人にお茶なんか出すんじゃなかったなぁ」 古崎は爪で机の表面を引っかき、「利用された梅下(うめした)さんもかわいそう」と言って、唇をぎゅっと引き締めた。  梅下のスマートフォンは笹口のジャケットから見つかったそうだ。自分との関係を隠蔽(いんぺい)するため、梅下殺害後に笹口が盗んだのだろう。駒橋のスキャンダル写真も、笹口が第三者を(かた)り出版社へ送ったことが判明している。  梅下が自身の能力を笹口へ(つまび)らかにしなかったのは、警戒心を捨てきっていなかったからだろう。梅下が駒橋を(にく)んでいたのは真実かもしれないが、最期(さいご)に笹口の逮捕(たいほ)へつながる証拠を(のこ)したのは、えん罪の回避よりも駒橋への想いが(まさ)っていたためだと、櫻場は勝手に思っている。  懸垂(けんすい)マシーンでひたすら筋力を(きた)えていた上倉が、肩にかけたタオルで汗を()きながらデスクへ戻ってきた。すかさず古崎がブーイングを鳴らす。 「カチョー、また汗臭くなってる。ちゃんと()いてください」 「拭いてるだろうが」 「タオルじゃなくて汗ふきシートでです。私から見えないとこで、ほら早く」  古崎が猫でも追い払うかのように手を振る。上倉は「それが上司に対する態度かよ」と文句を言いながらも、デスクの引き出しから黒いパッケージの袋を取り出し、ロッカーのほうへ姿を消した。  悲惨(ひさん)な事件が起こっても、櫻場たちの日常は普段と同じように流れていく。その中で新入りだけが、(みずか)ら仲間はずれを志願していた。特課(とつか)へ戻ってからというもの、真島は神妙(しんみよう)な顔つきで黙りこくっているのだ。時折盛大なため息をついたり、急に席を立っては意味もなくウロウロと歩いたりしている。 「真島、疲れてるとは思うけど、報告書早めに作れよ」と櫻場が向かいの席へ声を飛ばすも、やはり応答がない。声をかけられていることすら気付いていないのか、真島は席に座ってじっと自分の手元を見つめ続けている。  仕方なく、櫻場は後輩の真横へ立ち、肩を軽く(たた)いた。弾かれるようにして真島が顔を上げる。 「ビックリした……なんですか?」 「目開けたまま寝てたんじゃないだろうな。報告書、早めに作れよ。じゃないと一課に色々言われるからさ」 「わかりました」  真島はそう答えたものの、再びどこかぼんやりとした顔つきで沈黙した。    定時のチャイムが鳴った。上倉が「飲みに行くか」と提案するも、古崎が「推しのイベントが始まるので」と足早に帰って行く。櫻場も今日中に書類の目処(めど)を立てたいと告げると、上倉は「若い奴の付き合いがどんどん悪くなってくなぁ」と悲しげに言い、帰り支度(じたく)を始めた。 「んじゃ、俺は先に帰るわ。戸締まりよろしくな」 「お疲れ様です」 「お疲れ」  上倉を見送り、櫻場は一度休憩を取ることにした。ポットに残っているコーヒーが少なくなっているため、作り直そうと腰を上げる。  真島は依然(いぜん)としてぼんやりとパソコンを見つめていた。定時が過ぎていることにすら気付いていないようだ。今日は早く帰宅させたほうがいいかもしれない。 「真島、報告書は明日でいいからもう帰れ」  背後を通り過ぎざまに声をかけると、真島が「先輩が帰るまで付き合います」と覇気(はき)のない声で言った。 「いや、そういうの()らないから。帰れって」  税金の無駄(づか)いだし。櫻場の喉元まで出かかったが、さすがに声に出すのは遠慮した。  淹れたてのコーヒーをカップへ(そそ)ぎ、普段は使わないスティックシュガーを一本だけ開ける。立ったままカップへ口を付けると、糖分が体に染み渡っていく感覚がした。  席へ戻るため再び真島の後ろ側を通ったとき、突然真島が振り返った。伸びてきた手に櫻場の腕が(つか)まれる。 「危なっ。コーヒーこぼしたら掃除(そうじ)が面倒だろが」 「すみません。先輩に聞いてもいいですか」 「なにを」  真島は「あの……」と言葉を(にご)しながら視線を落とし、ややあってから顔を上げた。 「殺人事件を扱うのって何回目ですか」  真島の顔が、生気を抜き取られたかのように(よど)んでいる。笹口を追い詰めた姿とはまるで別人だ。  初めての現場で初めての殺人事件。疲労や寝不足も手伝って、精神が疲弊(ひへい)しているのだろう。駒橋とは喧嘩(けんか)友達のような間柄(あいだがら)になっていたし、ここへ来て喪失感(そうしつかん)なり悲哀感(ひあいかん)なりが襲ってきているのかもしれない。  だがそれは、真島に限った話ではない。 「俺も初めてだよ」  櫻場とて目を閉じると――いや、閉じなくても、駒橋の無残な遺体がフラッシュバックする。昨日まで話して、笑って、精一杯生きていたのに。いまはもう、世界のどこにも居なくなってしまった。 「辛く、ないですか」  真島がぽつりと言う。 「辛いよ。俺がもっと早く笹口さんの能力に気付いてれば、駒橋さんも梅下和典(うめしたかずのり)も死なずに済んだのにって、めちゃくちゃ後悔してる」 「先輩は悪くないですよ。むしろよく見抜けたなって思います。先輩の能力――『写真記憶(フォトメモリー)』でしたっけ。それがなかったらきっと、梅下が犯人にされてました」 「その呼び方やめろって。古崎さんが勝手に付けただけだから」  写真記憶。文字どおり、記憶を写真のように()じておける能力だ。  小学校五年生のとき、櫻場は自分の記憶力が周囲とは桁違(けたちが)いであることに気付いた。遠足で(おとず)れた場所の風景、昨夜見たテレビの内容、読んだ漫画。櫻場が少しでも興味を抱いたものは、まるでアルバムを(めく)るように、細部まで鮮明に思い出せたのだ。  櫻場の脳内の記録は消えることなく、どんどん蓄積(ちくせき)していった。両親へ相談すると、頭の中で図書館を作り、ジャンルごとに管理をすれば良いとアドバイスを受けた。以来、櫻場の脳内図書館は蔵書数を増やし続けている。その話を古崎にしたところ、『写真記憶(フォトメモリー)』という格好いいのかそうでないのかわからない技名(わざめい)を付けられたのだ。 「俺のなんかより、真島のほうが圧倒的に優秀だよ。分子レベルで凍らせられるって強すぎだろ」 「俺は武闘派(ぶとうは)なだけです。戦えたって、犯人を見つけられなきゃ意味ないですから」 「犯人を見つけられたって、逃げられたら意味ないだろ」 「じゃあイーブンってことで」  無意味な賞賛合戦をしてしまった。櫻場が気恥ずかしさを咳払(せきばら)いで誤魔化(ごまか)していると、真島が表情を(ゆる)めた。 「先輩、駒橋さんのリハーサル見てるときに、『才能があってそれに見合う努力が出来るのはすごい』って言ったじゃないですか。俺もそう思います。先輩はマジですごいです」  やはり聞こえていたのか。忘れてくれれば良いものを。顔から火が出そうな櫻場をよそに、真島が続ける。 「俺も特課(ここ)で頑張ります。一日も早く先輩の右腕になれるように」 「お前なら俺なんかすぐに超えられるだろ。能力的にもキャリア的にもさ。()らなくなるのは俺のほうだ」  櫻場の中で眠っていた不安がくすぶり始める。真島の能力は強力だ。今回同様、凶悪犯とまみえても一人で対処可能どころか楽勝だろう。対して、櫻場に出来ることといえばせいぜい(おとり)になることくらいだ。まるで役に立たない。  近い将来、特課は真島を中心に動き始めるだろう。そうなったとき、櫻場の居場所は残っているだろうか。 「先輩って、自己評価がめちゃくちゃ低いんですね」  真島が目を見開いた。 「もし俺が先輩と同じ能力と頭脳を持ってたら、周りに自慢(じまん)しまくりますよ。俺に解決できない事件はない! って」 「お前のほうが頭いいだろうが」 「俺は勉強が出来るってだけです。先輩のは知識より知恵っていうか、応用力っていうか。一を聞いて十を知るってやつかな」  真島が櫻場をまっすぐに見つめた。櫻場とは違って、瞳に宿っているのは澄んだ色だ。 「特課には先輩が必要です。絶対に」  真島の柔らかい声が櫻場の耳の奥に響く。櫻場は初めて、真島は常に本音を口にしていたのだと感じ取った。駒橋への態度も、笹口への怒りも――櫻場への言葉も。自分に嘘をつかず、すべてのものに真剣に向き合っているのだ。  それに比べて俺は。勝手に空回りして、勝手に落ち込んで、勝手に憎んで。これでは笹口や、駒橋を一方的に(たた)く奴らと同じじゃないか。 「これからもよろしくお願いします。櫻場先輩」  真島が優しく微笑(ほほえ)み、右手を差し出してきた。数秒迷った末、櫻場は真島の手を取った。体温が触れあうなり、強く(にぎ)り込まれる。 「俺のこと、少しは嫌いじゃなくなってくれたみたいで(うれ)しいです」 「だから嫌いなわけじゃないって。ちょっと苦手だっただけだよ」 「それもショックなんですけど。ちなみにどこがですか」 「そういうとこだよ。いいから手を離せ。俺は仕事する」  真島は「差別反対」と文句を言いながらも、どこか(うれ)しそうな表情で握手を()いた。それからしばらくは互いにキーボードを(たた)くことに集中したが、時間の経過とともに疲労が(まさ)り、キーを打つ時間よりも雑談する時間が増えていく。  一時間ほどが経過したのち、櫻場は書類は明日に回そうと決断した。真島も異論を(とな)えなかったため、電気を消して戸締まりをする。  警視庁(けいしちよう)の玄関を出ると、冷たい風が足元から吹き付けてきた。枯れ葉のかさついた音が、闇にくるまれた街へ吸い込まれていく。  櫻場が夕飯を食べて行くかと提案すると、真島の顔が一気に明るくなった。何度も「行きたいです」と繰り返す。激しく振られた尻尾(しつぽ)の幻影が見えそうだ。  近場にある大衆(たいしゆう)居酒屋を目的地に()え、人影がまばらな道を真島と並んで歩く。そろそろ厚手のコートも出さなきゃなと櫻場が考えていると、後方から男の声が聞こえた。 「宏斗(ひろと)!」  はっきりと耳へ届くなり、櫻場の足が反射的に止まった。振り向かずともわかる、聞き慣れた声。だけど――どうして。  衝撃のあまり棒立ちになった櫻場へ、真島が「知り合いですか?」と聞いてきた。  知り合い程度なら良かったのに。聞かなかった振りが出来たのに。  来るな。そう願っても靴音は近づいてくる。 「宏斗」  来ないでくれ。――櫻場の願い(むな)しく。  駆け寄ってきた男が、櫻場を背後から抱きしめた。
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